Heart and heart

ありきたりになりがちな毎日をオンリーワンな一日に

セッション

2015-09-12 21:56:36 | 映画

アカデミー賞、助演男優賞の受賞ほか二部門を
受賞した映画「セッション」
しかし、そんな宣伝文句など無くとも
観る人に充分に訴えるチカラのある作品です

個人的にも
今年鑑賞した映画のなかでは群を抜いてインパクトのある
作品でした

とにかく見て頂きたい


名門音楽学校に入学したニーマン
そこには度を越したスパルタ鬼教師がいました

音楽を究めようとするあまり
行き過ぎたレッスンをする教師フレッチャー

その狂気に迫る指導の様子は見ていている側も
だんだんと追い詰められ
心が締め付けられるように痛く感じるほどです


しかし、
映画の途中から、この憑りつかれたようにドラムに向う
青年ニーマンと残酷非道なほどの鬼教師フレッチャーから
片時も目を離せなくなるのも事実です


もしも、
何か技術を習得するために邁進していた。。。
師と呼べる人と真剣に対峙し、認められるため努力した。。。

一度でもそんな経験のある人なら
もの凄く共感できる部分がこの映画にはあるはずです


そのストイックなまでのレッスンは逆に、
周りが見えなくなるほど夢中になったものが無い。。。
という人には
嫉妬に似た思いを引き起こす可能性もありそうです

ここで注目したいのが
ジャズドラマーになるという夢を真剣に追うあまり
大切なものを見失ってしまう主人公ニーマンの姿です



それは、ただ闇雲にドラムをたたいているだけの迷走、
に見えてきます

悔しさが、わずかでも怒りに姿を変えた時、
目的が、虚栄心や顕示欲に変わった時、
視野は狭まり自分の思いとは裏腹に
技術の伸びと進化は確実に、止まってしまうという事実です

不思議なほど心の成長と
技術の進化は表裏一体となります

彼に厳しいレッスンを強いるフレッチャーでさえも
実は、まだ道の途中、 
五里霧中に見えてきます



音楽は「音を楽しむ」-----
なんて悠長な事を言っていられないのがこの映画
「なんでも楽しみながらやる事が大切」
なんて言葉もあてはまりません

一見、ストイックに夢中になるあまり
行き過ぎてしまう二人の姿は間違った事のように思えるのですが、
しかし
何かを究めようと思ったら
その時は楽しいなんんて思えないのが本来なのかもしれません

もがき苦しんでいる時は
辛い心情以外の何物でもないのです

しかしそこを経験した人しか
到達できない頂き、がある事は
映画のクライマックスで明らかになります

最後に観客のモヤモヤが一気に解消される瞬間です

そこで初めて
音楽は楽しいもの、だと思えるのです

心を動かし高揚させる
世の中の様々な物事にはちゃんとその理由が存在している事が解かります




















はじまりのうた

2015-05-14 20:04:48 | 映画

      はじめは5館の上映予定が
      口コミで話題が話題を呼び
      1300館にまで上映館が拡大した映画
      「はじまりのうた」

      進むべき道に迷う人々の再生の物語を
      NYを舞台に描いています

      そして、そこには音楽が密接に絡んでいるのです


     世界的人気の
     モンスターバンド 
     マルーン5のヴォーカル
     アダム・レーヴィンが出演しているのも話題です

     もちろんそれだけではありません
     
     音楽好きにはたまらない
     シーンの連続
      
     昔バンドをやっていた。。。なんていう人も
     懐かしさにジンとしてしまうのでは
 

     落ち目のプロデューサーにみいだされた
     主人公のグレタが
     低予算でアルバムを制作するために
     ゲリラ的にNYの街角でレコーディングするシーンは
  
     観ているこちらまで楽しくなってしまいます
    これは映画の重要なシーン


     主人公グレタを演じるキーラナイトレイの歌は
     決して物凄く上手とは言えませんが

     しかし、なかなか
     雰囲気のあるかわいらしい声なのです


     彼女の歌声がこんなにかわいかったなんて
     という意外性に驚きです



     映画の登場人物は皆 音楽が大好き
     純粋に音楽を楽しみたいのだけれど
     そういかないのが、まだ難しいところ

     人生と一緒です

     これではいけないと思いながら
     もがき苦しむそれらの人々が
     最後は音楽で進むべき道を見つけていきます

     音楽で苦しみ、悩み
     しかし音楽に救われ、楽しむ事の大切さに気付きます

     しかし、じつは音楽でなくても同じ事が言えるのだと思います

      誰もがこのシーンの一つひとつ
     に共感できる部分があるはずです


      さらに注目したいのが   
      映画の舞台であるNYの街並み
      有名なライブハウス=アーレンズ グローサリーや


     おしゃれなカフェ


     ブロードウェイのシアターがひしめきあう
     言わずと知れたタイムズ スクエア

     ユニオン スクエアではグレタとダンがiphoneでジャズを聴きながら
     音楽はありふれた風景を
     特別なものに変えてくれる。。。。と説く場面も


     プロデューサーのダンとグレタが初めて会った夜
     こんなカワイイ地下鉄で別れるシーンもステキです


      こんな様々なNYの街並みが楽しめるのも
      ポイント
      
      美しい街並みと音楽が相まって
      観ている私たちの気持ちも高ぶってきます

      劇中 アダムとキーラナイトレイがそれぞれに歌う
      「LOST STARS」も必聴です

      わたしはアダムの声に痺れました(笑)
   
      サントラも早速購入・・・しばらくヘビロテになりそうです


      映画を見終ると
      音楽と生活は切り離せないものだという事が実感できます
   
      むかし良く聞いていた音楽が耳に入ってきたら
      その当時の記憶がよみがえってきたりする事だって
     珍しくないものです


      そして、お気に入りの音楽に出会えた時の喜びや
      同じ音を共有して誰かと楽しむ瞬間
      そのどれもが
      私たちの人生を豊かなものにしてくれます

      さあ今日はどんな音楽を聴こうか?

      さあ今日はどんな音楽に出会えるだろうか?

      これからも日々の生活に音楽が寄り添っていてくれる事は
       確かです。。。
      
     


     


     


          
      


悼む人

2015-04-07 18:29:43 | 映画

    「悼む人」 
    かなり前に原作を読んで
    強く印象に残っていました
    天童荒太さんの本はどれも読んでいるうちから
    こころを締め付けられる様な感覚をおぼえます
    さらに、
    読後も得も言われぬ何かひっかかりをそこに残し
    しばらくは茫然としてしまう状態です

    原作は素晴らしかったのですが
    映画もそれを決して裏切っていなかったと思います


    私の思ういい映画の基準の一つに
    鑑賞後 同じ映画を観た人と
    それについて 多くを語れるという事

    この「悼む人」もまさにそんな映画でした

    主人公の静人が死者を悼む旅に出るきっかっけは
    同級生の命日を忘れてしまっていた事が発端になります

    あんなに打ちひしがれ悲しんだ同級生の死を
    日々の忙しさの中で忘れてしまっていた自分を強く責めた静人・・・

    彼は、新聞やニュースに出る不慮の死をとげた全国の死者を
    悼む旅に出るのです


    「死生観」について考えさせられる映画と表現するなら

     ひとは死んだらどうなるかという
     死後の世界より
     悼む事で今をどう生きるかを考える事になるのかもしれません
    
     静人の母は旅に出たまま帰ってこない息子に対して
     こんな思いを打ち明けます 
     「こころから愛せる人を見つけてほしい。。。」と、

     思い悩み立ち止まっても
     最後はそれが答えになるのか、と強く納得するのです


     自分探しの旅---などとよく言いますが
     出会った人
     相対する人が自分の鏡だとしたら
 
     誰を愛するか、誰をどう思うかもすべて
     自分に対してのそれと同じことだというのがわかります

     映画を観て感じる事もその人それぞれ
     自分のフィルターによって見えるものは決まってきます


     静人の行動にどんな意味があるのか?
     そんな事より、
     そこから私たちが何を感じられるのかが大事なのかもしれません

     生きている今こそ
     自分について考え、愛する人を思う事ができるのです

    
     

     
     
    
    

蜩の記

2014-11-05 16:20:45 | 映画

       観客動員数が70万人を突破したという
       「蜩の記」
       小説としても非常に読み応えのある物語のようです

       ストーリーの軸となるものが
       「縁 えにし」「契 ちぎり」といったものです
       映画の冒頭で 岡田准一演じる庄三郎が
       「逃れたくても 逃れられないものがある。。。」
       というような 台詞をいう場面があります

       この時代 この映画に出てくる人物はみな
       逆らえない運命の様なものを抱えているのです




       藩のために命を落とす
       お上に逆らえば、切腹を命じられる・・・

       自分の思う様に生きられない時代の人々が
        どのように理不尽な自分の運命を受け入れたのか?

       役所広司演じる 主人公 戸田秋谷が 訳あって
        命じられた10年後の切腹-----その日まで
        自分の決められた命の期限を どう生きていくのか・・・
       それを考えたとき
       毎日をひたすら精一杯生きることで
        命の終わりをうけいれられるのではという思いに辿り着きます

       家族の愛、友との約束、人の人生には 必ず全うしなければいけない
         何かがあります。それを 見失わなければ
        どんな 非人道的罰や理不尽な運命も受け入れる事が出来るというのです





       しかし、時代が変わり 自由に生きられる自分たちが
        逆に 見失ってしまった大切なものに 気づかされるようです

       こころの指針がなければ生きる事さえ厳しかった時代



       主人公 戸田秋谷の日記 「蜩の記」
       蜩・ひぐらしは《その日暮らし》からきているといいます
       明日があるか分からない人生のなかで
       ぶれない軸をもって生きる事は容易い事ではありません
        

       自分のことだけにとらわれていないか?そんな事を考えるきっかけを
        つくってくれる映画です
        

       

       
        

      
     

ある精肉店のはなし

2014-07-08 17:25:46 | 映画

    大阪のある小さな精肉店、「肉の北出」
     牛を飼い 屠(と)殺し、精肉して売る-----
      そのすべて行う小売店
     今では そういう事をしている精肉店は
      この北出家しか無いらしいのです


     天上から吊るされる この見事な枝肉!!
     枝肉とは内臓をきれいに取り除き
     カラダを半分にしたお肉の事


     そして包丁一本で 行われるその
      手さばきも実に芸術のように見事です

     美しい!とさえ思ってしまうほどの枝肉
      手間暇かけ育てた牛を 自らの手で肉にするのですから
      そこには 並々ならぬ思いがこもっているのです



     映画の冒頭 ハンマーの突起部で
      牛の前頭部をたたき
      気絶させるシーンから始まります
      一瞬 残酷と思って目をそらしたくなるのですが、
      次々に映し出される解体の美しい手さばきと
       枝肉に、始めの思いがどんどん打ち消されていきます

     かわいそう-----なんて思っていられません
      だって明日、いえ今夜にも 笑顔でおいしいといって
       食卓に上るお肉を頂くのですから

     これはまさに「いただきます。。。」
     自分に代わって、牛をお肉にしてくれる人達に感謝しなければならないのです

     現在7代目、江戸から続く 北出精肉店の歴史は長いです
     伝統を守る誇るべき仕事。。。。のはずが
       実際 北出家のある貝塚市のこの地域の歴史は
       被差別の歴史でもあるのです
     生き物を殺し生業を立てる
      屠畜業------それを悪しきこととして
        長年差別を受けてきた事実があるのです


     北出家の仕事に無駄は一切ありません
      内臓から皮まで捨てるところが無いのです


      次男の昭さんはこの牛の皮で だんじり祭りの
       太鼓を作ります-----自分の手で殺した牛への
        感謝の気持ちがこもっていますし、その良さを
        一番知っているのも北出家の人々なのです

      スーパーに並ぶ プラスチックトレーに入ったお肉から
       牛の姿は想像し難いですが、この映像をみれば
       自分たちは いのちによって生かされていることが
      容易に分かります。。。。

      たまたまその地域に生まれたというだけで 受ける差別
       それは次の代まで嫌がうえでも続きます
      さらに、生き物のいのちを食べて生きる自分たちの存在
        を確認した時に 正当に受け継がれるものの
        大切さを実感するのです。


      まずは、自分の目で見て知って、確認する----
       いのちがつながっている事が分かれば
        自分がそれを 安易に断ち切る事などできない事もわかります