まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

本当に難しい、戦後論

2005年08月02日 | 本・映画
戦後60周年を迎え、専門家を名乗る方々も、猛然と立場を鮮明にして
論戦に加わっている。
毎年とはいえ、教科書採択の「オリンピック年」にもあたり、ましてや、
小泉首相の断固たる、靖国参拝もあって、過熱、過熱。
朝日新聞も、総力を挙げて、猛然と部数を減らしつつも、毎日のように、
反戦に名を借りた、親中国路線をひた走り、市民団体も、連日のように「反日」
真っ盛りである。

ここに、「日本とドイツ 二つの戦後思想」という本が出版された。
光文社新書。仲正昌樹氏。何度か手にはしたが、買うのをためらっていたが、
立ち読みで、はじめにを読んで、速攻購入した次第である。
なんて、頭の良い方なんだろう。ほれぼれ。
途中で感想すべきでないが、多分、どちらの立場に立つことなく、非常に明快に
問題を腑分け、整理されている。頭に、どんどん入ります。

本によると、ドイツは、戦後処理に、今もって、苦労をされていて、戦後処理
の困難さを理解することができる。
そもそも、市民革命を経ずして、近代化を、上から定着させたという経緯が、
国の思想面に影響があるらしく、その意味では、日本の近代化と類似している
という。さらに、戦争において、国民の主体問題。
加担したのか、やらされたのか、参加したのか、国民もまた被害者なのか、
このナーバスな問題は、現在でも、例え、ヒットラーでかたをつけた戦後処理
においてでさえも、尾を引いている。
だから、韓国のノムヒョンが、ドイツを訪れた際、
ドイツは立派だ、日本は反省が足りない、なんて相当な能天気な発言に切れた、
というのも、あながち間違いではない。

その苦しむドイツは、戦後、西側陣営で、対外的な評価を最大限に意識しつつ
自らの担うべき保証責任の範囲を可能な限り限定しようとしてきた。
為に、ホロコーストのヒットラーへ、雪崩を打つように責任を明確にした。
東ドイツ、オーストリアにいたっては、東西ドイツが融合した時点で、東ドイツ
の落とし前を、要求されたり、被害者として立ち振る舞っていた、オーストリア
も、先のヴァルトハイム大統領がナチスの突撃将校であったことから、
また、ヒットラー、アイヒマンなど、多数の将校が出身地のこともあり、従来の
立場を変更した。

翻って、日本。分割されることも無く、アメリカの支配下におかれ、
国民は、またしても、主体的に総括することなく、今日まで時を過ごした。
そうはいっても、サンフランシスコ条約に至るまでに、その陣営内では、
当然ながら「国益」を最優先に、済ませるべき戦後処理を行ったのは事実。
もちろんながら、中国にもおいても、韓国においても、解決済みであった。

ところが、「人道の問題」として、突然湧き上がった、補償問題。
「国益」を考えないで、反省の気持ちや博愛の精神だけで外交を行っている日本。
思想的な総括を、総て東京裁判で方をつけてしまったがために、今もって、
問題をこじらせている。
そうなってくると、思想とは関係なく、その「人道的な犯罪」が、事実あったのか
どうか、を検証する作業こそが、いわゆる右派にとっての命題になる。
一方、中国も、韓国も、もちろん北朝鮮も、国のありかたとしては、
言論統制が徹底されていて、まさに「国益」を前面にだした論調の国である。
間違ってならないのは、韓国は、非常に進んだ、言論統制が完備されている。
よって、時の政府が決めたスタンスに合わない言論は、封殺されるか、刑を
受けることになる。公職も追放される。知ってたよね?
ノムヒョン自身、なんで、国家が統制した教科書を使わないんだ、おかしいだろう
という、とてもおかしい、ことを言うのも、このためである。

正直、この3国は、時の戦争に、参加もしていなかった。
中国は、日本だけではなく、あらゆる西欧の国に蹂躙されていた。
韓国は、すでに、「清」の支配下におかれていた。今の国旗も、清の属国を
表明する旗であった。
よって、「人道の問題」を前面に主張することでしか、この問題にコミット
できないのである。

いくら、戦争の責任主体が国の為政者にある、そして、国民は、実は被害者である
という説明は、ドイツの戦後の苦しみを理解するにつれ、それを60年も
背負うことになる国民の存在も含めて、日本は、本当に、幸せな戦後を
送ってきたんだなぁ、と思わざるを得ない。(沖縄を除いて)
隣国の問題提起による、各種問題も、歴史的な事実の検証を促進することになった。
しかしながら、左派もメディアも、加害者たる事実を列挙し、当時の生存者に
語らせることだけで、免罪できるものではないし、一方、右派も、検証された
事実をもって、加害者の犯罪等級を計ってみるだけなのも、悲しい作業だ。
このままでは、この先においても、我々の世代が、問題を持ち越すことになり、
暗澹としていく。
なぜか。
放置がすすむと、声高に叫ぶ、被害者の論理が、趨勢を決めてしまいそうだから
である。この60年間、他の民族を抑圧したことも無く、武力を持って、
戦闘に参加したことも無く、平和であることを維持してきたこの過程が、
本当に認知されにくくなっている。
簡単に言い切ることは、問題があることは承知。平和は、総ての恩恵の賜物。
それも承知。主体的に歴史に、政治に参加してこなかった、つけが、回って
きているのだ、きっと。
学んでいくの中で、高みの見物ができなくなった自分に気づくことができました。