無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

かつぎ(被衣)

2008-06-25 10:41:47 | 社会
あいおい工藤美術館に行って、工藤先生に教えて頂いたら、もっと色々な事を知ることが出来そうだが、時間があるのでググッてみた。

山形新聞の記事 庄内被衣(かつぎ)

カメヤダイレクトさんより引用
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【被衣とは】

かつぎとは、平安時代以降に武家や身分の高い家の婦女子が外出する際、顔を隠すため頭から衣をかぶったこと、また、その衣のことです。着物のうなじにあたる部分を額に引っかけ、(袖に腕を通さず)袖と身頃を垂らして用いました。

被衣のうえにさらに市女笠「いちめがさ」をかぶったり、旅行には笠のまわりに虫垂衣「むしのたれぎぬ」という薄い布を垂らすこともありました。ちなみに、市女笠の“市”は物売りの意で、物売り女が被った笠だったのでこう呼ばれました。菅「すげ」の線維をたたいて編んだ深い編笠で、上等のものには篠竹の皮などが使われています。

当初被衣には、小袖「こそで」(現代の着物と同じ形状)を用いましたが、結髪の発達した近世以降(安土桃山時代~江戸時代)には、衿肩を広くした掛仕立「かけしたて」や襟肩を下げた“かつぎ仕立”と呼ばれる形状が多くなりました。その後、慶安4年(1651年)に女性のかぶり物が禁止されてからは、御所風俗と上流階級の婚礼・葬儀にのみ残され、現代では専ら歌舞伎や能楽、日本舞踊や狂言といった伝統芸能で使用されています。

海外においても、女性が外出するときにヴェール、面紗「めんしゃ」などで顔を隠す習慣は、インド、イラン、トルコなどの東方諸国のヒジャーブ(ヘガーブ)をはじめ、 西ヨーロッパにも古くから見られます。
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ここのHPを見ると、かつぎは普通の着物の仕立てとは、ちょっと違った仕立て方をしているようだ。かつぎ専用で、普通には着られない事が分かると思う。

江戸時代にかつぎが禁止されてからは、布で顔を覆ったり、男性なら虚無僧の笠を被ったりして身分を隠したのだろう。
先日、ぶんずのぼんこのかっちゃんを、御高祖頭巾(おこそずきん)を被った武家の奥方のようだと書かせて頂いた。
yukacanさんのイズミル便りでは、日本に来日されていた大統領夫人のスカーフの巻き方が美しいと書かせて頂いた。考えてみると、日本でも様々な布の被り方をしていた。何の為に、どの身分でが一目で分かり、しかもお洒落だと言うのが素晴らしい。比叡山の僧兵や、鞍馬天狗、忍者など、色々と思い出す。

庄内でも独特の被り物がある。女性が農作業で用いた「はんこたんな」がそれである。今度はそれについて書いてみようと思う。



コメント (7)
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