公開前から 予告をみて 絶対見てみたいと思って
いた 映画。。。「エンディングノート」です
主人公である 砂田 知昭・・
丸の内にある化学メーカーを定年退職---これから
第二の人生を謳歌しようとしていた矢先に 健康診断で末期がん
と診断され 余命半年を宣告される
監督である 砂田 麻美・・
砂田 知昭の次女 有名プロデューサーである是枝裕和の助手などをつとめる フリーの監督助手
もともと 母方の祖父も写真館を営んでいたり、彼女自身もカメラが好きで
子供のころから 家族を撮るのが日常だった事もあり、 撮られる側の家族もごくごく自然な
表情をカメラに見せています
主治医であった医師は___
ひとは必ず死ぬという事を日常的に語り合える社会にした方がいい___
また 死ってそんなに悪いものじゃないんだ・・ということをもっと
広く知ってもらいたい___といっています
映画を見ていく中で 医師と砂田さんのやりとりが何度か出てくるのですが
毎日、がん患者と接している お医者さんの心理というのは どういうもの
なのか・・・ということが気になっていました
末期がん___回復する見込みのない患者と 向き合いながら
なにを考え どう死というものをとらえているのか。。。を、
死の準備をしながら葬儀の場所などを考える主人公を見ていて
本当に大切なのは 思い出を含めた家族の存在であり 言葉だと・・・先生はおっしゃっています
だからこそ、監督である娘自身も 父親の生き様 死に様を撮っておきたい
と思ったのではないでしょうか?
サラリーマン時代から 段取り命で 営業一筋だった主人公・・・
死までの段取りも 相当な完璧さをもっています
主人公を見ていると 人は生きた様に死んでいくのかと思います
のんびりした人は ゆったりと・・・
気の短い人は最後まで いらいらしながら・・・
そう 死は 生きる事の延長線上にあって 決してそれだけが特別なもの
でない事に気づかされます
映画のなかに 夫婦喧嘩のシーンが出てきます。子育てで余裕のない妻と
仕事で疲れ切っている 夫とのちょっとした言い争いなのですが・・
だんだんとそれは 激しくなり毎日の様に繰り返されていきます・・
そういったこともあって、
定年してからは 夫は海外赴任で空いている息子の家に住み
週末だけ会う 週末婚を選んだのです
すると 不思議なほど喧嘩がなくなり、うまくいくようになったそうです
死の直前 ・・・結婚以来はじめて 夫は妻に 「愛してるよ」というのです
それは、自分が作ったエンディングノートの やりたい事リストの一つ-----
妻も泣きながら「もっと大事にしてあげればよかった」とそれに答えます
もう大切な人と、さよならしなければならない 瞬間
そうでないときには忘れていた 自分の心を思い出し確認するのです
死は生の延長にありながらも、次のステージにいく前に 一度自分の人生
を振り返りながら、
嫌なこと つらいこと 後悔をリセットさせてくれる プロセスなのでしょうか?
いくらけんかしても、嫌いだと思っても 一旦 死というもの
を迎える事によって それはマイナスから すべてプラスのものへと
転換されるような 気がします
そんな主人公が、がん宣告された当初から 実は一番気がかりだったのが
孫の存在____理屈ぬきで かわいくて仕方のないもの___
そんな 孫とさよならすることが 何よりつらいと言っています
老いという言葉 死 という言葉とは まるで反対軸にいるような
幼い孫という存在・・・
これから 彼女達には 計り知れない未来が待っている まぶしいくらいの
未来の象徴・・・しかし、病院に見舞う彼女達には、自分の死を通して
おしえていけるものがあり、必ず物事には終わりがあるということを
語らずして 行動で 主人公は見せて行っている気がします
彼女達がどれくらい ちいさな心で理解しているかは 分からなくても
きっと大人になるにつれ、おじいいちゃんの病と向き合う姿は
何度となく 思いだされ 深く理解されていくのではないでしょうか?
主人公が 余命宣告を受け、治療方針を考えるにあたって まわりのアドバイス
はきかず 自分は主治医の先生のやり方にすべてお任せします
と言い切ります
それは、 彼の 父親が町の開業医で 晩年 痴呆をわずらってからも
来ない患者を待ちつづけ、診療所にいた事、彼が見てきた
一番身近な医師であり父の姿を思い出したが故なのでしょうか・・・
家族や 身近にいる人間が お互いに あたえあっているもの 存在の影響
それは 一人ひとりが生きていくうえで ものすごい力を持っているのかも
しれません
生というものが、永遠に続くものだとしたら・・・人間の生き方はきっと違ったものに
なってしまうでしょう・・・終わりがあるから より人生が 尊いもの
になっていくのであれば
今日が残りの人生の 一日目、として 生きていく事が 理想なのかなと思います
映画の後半、死の直前 娘は父に『お父さん 死んだらどこいくの?』と尋ねます
そこで父は『それは、ちょっとおしえられないなぁ・・』と答えます
そのあとには 一生懸命生きたひとしか 行けないところだよ・・
とつづきそうな気がしてなりません
レールの先に必ず死というものがあっても それぞれ歩くレールも違えば、歩き方も違う
そうすると、辿り着くところも それぞれなのでしょうか?
最近見たテレビで 震災後 よく「緊急時にそなえておいてください」「心がまえが大事です」
という言葉を耳にしますが---
それは 心構えをして、生き延びるのではなく、死ぬ心構えをすることだ・・
と発言している方がいました
その時は あまり意味が理解できなかったのですが・・・
映画を見たあと 少し解った気がしました
生きることが 死を意識することによって より濃く、明確なものになる事を・・
今日の一歩が明日のレールにつながっていることを・・・
いた 映画。。。「エンディングノート」です
主人公である 砂田 知昭・・
丸の内にある化学メーカーを定年退職---これから
第二の人生を謳歌しようとしていた矢先に 健康診断で末期がん
と診断され 余命半年を宣告される
監督である 砂田 麻美・・
砂田 知昭の次女 有名プロデューサーである是枝裕和の助手などをつとめる フリーの監督助手
もともと 母方の祖父も写真館を営んでいたり、彼女自身もカメラが好きで
子供のころから 家族を撮るのが日常だった事もあり、 撮られる側の家族もごくごく自然な
表情をカメラに見せています
主治医であった医師は___
ひとは必ず死ぬという事を日常的に語り合える社会にした方がいい___
また 死ってそんなに悪いものじゃないんだ・・ということをもっと
広く知ってもらいたい___といっています
映画を見ていく中で 医師と砂田さんのやりとりが何度か出てくるのですが
毎日、がん患者と接している お医者さんの心理というのは どういうもの
なのか・・・ということが気になっていました
末期がん___回復する見込みのない患者と 向き合いながら
なにを考え どう死というものをとらえているのか。。。を、
死の準備をしながら葬儀の場所などを考える主人公を見ていて
本当に大切なのは 思い出を含めた家族の存在であり 言葉だと・・・先生はおっしゃっています
だからこそ、監督である娘自身も 父親の生き様 死に様を撮っておきたい
と思ったのではないでしょうか?
サラリーマン時代から 段取り命で 営業一筋だった主人公・・・
死までの段取りも 相当な完璧さをもっています
主人公を見ていると 人は生きた様に死んでいくのかと思います
のんびりした人は ゆったりと・・・
気の短い人は最後まで いらいらしながら・・・
そう 死は 生きる事の延長線上にあって 決してそれだけが特別なもの
でない事に気づかされます
映画のなかに 夫婦喧嘩のシーンが出てきます。子育てで余裕のない妻と
仕事で疲れ切っている 夫とのちょっとした言い争いなのですが・・
だんだんとそれは 激しくなり毎日の様に繰り返されていきます・・
そういったこともあって、
定年してからは 夫は海外赴任で空いている息子の家に住み
週末だけ会う 週末婚を選んだのです
すると 不思議なほど喧嘩がなくなり、うまくいくようになったそうです
死の直前 ・・・結婚以来はじめて 夫は妻に 「愛してるよ」というのです
それは、自分が作ったエンディングノートの やりたい事リストの一つ-----
妻も泣きながら「もっと大事にしてあげればよかった」とそれに答えます
もう大切な人と、さよならしなければならない 瞬間
そうでないときには忘れていた 自分の心を思い出し確認するのです
死は生の延長にありながらも、次のステージにいく前に 一度自分の人生
を振り返りながら、
嫌なこと つらいこと 後悔をリセットさせてくれる プロセスなのでしょうか?
いくらけんかしても、嫌いだと思っても 一旦 死というもの
を迎える事によって それはマイナスから すべてプラスのものへと
転換されるような 気がします
そんな主人公が、がん宣告された当初から 実は一番気がかりだったのが
孫の存在____理屈ぬきで かわいくて仕方のないもの___
そんな 孫とさよならすることが 何よりつらいと言っています
老いという言葉 死 という言葉とは まるで反対軸にいるような
幼い孫という存在・・・
これから 彼女達には 計り知れない未来が待っている まぶしいくらいの
未来の象徴・・・しかし、病院に見舞う彼女達には、自分の死を通して
おしえていけるものがあり、必ず物事には終わりがあるということを
語らずして 行動で 主人公は見せて行っている気がします
彼女達がどれくらい ちいさな心で理解しているかは 分からなくても
きっと大人になるにつれ、おじいいちゃんの病と向き合う姿は
何度となく 思いだされ 深く理解されていくのではないでしょうか?
主人公が 余命宣告を受け、治療方針を考えるにあたって まわりのアドバイス
はきかず 自分は主治医の先生のやり方にすべてお任せします
と言い切ります
それは、 彼の 父親が町の開業医で 晩年 痴呆をわずらってからも
来ない患者を待ちつづけ、診療所にいた事、彼が見てきた
一番身近な医師であり父の姿を思い出したが故なのでしょうか・・・
家族や 身近にいる人間が お互いに あたえあっているもの 存在の影響
それは 一人ひとりが生きていくうえで ものすごい力を持っているのかも
しれません
生というものが、永遠に続くものだとしたら・・・人間の生き方はきっと違ったものに
なってしまうでしょう・・・終わりがあるから より人生が 尊いもの
になっていくのであれば
今日が残りの人生の 一日目、として 生きていく事が 理想なのかなと思います
映画の後半、死の直前 娘は父に『お父さん 死んだらどこいくの?』と尋ねます
そこで父は『それは、ちょっとおしえられないなぁ・・』と答えます
そのあとには 一生懸命生きたひとしか 行けないところだよ・・
とつづきそうな気がしてなりません
レールの先に必ず死というものがあっても それぞれ歩くレールも違えば、歩き方も違う
そうすると、辿り着くところも それぞれなのでしょうか?
最近見たテレビで 震災後 よく「緊急時にそなえておいてください」「心がまえが大事です」
という言葉を耳にしますが---
それは 心構えをして、生き延びるのではなく、死ぬ心構えをすることだ・・
と発言している方がいました
その時は あまり意味が理解できなかったのですが・・・
映画を見たあと 少し解った気がしました
生きることが 死を意識することによって より濃く、明確なものになる事を・・
今日の一歩が明日のレールにつながっていることを・・・
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