老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   屋島から瀬戸大橋が見えた

2019-12-13 16:34:58 | 俳句

 

  

 

屋島へ登る。シャトルバスで。

勝手知ったる屋島だと思い、山頂から見える瀬戸内海の地図を見た事がなかった。

良いお天気で下に見える瀬戸の海はまことに素晴らしい。ちょっと気まぐれに立て看板の地図を見ていると瀬戸大橋の方向が書かれてある。

カメラを覗くとまあ、、遠くだから、おぼろげに、かすかに瀬戸大橋が見える。パチリ。。

その一枚がこの写真。決して良い写りではないけれど、屋島山頂から瀬戸大橋が見えると知った驚き。

 

      

 

この写真は屋島を撮る人の恰好のロケーションの場。四季折々の写真は何度も目にした。

今日は冬紅葉の屋島嶺。鬼ヶ島と男木島が後ろに見える。珍しい風景ではないけるど空と海と屋島が綺麗かった。

 

     

 

この山門を潜って裏参道を降りると我が家までは一直線だ。

ゆっくり、ゆっくりと杖をついて降りる。右の膝が悪い事を忘れていた。一歩一歩に負担がかからないように歩くが、何と大馬鹿さんだこと。平坦地と違うって事を失念していたのだ。

今夜、痛まなければよいのだが、、、

40分程時間を費やした。

 

           木の洞に仏が二体 X X X

さて季語は?山眠る。冬の山。冬紅葉。何とでも詠める。季語が動くとはこういう場面か、、、枯れた木の洞に小さな仏さまが、、、どなかかがお祀りをしたのだろう。私は初めて見たのだけれど、、、、

 

           膝笑ふ石佛の赤い毛糸帽

消化不足。

 

           納経所大きな薬缶ストーブに 

見たままじゃ。

 

           仏のほか信じぬと冬の遍路かな

 

このかたくなな強い信念の持ち主の50才くらいの女性のお遍路さん。八十八の札所寺を回るうちに、やわらかく雪が解けるよう、薄紙が剥がれるよう、きっと心がほぐされると思いつつ、後ろ姿を見送った。

 

自分が一心不乱に仏さまや神さまを祈ったことがあっただろうかと、心の中に問いかけた。祈る姿に接すると、私は何か欠けているのではないかと反省をする。

     

コメント
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