蕎麦畑を通して、柏倉邸全景を見る。
母屋の台所側
西蔵(米蔵)現在は博物館になっている。
台所の梁にぶら下げられた米俵。
地震の時の揺れの反作用にも効果があったような話を聞いた。
かなりの数のフック(釣り下げ用)が並んでいた。
台所には、女中部屋もある。(左側の部屋)
雪の多い地域での茅葺きの谷には、こんな形の銅板加工の物が使われている。
母屋裏につながる蔵。扉には左官のコテ仕上げの模様が浮き彫りにされている。
なんでも、お目出度い柄なのだそうだ。
米蔵の裏手にあった作業小屋。
中には人力車も格納してあった。
仏間(蔵)に向かう縁側。
右手がその仏間である。
ここから仏間に入る。
浄土真宗東本願寺よりを仏像を奉っても良いとの覚え書きもある。
京都で作成された仏壇を数百年守ってきた。
安置されている阿弥陀如来は鎌倉時代と物と伝えられている。
仏壇両側の板戸には、金の蒔絵で描かれた蓮の花が見事である。
脱衣所の洗面は、漆塗りで仕上げられていた。
上湯殿(浴室)の天井は折り上げ天井。
なかなか嗜好に凝っている。客用で、普段使いにはされていない。
湯殿内部。浴槽など木部には漆で仕上げられている。
輪島の職人による総漆塗り
前蔵、及び上座敷に続く廊下。
一見何の変哲もないが、この天井の竿縁は、1本物である。
7間半(約13.6m)通しで使用されている。(幾らするんだろう!)
上座敷内部。紅花初めの着物が掛けられていた。
客用の着物も一揃い置いてある。
床の間脇の違い棚。(ピントぶれあり)
扉が開いているのは、徳川の家紋が掘られている書庫。
中には源氏物語の写しが全巻揃っている。
中身を見せて貰った。美しい文字だった。読めなかった。
襖の絵が見事だった。作者は帝国美術院会員の荒木十畝氏である。
荒木氏は、昭和天皇の皇后陛下の絵の先生でもあった。
母屋の上壇の間の障子
紙の張り方、切り絵が面白い。
ここで抹茶を頂く。
当主は、「私の所で採れた梅です。手づかみでどうぞ!」と薦めた。
籠の中で、葉っぱを敷き詰めた上に、青梅が山盛りになっていた。
青梅そっくりの和菓子だった。柏倉家当主は、なかなか面白い方だった。
床の間。部屋の壁には襖絵が描かれている。
では、ウルトラマン3分のエネルギーが切れたので、仕事に戻ります!(って0時20分すぎだよ、トホホ)
維持も大変でしょうし
使い勝手も悪いんですよね
残したいけれど
そこが難しいところですよね
専門用語はわかりませんが
唯一聞き覚えのあった
<トラス>
大石田の最上川に架かる
<トラス橋>
ばあちゃんちに行く時
必ず渡らなければならない橋が
風が吹くと揺れて恐かった
この橋を渡らないと
ばあちゃんちには行けない・・・
丈夫な構造なのでしょう?
ところがNHK特集
危ない橋をもつワースト1が
山形県なんですって
恐くなってきました
以後、気をつけ・・・・。よしっ、もっと探してこよう。←こらこら
私ももう少しゆとりが出たら、この柏倉邸のあった町の事を書きたいと思います。メモリがいっぱいで、写真に撮って来られなかったのが残念なんですが、とっても素敵な町並みでした。
新緑の頃も綺麗なのですが、紅葉の時は凄いそうです。山形県でも内陸は、気温の差があって、見事に紅葉になりますね。(庄内は風もあり汚く枯れるのです。)良い所を沢山見せて頂いた見学会でした。
知りませんでした。道路特定財源の話で、新しい道路を作る為だけでなく、橋などの補修を早めにして、長く持たせることが大切だとは聞いていました。
今回の地震は抜きとして、通常国道の土砂崩れで一番通行止めを出している県も、東北では山形が一番なのだそうです。貧乏県なので、困りました。
トラス構造ですが、少々揺れても大丈夫です。大きな部材の力で支えるラーメン構造と違って、トラスは細い部材でお互いが支え合って外力を逃がしています。素晴らしい考え方だなと思います。ただ最近は材料より人件費が高いので、土木ではトラスはあまり使われません。
オリエンタルカーペットの木造の工場は、この木造トラスだから味がありますが、建て替えになると多分鉄骨造になり、全然つまらない建物になると思います。懸念しているのは、木材の劣化と鉄(ボルトなど)の腐食の時期が一致していないことでしょうか。何とか残して貰いたい建物だと思っています。
昔の贅沢は、今の贅沢よりもっと贅沢な気がします。
正面の門が長屋門になっているので、お殿様や武士達の出入りも多かったようですね。もちろ漆塗りのお風呂はお客様用の湯殿ですね。家族や奉公人は別の所だと思います。
柏倉家を撮った全景写真の左に見える蔵ですが、あれは蔵座敷になっていて、内部が上座敷(違い棚の写真など)で、ここには女性は掃除以外には立ち入り禁止だったようです。贅沢な作りになっています。
なので、贅沢も教養のある贅沢をしています。身分の違いもあったでしょう。財力にまかせて買い揃えるのではなく、値打ちのある芸術を集めているようです。
酒田の本間家も日本一の大地主と言われています。ただ本間家は農地意外にも沢山の土地を持っていました。身分も士農工商の中で一番低い位でし、沢山あった蔵や米の試験場など、戦後に国に取られてしまいましたから、こんな風なお屋敷は残っていませんね。
そうそう、豪農と言うと、新潟の伊藤家は桁外れに凄いです。屋敷や蔵の規模も、柏倉家の何倍もあります。以前お見せした三角形の茶室のある庄屋です。
今度、もう少し残った写真を載せたいと思います。
北方博物館:
http://blog.goo.ne.jp/habanero-hu/e/f9e4a6813949f8585f805e25873f0818
三角形の茶室:
http://blog.goo.ne.jp/habanero-hu/e/5d5f59ff747a40cdde404f05832cce69
遺産はあっても大変なものですね。私みたいに何の財産もないのが気楽で良いです。