物を持たない暮らしは快適。
私はまだ、達成したというには程遠いけど、、。
それでも、10年前くらいに比べると、雲泥の差。
我が家では、モノが何分の一かになっている。
持たない暮らしを実現するには、買わない、あげない、もらわない、、、。(らしい)(^^ゞ
人さまに、自分のいらないものをあげない、、、。
ほんとそう。
それでも、もらってもらうときは、念を押して、、、。
気が変わったら捨ててね、きっとやでっ、、、。
買わない、、、っちゅうのは、
当たり前のことだけど、これも、また、難しい。
でも、
少なくとも、
食料品以外は、ぱっと買うということは、現在では、ほぼない、、、。(多分)(^^ゞ
もらわない、、、。
これが難しい。
お店で、ヘンな景品をくれる時でさえ、断りにくい。喜ぶふりをする時も、、、。
自己嫌悪。(^^ゞ
ホテルでのアメニティグッズの持ち帰りはきっぱりやめた。(えらいっ)(^^ゞ
職場で、、親戚間で、、、モノをいただく機会はゴマンとある。(感謝なんです、ほんと)
宴会で、ちょっとした歌手がきて、
色紙にサインをする、、、。
「はなはなさん、もらっとき、、」
いやあ、いりません、、、とも言えず、、。(あほやなあ)(^^ゞ
持って帰ってすぐ捨てる私。
名前も知らなかった、ゼンゼン興味もない人のサインいり色紙はいらん、、。
親戚で、
北陸へいってきた、その置物あげるわあ、、。
いや、いりません、、、とは言えず、、、。
持って帰って、しばらく、みんなの目につかないところに置いておく。
もちろん、そのうち、処分する。(^^ゞ
それでも、なんぼなんでも、どうせ、捨てるからいりません。とは言えない。
旦那は横から、「うちは、ゼッタイに飾れへんから、いらんで」と言ってくれる。
それでも、
遠慮していると思われているらしく、無理やり、みんなくれる。
(^^ゞ泣。
お土産など、
あげたり、もらったりした瞬間に、そのモノは命を全うするらしい。
つまり、
「おみやげをあなたのために選んで、持って帰ってきた」事実が大切であり、
それが、まんじゅうであろうと、提灯であろうと、関係ない、、。
という論がある。
ほんとにそうだと思う。
贈り主の気持ちを尊重していたら、
家中、わけわからんものでいっぱいになってしまう。
なんだか、先週今週とそんなことが
たくさんたくさんあって、
めげる。(^^ゞ
物を大切にしないわけじゃない。
でも、もう、
家にいるときくらい、さっぱりと、物のない空間におりたい。
あんだけ、なんにも飾らん部屋やから、これくらいは飾れる、、、と思うらしい。
でも、
ほんとに、いらないんだあ。
もう、時効だから、言うけど、
昔、五円玉を大量につないだ結構でっかい花瓶を親戚にもらったことがあった。
もちろん、すっごく熱心にいらないと断ったけれど、負けて、もらって帰ったっけ。
(みなさん、きっと、おわかりと思うけど)はなはなは、その花瓶を分解して、5円の団体にしてしまい、お金として、使ってしまいましたとさ。あはは。
そんなこんなで、つくづく私は薄情なのかなあ、と思ったりする。(^^ゞ
allaboutで、金子さんが、こちらの要らないものをくれる人に
「たいして感謝しなくてよい」旨、書いておられたのには、大爆笑で。(喜)
まあ、もらっときましょう、、でもらえばいいのであって、喜ぶふりしなくてよい、、
と。(^^ゞ
なんか、彼女のキャラでこのようにおっしゃるっちゅうことは、やはり、相当このようなシーンにうんざりされているのだ、、と救われる思いだったりする(^^ゞ。
主人の母も私の母も戦中派だから、もちろん、ものをもったいながる大変な種族。
おまけに、愛情深いから、自分たちは剥げたものを使っても、私に新品のものをくれる。泣。
義母の家で先日ごはんを食べた時も、ほんとにそのことを思った。
「このお皿、持って帰り」という義母に、主人も
「おふくろ、使いいな。かけた皿で食べてるのに、、、怒」
「まだまだ使える」
流しで私は洗い物をしながら、ネットに小さい石鹸を詰めて使ってるらしい様子に、なんだか涙が出そう。
さっき、邪魔になるから、この石鹸の詰め合わせ持って帰って、、、と言ってたっけ。(^^ゞ
結構、なんでもジャケンに処分する私の泣き所は双方の母ですな。
それでも、自分ちのリビングにモノあふれる生活は、もう、だめ、、、落ち着かない。
(それでも、自分本やら書類やらはサンランするだらしなさですけんど。(^^ゞ)
まあ、ええかあ、、、今は、今のままの私、これでいこう、、、。
そう、イナオルしかない、今日この頃。(^^ゞ
人の価値観の違いって、どうして作られるんだろう、、と不思議で仕方ない。
うだうだと、考えのまとまらない、文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうデス。