無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

酒田祭

2008-05-20 17:39:27 | 社会
雨が上がると、待ちかねたように人が出た。これは昨日の夜とおなじ場所で撮った。露天が公園からずっと何百mも続いている。もうすでにパレードは終了している。





酒田には日枝神社は実は3箇所あるのだ。最初に出来たのは最上川を隔てた宮野浦に出来た。その頃酒田は宮野浦が本拠地だった。現在の酒田を向こう酒田と呼んだ。



下(しも)の日枝神社の鳥居



随身門。なかなか素晴らしい建築である。



酒田大火をきっかけに、酒田山王祭が酒田祭に改名された。本来は日枝神社の氏子達が1件の家に神宿(じんしゅく)を決め、その町内で神宿(とや)を開く。この神宿に当番が当たった家は、なかなか大変なのだ。軽やかに手を挙げられる物ではない。費用も発生する。今年は南新町が当番のようだ。



神宿から神宿まではぼんぼりが並び、祭りを華やかに演出する。



神宿会場



神宿当番に当たった町では、家々の宝物を持ち寄って会場を飾り付ける。この町はまだ人が住んでいてお年寄りも多いので、これだけ物が集まるのだが、市内でもどんどんドーナツ現象が進んで、住んでいる人が少ないとこの神宿を行うのも大変になる。



「生きること」と書かれた書は、写真家土門拳の直筆だった。昔は神宿を見に行く事を「宝物を見に行く。」と言っていた。



奥の部屋では、今日のパレードの反省会をしていたようだ。もうすっかり上機嫌になったおじさま達がワイワイやっていた。中には倒れている人もいる。「おい、まだお客様がいっぱい見に来るんだぞ。」と起こされていた。見なかった事にしておこう。



左にはお酒を呑まずに、番人をしている方もいた。「お疲れさま。」と挨拶をしてきた。



さて、公園に戻ってきた。北前船などの西回り航路を開いた河村瑞賢の銅像と、酒田本港。



花見の時も大賑わいだった広場。千石船も見える。昔は酒田祭りの時は、この広場にサーカスなどがきたものだった。



これがピントのぶれていない木造六角灯台





公園から見える酒田本港



手前が本港で、奥が最上川



飛行場の管制塔のように見えるのが、酒田海洋センター。耐震診断でアウトになりこの展望台は撤去される事になった。奥に見える丸い屋根は、出羽大橋近くの酒田市営体育館

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酒田祭・前夜祭

2008-05-20 15:55:31 | 社会
酒田祭は、来年で400年を迎えるのだと言う。元々は山王さん(上下の日枝神社)のお祭りで、昔は大きな山鉾を造って練り歩いたそうだ。5月20日が本祭りで19日は宵祭り、21日まで3日間続く。昔から、なかなかお天気には恵まれない。今年も19日は何とかもったが、20日の一番の行列が行われる時には大雨だった。酒田を愛する市民の私は、雨を避けて前夜祭に繰り出した。



下の日枝神社、日和山公園と隣接している。
祭殿の中では祭り関係者が祈祷中である。



公園の方から中町方面を見る。



金魚すくいで、子供のペナペナになったモナカの皮を見て、店のおばちゃんが「こうやってすくうんだよ。」と見本を見せている所。
拍手が出るほど上手かった。





中町方面から日和山を見る。
頂上に行くほど急な坂になっている。通称「小幡の坂」



タコが丸々1匹入っているタコヤキ



清水屋デパート前の大通りは祭会場に早変わり。
酒田囃子の車が数台並んでた。
ドンドンチャチャチャ・ドンチャチャチャ・・♪が鳴り物で響く。
ウキウキしてくるリズムだ。



ゆっくり車が走れば良いのに、カメラで撮られないほどのスピードである。





北前太鼓の面々、ちょっとカメラ目線じゃないか。



飛龍が来るぞ!逃げろ逃げろ!!
撒いた飴を拾ってから逃げる子供達。



龍の上に白装束の女性が1人。彼女が飴を撒く。
龍は目が光り、口からは白い煙を吐く。



ガブ~~~ッ!



ドォ~~~!!





JCの面々。この船は造ったらしいが、本格的な造りである。







黒森歌舞伎の若衆、白波五人男なのだが、三人しか撮せなかった。
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休止と解散

2008-05-20 10:52:00 | 音楽・芸術・文学
サザンオールスターズが無期限休止を宣言した。CDの注文は跳ね上がり、所属事務所と会社の株は下落した。桑田氏は今まで放電ばかりしてきたから、ここらで充電したいと言ったそうだが、30年間ヒット曲を連発した業績は大きいと思う。私も彼の曲は好きだ。普通のグループなら、作詞作曲の印税やらCD売り上げコンサートの収入も、1人でせしめるものだが、桑田氏はサザンのメンバーにも充分面倒見ていたと、そんな話を耳にした事がある。そろそろメンバー達も個人的に音楽の方向性を見いだして欲しい。このままじゃ良くないと思ったのかも知れない。

桑田氏は彼自身の音楽活動を辞めると言う話ではないようだ。今までにも桑田バンドを結成したり、コンサートを行っている。どうしてあんなに素敵な曲が書けるのだろう。彼の音楽センスには驚くばかりだ。ゆっくり充電しながら、今後も活躍して欲しいと願っている。

さて、兄弟で活躍していた平川地1丁目の二人が解散する事になった。久しぶりに二人を見たのだが、あまりの変化に驚くばかりだった。特にあんなに小さかった弟が、高校三年生になり、身体もでっかくなってイケメンに変わっていた。いや元から可愛い男の子だったのだろうが、大学受験を目指して活動を止め、こちらは解散するのだそうだ。
コメント (4)
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