祝日の深夜と言うことで、日常ネタでございます。
駅前の、ミスタードーナッツ、というダスキン系列のお店ですが、
昼も過ぎると、ある集団に占拠されます。
喫煙室だろうが、禁煙室だろうが、6人から、8人の規模が入れるところで
あれば、構わない。
はい、高齢者の、おばーさん、だな、の集団です。
このグループ、一つのテーマを語り合うことをしない。
もう、隣同士、向かい同士、それぞれが、マンツーマンで、
猛烈にしゃべりまくっております。
恐らく、耳も遠いのでしょうか、声が、大きい。
周りを、まったく、気にしません。すごかった。
朝、8時半過ぎ、ある通りを、バスで通ります。
店先に、ベンチが置いてあるのですが、2台のベンチ。
朝から、仲良く並んで座っています。ほぼ、決まった、メンツです。満員です。
多分、9時から、店が始まるのらしいのですが、毎朝、皆さん、おります。
雨の日は、自主的に、隣の店先に、ベンチを移動して、
勝手に座っています。元気そうな、お年寄りです。
はい、お待ちかねは、整形外科の医院でございます。
ある調べによると、日本が、もっとも、老後の不安が少ないようです。
老後に関して、不安がある、何か、対策を講じている、かな、
そんな方のパーセントは、25%くらいだったようです。
諸外国は、そんなもんではありません。
のきなみ、50%を70%を超えていました。
有権者の50%が、すでに50歳以上で締められる日本。
老人にとって、日本は、間違いなく、天国です。
どういう、統計であったか、詳細は、ごめんなさい。
良いか悪いかなのではなく、日本は、確かに、こういう国作りを、
してきたんだということです。
定年退職後、その戦士達の老後を、夫婦、そろって、最後まで、国が
面倒をみていく。
地域社会に力も無く、共同体にも、在りし日の力も無く、
老人達は、今、何の根拠も無く、老人として、生きております。
昔は、日常的に、青年から壮年へ、そして老人へと、その方の歴史を
共に過ごす機会が、ふんだんに、ありました。
今は、それに触れる機会もございません。
そうすると、年金を、自動的に、受給する、知らない、ただ年をとった
人間達が、増加していく。
そういう、イメージが、実は、すでに、色んなメディアで作られています。
紛れも無く、何かの、世代間の、対立を、引き起こし、
そして、何かの、プログラムを可能にしていきたい、そんな動きをも感じます。
そういう意味で、逆に、老人たちは、引退を決め込まないで、
本当は、何か、すべきことが、あるのではないか。
そういう風に、最近、「老婆心」ながら、思ってしまうわけです。
駅前の、ミスタードーナッツ、というダスキン系列のお店ですが、
昼も過ぎると、ある集団に占拠されます。
喫煙室だろうが、禁煙室だろうが、6人から、8人の規模が入れるところで
あれば、構わない。
はい、高齢者の、おばーさん、だな、の集団です。
このグループ、一つのテーマを語り合うことをしない。
もう、隣同士、向かい同士、それぞれが、マンツーマンで、
猛烈にしゃべりまくっております。
恐らく、耳も遠いのでしょうか、声が、大きい。
周りを、まったく、気にしません。すごかった。
朝、8時半過ぎ、ある通りを、バスで通ります。
店先に、ベンチが置いてあるのですが、2台のベンチ。
朝から、仲良く並んで座っています。ほぼ、決まった、メンツです。満員です。
多分、9時から、店が始まるのらしいのですが、毎朝、皆さん、おります。
雨の日は、自主的に、隣の店先に、ベンチを移動して、
勝手に座っています。元気そうな、お年寄りです。
はい、お待ちかねは、整形外科の医院でございます。
ある調べによると、日本が、もっとも、老後の不安が少ないようです。
老後に関して、不安がある、何か、対策を講じている、かな、
そんな方のパーセントは、25%くらいだったようです。
諸外国は、そんなもんではありません。
のきなみ、50%を70%を超えていました。
有権者の50%が、すでに50歳以上で締められる日本。
老人にとって、日本は、間違いなく、天国です。
どういう、統計であったか、詳細は、ごめんなさい。
良いか悪いかなのではなく、日本は、確かに、こういう国作りを、
してきたんだということです。
定年退職後、その戦士達の老後を、夫婦、そろって、最後まで、国が
面倒をみていく。
地域社会に力も無く、共同体にも、在りし日の力も無く、
老人達は、今、何の根拠も無く、老人として、生きております。
昔は、日常的に、青年から壮年へ、そして老人へと、その方の歴史を
共に過ごす機会が、ふんだんに、ありました。
今は、それに触れる機会もございません。
そうすると、年金を、自動的に、受給する、知らない、ただ年をとった
人間達が、増加していく。
そういう、イメージが、実は、すでに、色んなメディアで作られています。
紛れも無く、何かの、世代間の、対立を、引き起こし、
そして、何かの、プログラムを可能にしていきたい、そんな動きをも感じます。
そういう意味で、逆に、老人たちは、引退を決め込まないで、
本当は、何か、すべきことが、あるのではないか。
そういう風に、最近、「老婆心」ながら、思ってしまうわけです。
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