![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/8d/025b19e7fc2a2a82c36e41437f4a1d09.png)
哲学者 ハンナ・アーレント
第二次世界大戦 ナチスの強制収容所から脱出し
アメリカへ亡命したドイツ系のユダヤ人。
60年代初頭の
ある裁判レポートを発表した事で 彼女は世間から
厳しい非難を浴びる事になります。
それは歴史に残るほどセンセーショナル----
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こういう映画を見るたびに
自分は何も知らないんだなぁ・・・と実感させられます
なぜなら、ザ・ニューヨーカー誌に掲載された
彼女の思想は今なお、論争を呼ぶほどの内容だったからです。
その裁判とは、何百万のユダヤ人を収容所へ移送した
ナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンを裁いたもの
キーワードは「悪の凡庸」と「思考」です
これほどまでの残虐行為を行った アイヒマンを
アーレントが非難するであろうという
想定は、見事に裏切られました。
しかし、違う見方をすれば まったくそうではなく
彼女の思考の深さを 世間が理解できなかったとも言えるのですが。。。。
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アーレントはアイヒマンの行動を 思考の停止が起こした
犯罪行為と考えたのです。
考える事を止めた時、普通の人間が
悪を認識せず、指示されるがままに犯罪を犯す----
これを「悪の凡庸」と
表現した事が アイヒマンの擁護と受け取られたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/48/064bd6b88eb6d8bb1057ae9abdfa6980.png)
さらに、それを現在に置き換えてみると、「思考」というものが
どれほど重要であるかが分かってきます。
例えば ネット情報化社会で
飽和状態ともいえるそれらを どれだけ自分たちは
自分の思考で判断し理解できているかという事
発信されるものをそのまま受け取り
信じ込む・・・それをまるで自分の考えのように勘違いしてしまっているふし
は無いでしょうか?
でなければ、善と悪を区別する事だけに囚われ
なぜ悪なのか?本当に善なのか?
までの思考を試みていないかもしれないとは、
言い換えられないでしょうか。。。
彼女は映画のラストシーン。。。大学生への8分間のスピーチで
こう強調します「考える事で強くなれる。」と----
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/c3/0785d01617fda5e9c183aa78aef49109.png)
物事を非難し批判する事はたやすい事かもしれません。
しかし、そうする前に、
自分で考え、
真実に辿り着こうとする事の方が重要である事に気づかなければ
私たちが、原発などの問題に立ち向かっていくのは
不可能だと思うのです
人が、物事を大きく捉え 深く考える事
を止めたとき
それは、最大の悪に変わるのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/d9/74917dcbf87b5081fd635408339e8115.png)
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