江原ひであき

新社会党

8月28日(月) 天職としての政治家。世界宗教者平和会議。表現力。政党ビラ配り無罪。鉢洗い。

2006-08-28 | Weblog
8/28、曇り後晴れ。
天職としての政治家。
 “筆洗”が書いている。“現実が自分からみて、どんなに愚かであり卑俗であっても断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず」と言い切る自身のある人間。「そういう人間だけが政治への天職を持つ」と。――ドイツの社会学者、マックス・ウェ-バ-の言――という。

 私は思う。日本の政治家?で「政治が天職」と当てはまる(客観的評価)人間が何人いるのだろうか。自民党総裁選が間近だが国会議員の7割もが、安倍に安倍にと雪崩をうっている状況では―――こんな連中に期待はできない。
 きょうの欄の最後に書かれていることを明記しておきたい。
「アジア外交を論じることは日米同盟を、日本の未来を論じること。自分たちの選んだ議員が“利で動くのか”“志で動くのか” 見極めたい」

世界宗教者平和会議。
 世界百カ国からさまざまな宗教の指導者ら約二千人が集まり、世界宗教者平和会議(WCRP)世界大会が26日から4日間の日程で、京都で開かれている。
 会議の中では“紛争多発に反省相次ぐ”“互いを受け入れ共存の道を”。の声が出されている、と言うが・・・。

 世界の政治指導者こそ「互いの歴史・文化・宗教を理解し、共存の道を」創造しなければならない。

表現力。
 私も最近の世相をうまく表現できない方の一人だが、“メディア新事情”というところに(月刊「創」編集長の篠田博之氏)が上手に書いている。
 「加藤紘一衆院議員の自宅放火事件にはイヤ~な思いがした。排外主義的なナショナリズムが横行し、異論を暴力的に排除しようという風潮を象徴する事件だったからだ」と。・・・文章にするときはこんな風に書くのかね。

ビラ配り無罪。――東京地裁判決!
 共産党のビラを配るためにマンションに立ち入ったとして、住居侵入罪にとわれた判決公判がきょう開かれ、無罪の判決が出た。
 まったく当然の判決だが、東京地検の岩村修二・次席検事は“検察の主張が理解されず遺憾だ!”と。
 人には、「いま自分が生きている“立場”」というものがあるが、人間社会の進歩(歩み、歴史観)をどのように捉えるかを真剣に考えるべきだ。そのように考えるとき、この案件に関わる検察の奴らはバカ者集団だ!

鉢洗い
 祭りが終わってきょうは地元町会の鉢洗い。たいした手伝いはできなかったが声がかかったので参加した。簡単に言えば“祭りに対する総括”というところだ。