無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

駆逐艦「雷」工藤艦長

2008-05-29 20:21:52 | 社会


山形新聞に「命のお礼伝えたい」と題した記事が載っていた。

第2次世界大戦中に、敵兵を救った山形県高畠町出身の工藤俊作艦長と言う人物がいた。その話を取り上げ「敵兵を救助せよ!」を書いた作家の恵隆之介氏が、工藤俊作の生家を訪れ、生存している元英兵が、墓参と遺族との面会を求めている事を伝えた。

私にはその話は、初耳だった。第2次世界大戦中に、多くのユダヤ人を救った外交官の杉原千畝氏の話は有名だが、こんなに身近な人の話は知らなかったのだ。

大東亜戦争が始まったまもなくの昭和17年、ジャワ島北のスラバヤ沖で、英米蘭の連合艦隊と日本艦隊との海戦が始まった。連合艦隊の15隻中11隻が撃沈され、4隻が逃走した。撃沈された英海軍の駆逐艦「エンカウンター」巡洋艦「エクゼター」の乗組員422名が漂流を続けていた。それを発見した駆逐艦「雷」は、敵潜水艦の脅威に晒されながらも、生存者全員を救出し、衣服や食糧を提供した。

作家の恵氏は、「エンカウンター」の砲術士官だった元英海軍中尉のサムエル・フォール氏からこの話を聞いた。フォール氏はそれまで日本人は野蛮で非情だと言う先入観を持っていた為、救出された時、工藤艦長が流暢な英語で「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。」とスピーチした事に驚き深い感銘を受けた。是非日本を訪れて、墓参と遺族へのお礼を伝えたいと希望している。

工藤艦長は、身長185cm、体重95kgの大きな身体に丸眼鏡をかけた温和な人物で、「工藤大仏」とあだ名を付けられるような人だったという。駆逐艦「雷」の乗組員達は、今秋、東京都で行われる慰霊祭と日英友好記念のセレモニーを兼ねた「慰霊顕彰祭」の席で、フォール氏と工藤艦長の遺族との面会も行われる予定になっている。

ニュース元:山形新聞
参考資料:Jog(458)駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作
コメント (6)
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