
結願寺へあと2キロくらいの場所で車を降りる。
立派な石の灯篭がある。2メートルはあるだろう。
古くなっている。どなかかの寄付による灯篭であろう。
遍路道には古いこのような灯篭や標石がいたる場所にある。

電柱に貼られたこの案内物。
以前に比べて良くなった。雨や風に痛まぬようの加工されている。これもボランティアの方々による物。
生かされて歩く、人生は決して独りでは無いと、、、お大師さまと同行の遍路道で思う。

目を凝らさなければ分からないような場所にも石の佛さま。
季節の花が供えられて新しいよだれかけも。
注意を払わなければ通りすぎてしまうようなガードーレールの向こう側にあるのだ。
🐢 草紅葉見すごしさうな石佛

少しピンボケの写真。
紅い実がさみしい遍路道に色を添えている。

連れ合いが立ち止まって見ていた嫁菜の花。

近くに富士薊が。
🐢 なびき癖あるまま草の末枯るる
旧遍路道はこの辺りに住んでいる家々も使用をする道路があり道幅も広い。
大窪寺へ行く主要な道は車がスピードをビューンビューンと飛ばしていて、おちおち怖くてゆっくりと歩けない。


新しい道路を走っていた時、目にした藁葺屋根の家。
旧の遍路道を散策をしていて、その家を見つけた。

柿を捥いでいた、男性の家だそうだ。
古くなったから壊す準備をやっているそうだ。
見るからに古い。今にもたおれそうだ。
しかし、もう無い藁葺屋根の家。郷愁を感じる。懐かしい。
暖かい日。改めて古い遍路道を歩こうと思った。
🐢 木守柿もうじき壊さる藁の家
🐢 身に沁や結願の鐘の遠くから