山の自然

身近な野山の花、虫や鳥たちの写真を撮ってます。それと農業も。

自分探しの旅 ⑥

2009年09月30日 | その他
私の父親像は、何でも出来る「スーパーマン」のような存在だったのです。

小さいとき他界してしまった父親(私の祖父)のあと、母親(私の祖母)を助けて苦労してきた父です。

その父が、今年になり急に起こした行動は、今までの人生の総決算のような気がします。

何か、仏様でも神様でもなく、もっと何か崇高な域に達してしまった存在に見えるのです。

しかし、家に帰ると何もなかったかのように、毎日の自分の仕事に励んでいます。

仕事って?

それは毎日家族の洗濯ものを物干しに干し、取り込むのです。

1階から2階へと上がったり降りたりしながら。

この歳の時代の人には、とても考えられないことです。

感謝することしかできません。

本当にありがとうございます。

これからも長生きして下さい。

天から(2階)から「わしゃ~、100歳までは生きるぞ!」と大きな声が聞こえてきました。(終)
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自分探しの旅 ⑤

2009年09月29日 | その他
最近の父を見ていると、何事にも謙虚で、一つ事を我々がすると、「ありがとう」、「ありがとう」と言います。

ごく普通のことですが、我々は日常では、省いてしまうこともよくあります。

父は、小さな孫でも、老若男女誰一人区別することなく、素直な気持ちで言葉を発しています。

現代人は、つい感情的な言葉を発しやすいのですが、父は感謝の言葉を忘れません。

私の兄弟は3人なのですが、子供時代に父から叱られたことはありませんでした。

この歳になって初めてその理由を尋ねてみました。

その答えは、「自分は、母親から勉強しろと言われたが、嫌いでしなかった。

そんな頭の悪い者が、自分より良くできる人間を叱ること等できなかた」と一言。

それを聞きびっくりしました(続)
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自分探しの旅 ④

2009年09月28日 | その他
父は、私たち夫婦の知人に初めてにお会いしたのですが、「初めてお会いする気がしない。

何か生まれる前からの知り合いのような気がする」と言いだしたのです。

相手の方も、同じようなことを感じておられました。

父は何度も「ありがとう」、「ありがとう」と大粒の涙を流していました。

今回の旅で「よかった」、「よかった」と悟りきったようなオーラを見ました。

何かほっとする母なる大地に出会ったようです。(続)
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いよいよ・・・

2009年09月27日 | 農業
「自分探しの旅」はまだ続きますが、ちょっとお知らせを!


秋の風が吹き、ススキが揺れています。

周囲のたんぼは何処も、稲刈りがすんでいます。

我が家のたんぼもやっと稲刈りシーズンがやって来ました。

10月4日(土)に第一弾の稲刈りを開始します。

今週は、稲刈りに向けての準備に追われることになります。

畦の草刈りに始まり、稲架干しのための支柱に、そうそう、今年は稲を掛ける竹の切り出しに行かないと竹の寿命が来ていました。

鎌に、稲を束ねる藁に、と紙に書き出さないと分からなくなりそうです。

稲刈り体験なさりたい方、一度思い切ってやってみませんか?

楽しいですよ。

はまってしまいます。

是非、一報をお待ちしています。
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自分探しの旅 ③

2009年09月26日 | その他
和歌山の知人が、「和歌山においでになられたのですから、根来寺(ねごろでら)をご案内します」と言って下さいました。

根来寺を開創されたのは、覚鑁(かくばん)上人と言われ、肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)でお生まれになりました。

空海が入定後 約三百年 高野山で真言密教を修めた覚鑁は、教学復興の拠点として現在の位置に根来寺を開かれたそうです。

根来寺を開かれた、 興教大師覚鑁 (こうぎょうだいしかくばん) 上人の 御廟所 (お墓)をお参りさせて頂きました。

御廟所 の前で頭を垂れた父は、「これでほっとした」と、今回の旅の目的を果たしたようでした。(続)
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自分探しの旅 ②

2009年09月25日 | その他
たどり着いたところは、和歌山県 紀伊国一ノ宮 紀伊国祖神(きいのくにおやが

み) 伊太祁祖神社(いたきそじんじゃ)でした。

紀伊国(木国)の一ノ宮として朝野の崇敬を受け、明治18年には国幣中社に列格

し、大正7年には官幣中社に昇格しています。

平成14年(西暦2002年)は伊太祁曽神社の初見記事である大宝2年(西暦

702年)より数えて1300年にあたり、ご鎮座1300年式年・奉幣祭を執り

行い、畏くも天皇陛下より幣帛料を頂戴致されたと言う由緒ある神社でした。

御祭神は、五十猛命(いたけるのみこと) / 大屋毘古神(おおやびこのかみ)

大屋津姫命(おおやつひめのみこと)

都麻津姫命(つまつひめのみこと) で、素戔鳴尊(スサノオノミコト)の子神に

なるそうです。

これで、岡山の一宮の吉備の中山(吉備津神社、吉備津彦神社)、広島の一宮

(厳島神社)、和歌山の一宮と三つの一宮にお参りすることが出来ました。(続)
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自分探しの旅

2009年09月24日 | その他
今回の旅は、これだけでは終わりませんでした。

広島から高速道路で帰路岡山へ向かいましたが父曰く、「和歌山へ行こう!」と。

いったいどういう事でしょうか?

父に聞くと、「何か行かんといけんような気がする。」

今度は、どうも自分のルーツを探っているようです。

和歌山県は、岡山県と「わ」と「お」との一文字違いで、なにかしらつながりがあるようです。

和歌山県内に入り、道路を走ると「備前」とか「吉備」とか、岡山県と同じ地名があるのです。

岡山に帰ってから調べてみると、吉備の國の時代から船で往来されていたようです。

和歌山の根来寺からは多くの備前焼が出土しているそうです。(続)
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戦争の総括③

2009年09月23日 | その他
父は、復員後長い間戦争について語りませんでした。

約十年前に同じ部隊の方が尋ねて来られました。

どうやって調べてこられたのは分かりませんでしたが・・・。

その後、年賀状のやりとりで、その方が亡くなられたとのことが分かったがその後は音信不通となっていたのです。

今回その方のお宅を訪れたいと言うこともあり出発したのです。

現地へ出向くと新しい球場が出来、周囲はがらっと変わってしまい、まったく手がかりはありませんでした。

戦争したことのお詫びをするため、広島の一宮である「厳島神社」にお参りしてきました。

長い間ご苦労様でした。

父の胸のつかえも落ち、終戦もやっと来たようです。(続)
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戦争の総括②

2009年09月22日 | その他
広島の地では、戦争のため原爆で多くの方が亡くなられました。

それ以外に、父が戦地に出兵したのが広島の地だったのです。

出兵の前夜、最後の夜お世話になった小間物屋さんの御礼に行きたいと。

また、父は満州で終戦になったんですが、無事帰国できたのは大部隊の中ほんの数えるほどしか帰国できなかったそうです。

終戦直後、「軍属のものは、逃げろ。このままだと北に連れていかれる。生きて帰れん。」と当時の部隊長が言ってくられたそうです。

みんなと逃げたそうですが、その間に散りじりバラバラなっていったそうです。

途中では、今まで日本がしてきた反動で、地元民に仕返しをされ多くの日本人が殺されたのを見たそうです。

大変怖い目にあったのです。

やっとの思いで、帰国したのです。

帰国できたのは、わずか数人だったそうです。(続)
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戦争の総括

2009年09月21日 | その他
一昨日、父がまた「お~い、広島に連れて行ってくれ」と言い出しました。

今年に入り、沖縄に始まり、先日の身延山まで色々なところへ出かけてきました。

そして今回初めてその理由が分かりました。

今回、「戦争で亡くなられた方の供養をしに行きたい」と。

きっかけは、怖い夢を見たのです。

内容は覚えては居なかったのですが、とても怖かったそうです。

戦地では、目の前で人が死んでいったそうです。

本当に怖かったそうです。(続)



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稲刈り直前

2009年09月20日 | 農業
  


今年の稲づくりは、大変でした。

田植えを行う時期には雨が降らず、時期をずらせながら何とか済ませました。

田植えの時の水が抜けないように、何とか穂がつくまで確保できました。

お陰様で、何とか実りました。

でもね、最後になってから。「ひえ」の襲来を受けてしまいました。

とはいえ、穂も垂れ始めました。

この様子だと来月初めには稲刈りが出来るかな?




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福神漬

2009年09月19日 | 農業
  


今年は、楽長が「なた豆」の種を植えました。

ダッシュ村で「なた豆」を植え、出来たまめを使い「福神漬」を作ったのを以前放送されましたのを見てから作りたいと思っていました。

昨年、道の駅に置いてある「種」をやっと購入し植えましたが、残念ながら一切発芽せず。

がっくり来ていたのですが、今年はそれを聞いていた妹から新しい種をもらうことが出来ました。

おかげでこのように大きくなりました。

豆の大きさは、20cmを超えています。

でも、収穫時期は何時?

又聞いてみないと分かりません。

どうか無事収穫が出来、美味しい「福神漬」が出来ますように!
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沢田の柿 

2009年09月18日 | 農業
  
 

昼間の日差しも軟らかくなり、秋らしくなってきました。

久しぶりに沢田の柿への訪問です。

草刈りをするために為に来たのですが、まずはの実の出来栄えからと・・・。

「おう~」、沢山の実が付いています。

大きさは?

摘蕾、摘果の際、見ていると段々欲が出てき、落とすことをためらいそのままにしたのですが、その結果と言えば、やはり小振りの実が付いていました。

もう少し多く落とせば良かった・・・。

まあ、売るわけでもなし、食べるだけ出来ればいいかと思いながら、作業開始です。

10月20日から販売開始になります。

そのころに、収穫祭も企画されているようです。

後一ヶ月、早く熟してもらいたいものです。

これから、美味しくなあれ、もっと、もっと美味しくなあれと祈りながら・・・。
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満喫

2009年09月17日 | ロハス
 

朝一番の富士山です。

ちょっと雲が出ていますが、山頂がよく見えます。





朝霧高原でのツーッショットです。





白糸の滝では、滝壺の近くまで降りて、美味しい水で喉を潤しました。




富士川SAのスターバックスで、コーヒーを飲みながら富士山さんの見納めです。

富士山もちょっと恥ずかしがって、雲のベールをかぶっていました。

93歳野父、88歳の母、70歳の従姉、従姉の連れ添いが77歳と還暦前の我々夫婦6人が、1,320kmと言う距離を事故も病気もなく無事行くことが出来ました。

母は、岡山駅に行くだけで翌日は寝込んでいましたが、今回は至って元気で、これもおかげと喜んでいます。

これからも家族みんな元気で過ごせますように!
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身延山 ・ 久遠寺

2009年09月16日 | ロハス
 
天気も快晴、車から富士山が望めます
  
久遠寺                           五重塔


三日目は、いよいよ今回の最大目的地です。

前日の雨は、この日のために清めてくださったようです。

天気は快晴、車からは富士山も見えます。

両親と二人の姉を供養するため、ここ身延山久遠寺にやっと来ることができました。

父親が抱いていた色々な思いが溢れているようです。

本殿で和尚人様にお経を上げて頂き、みんなで拝むことが出来ました。

「これで、気持の整理がついた」と父も長年のお参拝が出来「ほっと」したようです。

宿へ行く途中に夕暮れの富士山に会えました。



なんと「赤富士」です。

湖畔の周りには、多くの写真家達が、シャッターチャンスを逃すまいとカメラを覗いています。

それにしても「赤富士」は「あっと」いう間に消えていきました。

雨もこの場を清めるため?色々な表情をした富士山にも会えました。

長時間歩けない母ですが、この「赤富士」には、感激したようです。
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