Heart and heart

ありきたりになりがちな毎日をオンリーワンな一日に

ハンナ・アーレント

2014-04-01 21:18:51 | 映画

         哲学者 ハンナ・アーレント
        第二次世界大戦 ナチスの強制収容所から脱出し
         アメリカへ亡命したドイツ系のユダヤ人。

        60年代初頭の
          ある裁判レポートを発表した事で 彼女は世間から
          厳しい非難を浴びる事になります。

        それは歴史に残るほどセンセーショナル----



        こういう映画を見るたびに
         自分は何も知らないんだなぁ・・・と実感させられます

        なぜなら、ザ・ニューヨーカー誌に掲載された
        彼女の思想は今なお、論争を呼ぶほどの内容だったからです。

        その裁判とは、何百万のユダヤ人を収容所へ移送した
        ナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンを裁いたもの

        キーワードは「悪の凡庸」と「思考」です
         これほどまでの残虐行為を行った アイヒマンを
        アーレントが非難するであろうという
         想定は、見事に裏切られました。
         しかし、違う見方をすれば まったくそうではなく
        彼女の思考の深さを 世間が理解できなかったとも言えるのですが。。。。



        アーレントはアイヒマンの行動を 思考の停止が起こした
        犯罪行為と考えたのです。

        考える事を止めた時、普通の人間が 
         悪を認識せず、指示されるがままに犯罪を犯す----
        これを「悪の凡庸」と
          表現した事が アイヒマンの擁護と受け取られたのです。



        さらに、それを現在に置き換えてみると、「思考」というものが
        どれほど重要であるかが分かってきます。

        例えば ネット情報化社会で
         飽和状態ともいえるそれらを どれだけ自分たちは
         自分の思考で判断し理解できているかという事

        発信されるものをそのまま受け取り
         信じ込む・・・それをまるで自分の考えのように勘違いしてしまっているふし
          は無いでしょうか?

        でなければ、善と悪を区別する事だけに囚われ
         なぜ悪なのか?本当に善なのか?
         までの思考を試みていないかもしれないとは、
         言い換えられないでしょうか。。。

        彼女は映画のラストシーン。。。大学生への8分間のスピーチで
         こう強調します「考える事で強くなれる。」と----



        物事を非難し批判する事はたやすい事かもしれません。

        しかし、そうする前に、
        自分で考え、
        真実に辿り着こうとする事の方が重要である事に気づかなければ

        私たちが、原発などの問題に立ち向かっていくのは
        不可能だと思うのです

        人が、物事を大きく捉え 深く考える事
        を止めたとき
        それは、最大の悪に変わるのです


        
         
         
      
        

        
                 

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