「持たない暮らし」を目指す家事日記

日々の暮らしって、
大切だけど、面倒なこといっぱい。
負けないぞ、の報告です。

朝仕事

2016年06月11日 | 時間のこと

「{ほら、年金ってなんで言うねんやった?

ほら、別荘みたいな言い方、、。」

「はあ?〈超胡散臭そうな目で)ペンションのこと?」

「そうそうそう、。それそれ」

 

これ、旦那と私のごく日常的な会話ですけど、

二人とも、ほぼ毎日ネットで英会話をしております。

母と同居後、できるかなあと危ぶんでおりましたが、

旦那は

「今まで通りの生活をしよう」

と強く主張しまして、まあ、私も仕方なく(?)やっております。

私のモチは超下がっておりまして(だって、海外旅行は当分できませんし)

ニーズなしでの勉強は少々辛いものがあります。

 

3LDKの暮しでは、

何かを家族に隠れて行うことはほぼ不可能でありまして、

ネット英会話も母の前でもやっております。

母はこのシステムをなかなか理解できませんでしたけど、

根気強く説明し、

PCの画面のteacherにも紹介し、、、

とかしているうちになんとなく理解できたようです。

「エライ時代やなあ、、、」と言っております。

 

前とは違っていろんな人の出入りの激しい今の暮し、

翌日の予約をとるのが「博打」みたいなもんですね。

私のやっている某システムでは、予約は翌日しかとれないのです。

で、

毎日、旦那と翌日の予約を「エイヤッ」と言う感じでとります。

旦那や母の前ではlessonできますけど、

兄が来たりすると、さすがにできませんしねえ、、。

旦那は、先日は寝室でやっとりましたけど、、、、。(-_-;)

 

すみません、余談が長すぎました。

で、

日々の時間割ですけど、

今のところ

  午前中  朝仕事(家事) 母の散歩(できたら図書館または買い物) 買い物 ネット英会話 孫のこと

  午後   来客 孫のこと 夕飯の支度 外出 

  夜    いろんな家事 孫のこと

書いていて、自分でもわけわかりませんけど、、。(-_-;)

 

朝はたいていは5時か5時半起床。

すぐに着替えて(今までみたいにパジャマでうろうろできない)リビングで過ごす。

なんせ、狭いので何もできず、PCの作業やら編み物やらして時間を過ごす。

6時ごろから、キッチンのあたりを片付けたり、洗濯機を回したりする。

洗濯機を回したら、以前のマンションに行く。

(洗濯物が大量なので(なんせ、6人分)

今のマンションのベランダで干せない分は以前のマンションにもっていって洗う。)

超近いので大丈夫なのだ。

帰ってきて、

食事の用意、

母が起きてきたら朝食。たいてい6時50分くらいか、、、。

朝食が終わったら

 母 洗い物と洗濯物を干す

 私 前のマンションの洗濯物を干しに行く、家中に掃除機をかける

この掃除機をかけるのをどうしても私がやりたいのですけど、

母は自分が洗濯物を干し終わった時点で掃除が終わっていないと、

(掃除機がリビングに出してあると)自分で掃除機をかけるか、

モップをかけてしまうんです。

そうすると、もう、私が再度することはできないので、どうしても母がする前にやらないと、、、なのです。(-_-;)

で、大急ぎで前のマンションでの干し物を済ませて、走るように帰宅します。

 

この微妙なかけひきをしつつ、

全部が終了するのが7時40分です。

なぜ、7時40分かというと、

このタイミングで旦那が孫を迎えに娘の家に行くからなのです。

孫到着後、楽しく彼女と遊び、(-_-;)

8時半に出発されるまでは何もできません。

 

旦那が電動自転車で孫を保育園に送っていくのが8時半。

あっという間に散らかった和室とリビングを片づけ、

今日の予定を手帖で確認し、買うものを書き出してあるメモを整理し

9時には朝仕事は終了です。

 

で、

ほんとならいろんなことができるはずなんですけど、

今は引っ越しの片づけをせんならん、、、、という意識が強すぎ、

で、

また、いつもの、

「ああ、早く通販でシーツ注文せんと、、、、ああ、そんなことしてるばやいやない、

あの棚片づけんと、ああ、そんなことしてるばやいやない、キッチンの上の棚、片づけんと、、、、」

と何をしても

「いや、もっと優先順位の高いヤツ忘れてるんちゃう?」

と思ってしまい、結局たいしたことできず、日が暮れてしまうのです。(-_-;)

もちろん、その間に娘があかちゃんを連れてやってきますし、

母と散歩に行きますし、

前出のネット英会話も30分入りますし、

その他雑用が多く、人の出入りが多いっても、、、、

(言い訳ですけど)ありますけどねえ、、。

 

今後の課題は

朝仕事終了後の

お昼までの時間をもう少し計画的にしかも有効に使わねば、、ということです。

幸い、今は引っ越したばかりで家の中はぴかぴかで丁寧掃除せんでもいいですしねえ、、、

来週からは、引っ越しに伴ういろんなものの整理を午前中の時間に集中してやろうと思います。

今は強迫観念で一日中せんならんせんならんと思いつつ、そんなんやってるばやいやない、、、で何もできていませんからねえ。(-_-;)

↑昨日やっと旦那コーナーができました。

プリンターはここに置いてもらいます。

以前のマンションで子機を置いていた家具です。

↑リビングに家具を入れると狭くなりましたが落ち着きました。

作業ができるように、ダイニングもリビングも大きなテーブルを選びました。

ダイニングテーブルは実家からもってきたものです。

 

 

 

 

 

 

 


キッチンは家のかなめ

2016年06月03日 | 新居

引っ越してきて10日あまりがたちました。

当初、母親がどういう反応を示すのかがきがかりで、

気もそぞろでしたが、ようやく家の中を整理し始めています。

 

ニンゲン、生活していく上で欠かせないもの、

それは、まず、 ①食べること ②寝るところの確保 ②洗濯

この3つですな。

今回の引っ越し騒ぎで深く実感しました。

 

今回のキッチンは今までと違い、

エル字型です。だから、コーナーがあります。(当たり前ですけど)

奥行が深いのですが、電子レンジやら炊飯器やらトースターやらを並べるとイマイチ。

食器棚に炊飯器なんかを組み込めるヤツにすればよかったと少々後悔しています。

でも、

とにかく、必要最少限のモノで暮らすつもりなので、収納が少ないってことは決してありません。

あとは、工夫と努力次第です。

新しいレンジ付近です。

リビングから玄関を見たところです。

春巻きです。

昔からの友人が差し入れてくれました。(-_-;)

 

新しいところでの生活、

どうしても、やる気がでません。

ブログのチカラを借りて、ガンガン働きたいと思っています。

再構築する気力がどうかでてきますように。祈。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


母のこと

2016年06月03日 | 母のこと

引っ越してきて、10日あまりがたちました。

87歳の母親はとりあえず元気でいます。

 

昨年の11月に父が亡くなりまして、

敷地内に弟の会社があるとはいえ、母は広い家に一人で暮らしていました。

とはいえ、

お昼は弟夫婦といっしょに食事しますし、

私と兄が週に2~3度ずつ行きますし、

ヘルパーさんが週に二回の掃除に来る、、、という状況なので、

(一日中、全く一人の日はない)

まあ、

母の行く末はゆっくり考えて、、、、、

とタカをくくっておりました。

 

一人で買い物に行くし、

その買い物の中身は

魚の切り身や、調味料や、果物や、、、

なので、私は浅はかにも、

まだまだ現役の主婦してると信じていました。(それが、そうじゃなかったということは後からわかりました)

 

春ごろに、きちんと薬(降圧剤)を飲めていないのじゃない、、、?、

という問題点がもちあがり、

注意してみていると、

たくさん飲んだり、飲み忘れたりしていることが発覚しました。

薬は私が管理することにし、主治医に相談して、

3回処方の薬を朝晩の2回にしてもらい、

小分けして、ボードに貼って母に説明しました。

時々、まちがいますが、なんとか薬は行けるかなと思った矢先、

とんでもないことがわかりました。

 

弟から、「昨日、どこかの人におくってもらって帰ってきたらしい」という電話があったので、

夕方、母親の家に行ってみると姿がありません。

炊飯器は稼働しており、電気はついているので遠くではなさそうです。

近所を探し回り、兄にも弟にも連絡し、

もちろん警察にも連絡し、、、、、

 

で、

1時間ほどたったころ、

遠くのほうからひょこひょこと帰ってくるのが見えました。

亡くなった父親を捜しに出かけていたのです。(-_-;)

以前から父親が見える、、、ということは言っておりまして、

それは「幻視」やからね、、、という私達の説明に納得していたかのようにみえたのですけど、

こんなことをしていたとは、、、。

徘徊とは違って、

決まったところにでかけて、しばらく待っていて

あきらめて帰ってくるというパターンのようでした。

 

この事件以来、

私と兄で当番を決め、

夕方、母親の家に行き、8時くらいまでいっしょにすごし、

母がどうしても、、と言うときは

いっしょにその辺まで歩いていく、、、、

ようなことをして、数週間かすぎました。

 

それが4月のことです。

主人と相談し、

きっと一人ですごす夜が長いから、寂しいから、そういう幻影をみるんだろう、、

ということになり、

(もちろん、実家に引っ越して同居することが一番の解決策なのはわかっていますが)

私たちのところで、いっしょに住むことにしました。

 

問題点はただ一つ、

うちが狭すぎることでした。

3DKを2LKにして住んでいるところに、

母と母の荷物がきて、無事に済めるはずはありません。

急遽ネットでうちの近くで、少し広い物件をさがしたのがGW前、、

連絡し、ちょっとヒヤカシ気分でみにいったのが4月29日。

ヒヤカシで行ったのに、(分譲貸しのせいか)

間取りが理想的なのと、バリアフリーなのと、うちのマンションのごくごく近くという条件が気に入り、

GW明けには契約、5月中旬に引っ越しました。

 

母は意外にすんなりOKしました。

いつまでも、この広い家で自分一人では住めないというこは理解できたようです。

精神科の主治医の先生やら、関係者一同、

住み慣れたところから移動させると余計悪化する、と言われましたが、

もう、仕方ありませんエイヤッと言う感じの決断でした。

 

母の引っ越し(私たちは近いので、だらだらいるものだけを運びました)は22日でした。

直近の一週間くらいで私と旦那が母の家に通い、荷物を作りました。

冷蔵庫、洗濯機、ポット、トースター、炊飯器などは母が使い慣れたものがいいだろうと

全部運びました。

で、

引っ越しは午後にし、

午前中に菩提寺に出向き納骨を済ませました。

兄弟は反対しましたが

私は納骨の日に引っ越すことで、母に父親はもう向こうの世界に逝ってしまったことを納得させられるかも、

と思ったわけです。

納骨を済ませて、自分も娘のところにくると、

なんとなく一区切りつくんじゃないかと思ったわけです。

 

今日、母はデイサービスに行っています。

今日で二回目ですが、結構気にいっているようです。

「もう、何年もここで暮しているみたいに思うわあ、、、」と

時々言います。

この人、こんなに新しい環境に順応できる人やったんやなあ、、、と私は感心しています。

 

もちろん、認知症っぽいところは多々ありまして、

とんちんかんな会話をいつもしていますが、

食後の洗い物はやってくれますし、

洗濯物を干すのはほとんど彼女の役目です。

なるべくできることはしてもらって、

普通に暮してほしいと思います。

 

「おとうちゃんは(父のこと)もうあっちでじっとしてるんやね。」

と母が時々言います。

「そうそう、そのほうがお父ちゃんのためにもええねんで。」

とすかさず私は応えます。