山の自然

身近な野山の花、虫や鳥たちの写真を撮ってます。それと農業も。

戦争の総括②

2009年09月22日 | その他
広島の地では、戦争のため原爆で多くの方が亡くなられました。

それ以外に、父が戦地に出兵したのが広島の地だったのです。

出兵の前夜、最後の夜お世話になった小間物屋さんの御礼に行きたいと。

また、父は満州で終戦になったんですが、無事帰国できたのは大部隊の中ほんの数えるほどしか帰国できなかったそうです。

終戦直後、「軍属のものは、逃げろ。このままだと北に連れていかれる。生きて帰れん。」と当時の部隊長が言ってくられたそうです。

みんなと逃げたそうですが、その間に散りじりバラバラなっていったそうです。

途中では、今まで日本がしてきた反動で、地元民に仕返しをされ多くの日本人が殺されたのを見たそうです。

大変怖い目にあったのです。

やっとの思いで、帰国したのです。

帰国できたのは、わずか数人だったそうです。(続)

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戦争・・・ (skarret)
2009-09-23 11:08:33
80歳前後の方達は本当に苦労をされたようです
あまりに壮絶で、想像もつきませんが・・・
戦争の悲惨さは、生で体験した人にしか
わからないんでしょうね
言葉でいくら<大変でしたね>って言っても、
・・・軽いんでしょうね

今、従兄がその父の戦死のいきさつを
調べているようです
両大戦を戦い、最後に沖縄で戦死してしまった・・・
顔も、覚えていない父のことを・・・
いろんな、悲劇がありますね
人生をまっとうするのが当たり前の現代
先輩達の、話をもっともっと残して
伝えていくべきですよね

友愛の世界が実現しますように




返信する
つらいおもいで (toto)
2009-09-23 13:05:41
(skarret) さん、こんにちは。

戦争時代のことは、今まで話をする事じゃなりませんでした。

日本に無事に復員できたのは、わずかの人数です。

生きていることでさえ「悪」のように思っていたのでしょうか?

かなり辛かったようです。

今の時代史か知らない私たちには想像も出来ない時代を過ごしてきたのだから・・・。

今は、戦争でなくなった方の分まで長生きをしてもらいたいものです。
返信する
でんしょう (toto)
2009-09-23 13:23:13
従兄さんが、父の戦死のいきさつを調べておられるとのこと、辛いお話が多いかと思います。

しかし、この辛い話も今はこの日本に必要なのではないでしょうか。

余りにも平和な國日本。

國を愛する気持が、命を掛けて守ってくれた日本。

その日本が何かおかしくなっています。

この尊い命に対して、現代人がもっと考えて行動し、未来のニッポンは勿論、世界、地球、宇宙全てのものが幸せになるようになってもらいたいものです。

その為には、このような事がらは、文字し次の世代へ伝えていく必要があると思います。

戦後も既に64年です。

当時の方もかなりの高齢になり、なかなか調べることが困難になっていると思います。

大変でしょうが、調べてお父様を供養してあげて下さい。

そして、平和な時代が来るように。
返信する
残すべき (skarret)
2009-09-24 09:51:37
父は旧国鉄に居たため、ぎりぎり戦争体験はなく、家も農家で、
それ程悲惨なことにはならなかったようです。
母は、水島で飛行機を作ったり、岡山空襲を体験
西川の凄惨な様子を話してくれました。
そして、岡山から、牛窓まで弟と歩いて逃げ帰ったそうです。
途中で飛行機からの、機銃掃射にあいながら・・

早く、集めておかないと
皆、いなくなってしまうから・・・
誰か、集めているのかな
返信する
残す努力 (toto)
2009-09-24 23:38:56
戦争を経験された方は、それぞれの地で大変怖い思いをされてきたのですね。

現在岡山市においては、岡山空襲の関係資料を集め、6月29日にはデジタルミュージアムにおいて、戦時中の多くの資料・聞き取り資料を展示してあるそうです。

その他の資料も、多くのものが、デジタルミュージアムに保管してあるようです。

返信する

コメントを投稿