老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    瀬戸芸  その二(大島)

2019-05-09 01:02:04 | 俳句

          闘うて鷹のゑぐりし深雪なり    村越化石

 

青年期にハンセン病を発病する。俳号は、自らを化石となってしまった存在とみなす覚悟を示すものだが、それだけに俳句にひたすら打ち込んだ。

積もった雪の上で闘いあう鷹が、雪を翼でえぐる。その激しさを、見えない目の奧で激しく感じている。   ( 大岡信 折々のうたから)

 

その、村越化石さんが病んでいたと同じハンセン病の患者さんの療養をしていた島、大島へ、昨日は訪れた。 瀬戸芸の開催の島でもある。

ハンセン病は、古くから世界中にあり、不治の病と思われていた。映画の「十戒」でもこの病のシーンがあった。それほど昔からあり、罹病をすると、知覚麻痺や変形をきたし、顔などに後遺症が残ったことから、差別や偏見が強かった病気であった。

もともとは二つの島が砂州でつながって、面積0・62平方Kメートル、周囲7・2Kmの小さな狭い島である。

この島に国立療養所があり、このように全国に13か所療養所があり、そのうちの、群馬県の療養所で、化石さんは俳句に向き合った。

化石さんのように立派な俳人、歌人、小説家、詩人、、そしてそれなりの多感な人々がこのような閉鎖された場所で一生を終えたと思うと胸が詰まる。

昨日は島の全体が見える高台に登った。青い空、青い海、手が届きそうな所に私が遊ぶ庵治の浜辺や牟礼町の丘がある。 だのに、、向うの岸は近くて遠い。登る途中に「西の遠吠」「東の遠吠」と書いた立札の場所があった。細い草の繁った径を行き、島の先端から、西へ東へ故郷の方向へ向かって、母恋し、島を出たい、故郷へ帰りたいと叫んだ場所だと想像をした。 何とも言い難い。

昨日はカメラを置いて行った。パチパチと写真を撮るのは控えさせてもらった。

物見遊山の瀬戸芸ではなく、常に訪れることがあまりないこの島で、自分の余生をどう生きるか村越さんや、塔和子さんを通して少し考えてみたかった。

 

           やどかりや捨てある石の手術台

患者さんの手術台は大きな平な石である。長い間海の底に捨てられていたから、石には貝殻が沢山ついている。

           黄の花咲く豚舎の跡や風涼し

           春惜しみ流した涙は真珠色

           浜昼顔近くて遠い向う岸

 

瀬戸芸の参加作品で、青い人魚が泣いていた。海に漂う塵を嘆き、汚れる自然を悲しむ涙を流し続けている作品だ。

自由を政府の政策で奪われ、一生を島で暮らした患者さん達の慟哭の涙とも、、、

そんな青い海の底で泣いている人魚が印象に残った。

 

私の句の甘いこと甘いこと。            

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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