アラスカに魅せられ、移住し生活しながら
広大な自然を撮り続けた写真家 星野道夫のエッセイです
もともと あまりエッセイというものを読んでこなかったんですが、
(なんとなく敬遠していたのかもしれませんが)
この本に出会って 想像・空想を超えた リアリティ----
ノンフィクションというものがあるのだと
今更 気づかされました・・・・
その文章は、じんわりとさらにゆっくりと、心の奥深いところまで
染み込んで行く様な・・・そして何度でも 振り返り 再読したく
なるパワーを持った ものでした
写真家という 枠にはまりきらない 彼の人生は、冒険家の
。。。一生を通しての旅。。。と言い換えられるものだと思います
そのスケールの大きさは 計り知れないものであり、 読者である
私たちには、ほんの ひとかけらしか理解できないものだと 思うのですが
むしろ そのひとかけらが、心の深くに、大きく根を張るのです
ちょっと変わったタイトル---「旅をする木」とは、
イスカという鳥がついばみながら落とす トウヒという木の種があり、
その種が成長し大きな大木になるのですが・・・長い年月を経て 川の浸食によって
トウヒの木は 雪溶けの洪水にさらわれます・・・木はユーコン川を旅し
ベーリング海へと運ばれていき・・北極海流は アラスカで生まれた木を遠い北のツンドラ地帯の海岸
まで辿りつかせるという
一本のトウヒの木のはてしない旅 からきています。
それは、原野の家の薪ストーブの中で終わるのですが、
燃え尽きた大気の中から 生まれ変わった
トウヒの木の新たな旅が始まっていく・・・とつづっています
木=動かないものが、 自然の力で長い時間を
かけて 海を渡り旅し キツネのマーキングのポイントとなり、薪となる
それを 果てしない年月繰り返す自然---
星野さんは 「この木全体に流れている 北極のにおいに、どれだけ
アラスカの自然への憧れをかきたてられただろう・・・」
といっています
彼自身が 自分と、旅をするトウヒの木とを重ねているかの様です
なぜ彼の旅は、アラスカだったのか・・・
地球上にはたくさんの広大な自然が 他にも存在するにも関わらず
彼は その土地に魅せられ やがては 永住の地として そこを選ぶのです
この本を読み進めていくうちに 自分も行ったことのない アラスカの自然を
想像し 気持ちをふくらませていきます。
-----晴れ上がった夜にオーロラが舞い始めると、秋色はいつのまにか色あせています----
秋はこんなに美しいのに人の気持ちを焦らせます 短い北極の夏があっという間に
過ぎ去ってしまったからでしょうか。それとも長く暗い冬がそこまで来ているから
でしょうか。初雪さえふってしまえば覚悟はでき もう気持ちは落ち着くというのに
・・・僕はそんな秋の気配が好きです-----
----無窮の彼方へ流れゆくときを、めぐる季節で確かに感じることができる
自然とは、なんて粋なはからいをするのだろうと思います。
一年に一度 名残惜しく過ぎていくものに
この世で何度めぐりあえるのか。その回数を数えるほど
人の人生の短さを知ることはないのかもしれません
アラスカの秋は自分にとってそんな季節です----
彼が 幾度となく 本の中で 繰り返すことばが(
人生はとてつもなく短い)ということ
大学時代に彼の親友 が登山の際 遭難し亡くなった経験をし、
人にはいつ終わりがくるかわからないということ を強く感じたようです
アラスカの厳しい自然が 彼の人生とリンクし 厳しいからこその 春のよろこび
一瞬という時間の大切さ さらに 人間の力では抵抗できない とてつもなく
大きなもの・・そういった存在を 確認し伝えていく事を
自分の役目と感じたのでしょうか?
そんな中でも 文明の波は確実に押し寄せ アラスカの人々の生活、環境は確実に変化し
さらには 地球環境、動植物の生態系をも変化させているのですが・・・
アラスカを旅する中、彼は一方で、人間の歴史をはかる自分なりの尺度を持ったそうです
それはベーリンジアの存在
最後の氷河期、干上がったベーリング海をモンゴロイドが北方アジアから北アメリカをわたってきた
1万年という時間の感覚
人間の一生を繰り返すことで歴史を遡るならば、それは手がとどかないほど過去の
出来事ではないと。。。
そうするとヨーロッパの数百年の歴史など実に最近の事に思えると・・・
それは人間の歴史の浅さに対してなのか、人間の暮らしの変化の速さに対してなのか・・・?
と言っています
大きな自然の歴史に対して人間の歴史などほんのちっぽけなもの・・・
しかし その偉大な自然をまもって 子孫に残していくために、自分たちの生活を見つめながら
同時に 地球のどこかでは 熊の生活があり クジラが海を泳いでいる時間がある事を、
意識するか しないかは 天と地の差ほど大きいと言っています。
彼のアラスカでの生活は イコールとてつもない大自然との 共存、それは生活しているものにしか
分からない厳しい世界---
しかし、 幼少のころみた夕焼けは、今もこころの奥で アラスカの生活につながているし、
学生のころなどは、東京で電車にゆられていても、北海道の山奥では、同じ時間にヒグマが呼吸し
暮らしているかと思うと どうにも不思議でならなかったっそうです---
----おそらくそれは すべてのものに同じように平等に時間が流れている不思議さ---
と表現しています
ある自然番組 を撮影しに来たスタッフと一緒になったとき 天候の影響もあり、思うように
撮影が進まず あせるスタッフに、
一生懸命やったのだから十分ではないかと・・・相手は自然だし、撮影がうまくいったとかいかない
なんて 10年後や20年後振り返れば それはたいした問題じゃないと・・・
それより 足元の花をよくみたり 風を感じることの方が大事ではないかと・・・
撮影に気をとられ自然を本当に見ていないと感じた彼は そう言ったそうです
アラスカの自然を目の前にしたとき、その歴史の大きさに敬意をもち、
さらにそこに 生かされている 自分の人生の短さを感じた 彼の文章は力強くもあり
やさしくもあります
日々の小さなことにとらわれすぎている生活に、ふっと読みたくなる本です
宙に飛び上がるザトウクジラでさえも おおきな海のなかでは ほんの小さな生き物
であるという事を・・・思い出させてくれます