老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

{ 人情選 } と { 身内選 }

2015-07-06 11:27:40 | 俳句

★   明日植うる藍の宵水たつぷりと   豊川湘風 
   

 今まで色んな句会に参加した。
初めての句会は、夫の代わりに参加。句会の参加者が少ないので、遠い所から教えに来て下さる先生に、申し分けがないから、一人でも数を多く揃える、ようするに、(さくら )としてだった。それが、始まり。
郵政省で、富安風生 の秘書となり、俳誌 「若葉」の編集長なども勤めが、リタイヤして
田舎で余生を、過ごしていた方。この先生の句会だった。、俳話は面白かった。お亡くなりになった。

 この句会のやり方は
短冊に自分の句を書く。7句くらいかな。
皆さんの句を集めて、誰の句か判らないようにして、参加者が清記用紙に句を書き写す。
右まわりに句稿が渡される。自分が良いと思う句の選。
どこでもやっている、ごく普通の句会。

  

 今、参加している句会。
中央から、主宰が主席なさる句会では上記の句会とほぼ同じだが、別紙に、自分が出句した句を書いて主宰に出す。主宰はその紙で選句する。常にえこひきの無い結社だから、名前を見たからと、選にはひびかない。  しかし、地方で吟行した時など、主宰より古い方で、今まで結社に貢献した人が、傍らで、自分の句をちらちらと見せている。(あくまで、感じ)
異質な句が選ばれて、発表されると 大概この大先輩の句だ。仲間は理解したうえで笑って見過ごしている。誰も責めない。
 これを { 人情選 } と言うらしい。

大きな超結社の大会。又は大新聞社の投稿俳句などで、自分の結社の人間ばかり 特選とする主宰がいる。これを{ 身内選 } と言うらしい。俳句など、答が出るものでないから、先生が「この句はいいですね 」と言えば佳句になってしまう。他に良い句があっても、名前で採るから、この人以外の句は目も通うさないんじゃないかしら。こんな裏がある選に入り勘違いしている人が往々にいる。
 {身内選}と{人情選}があり 別のものと理解する。楽しくやっていれば、どってことはないが、度 が過ぎると天下の大先生も、晩節を汚すことになる。




 又ある句会、箸にも棒にもかからない精神性の句会。こんな句会もありと思うと、この結社で頑張っている 他の誌友が気の毒になった。
句会は上記と同じだが、ここからが違う。初めに、必ず、鉛筆で書いて下さいと言う。
句会が終わると、皆さん、まずかったと思う句は消しゴムで消す。上手な人の添削もしてもらいつつ、書き直された清記用紙が、主宰の元に いくばかりかのものと、届けられる。
たまには主宰の直しも入って、○ が入った句が戻ってくる。
その結社は5句投句。○ が2つか3つ、戻ってくるので 後、頭をひねって2~3句作る。
一年や2年の俳人がそれを土台に投句するから、堂々と5句載っている。それは、才能あればよいことなのだが。。。。沢山、句が載ればそれで良いのでは、何年たっても同じレベルではないだろうか。
たまたまブログを読んでいて見つけた、その結社に属している方。10年選手だ、今月は、先生が2句採って下さいました。今月は、先生が小生の句を恥ずかながら3句も採って下さいました。嬉しい、嬉しいと綴っている。、、、のだ。
こつこつと勉教を積み重ねている。これが本当だ。先生は贔屓の女性から頼まれて特別に扱っているのが精神を、どこかへ置き去りにしている私が入っていた地方句会なのだ。件のブログの主が気の毒になった。
名の知れた、大先生が主宰をする結社でこれだから、俳句界は魔訶不思議な所なのだ。趣味の世界とは言え、馬鹿みたいだから退会した。退会は正しかったと、自分で自分を誉めている。羊頭狗肉の結社だった。たかが俳句、されど俳句、ちっぽっけだが矜持がある。


 しりとり俳句に時間を潰しすぎ。本来の精進を置き去りにしている。    
      昨日のしりとり俳句
 
   🎋     念入りの化粧初めて盆踊

   🎋     水が水押し素麺の流れくる 

   🎋     梅雨ながし猿除け煙火揚がりけり

   🎋     いつの時も彼が輪の中祭笛

   🎋     遠眼鏡置きある瀧見茶屋なりぬ

            

コメント
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