Sydney Yajima


GSM会員希望者は下記のURLへお進みください。
http://www.gsm.jp/

安全とは、なにか?

2011-04-06 22:25:38 | Weblog
政府の発表や、ニュース、報道において、放射能に関する事実や、事象が極端に、3月の終わり頃から減った。

放射能は、危険である。

このことは、周知の事実だ。
そして、それは、罪のない、子供たちや孫たちに及ぶ。産まれた赤ん坊、これからの妊娠してくる赤ん坊、
それも、すぐには影響が出ない。
20年後であったり、25年後であったりする。

海には高濃度の放射能を含んだ水が6万トン流れ出した。
これによる影響も、一切 科学的、かつ客観的な事実に基づいた 危機管理についてのきちんとした発表がない。
ただ、個人レベル、あるいは外国の研究者レベルでのみ、注意を払っている人だけが知ることができるというだけである。

GSMの内部では、多くの方々の情報のお陰で、新聞よりも早く様々な危険情報を察知できた。
まさに、お互いのネットワークのお陰である。

政府は、こういうことに関して、「風評被害」という耳慣れない言葉で、批判するかもしれないが、20年後に、じつはあれは風評ではなく事実だったと言ったところで、まったく ”ておくれ”なのである。

ておくれを、してでも、守りたいのは 人の命ではなく、子供や孫たちの将来でもなく、棄民をしてまで、一体 なんなんだ?
何を、かくして 何を まもろうとしている?


危険は迫っている。
私は、様々な情報に接しているうちに、確信した。
なぜ アメリカ海軍が早々に80キロ圏内から出て行ったのか?
そして、その時よりも、今 放射能の拡散は広く海に流れ出しているのだ。

もっと、深刻だ。
とても、恐ろしい。
どう考えても異常な政府と、異常な発表と、「今すぐには危険でないレベル」という無責任な言い回し。

棄民・・・

ああ、日本の国民を守るために、立ち上がらなければならないのではないか・・・
私の体の中から、うずうずとしたものが湧いてくる。

被害者から加害者へ変わるとき

2011-04-06 10:07:46 | Weblog

日本を愛している人は、多い。
それは日本人に限らず世界中にたくさんいる。
一方、日本を憎んでいる人も 少なくない。
その多くは、アジア、とりわけ東南アジア諸国に多い。
理由は、70年前の忌まわしい記憶であったり、あるいは、日本の経済的な成長に対する嫉妬であったり、取引先としての日本の商習慣への不満であったり、あるいは、買春ツアーなどで多数押しかける日本人の姿を見てきたからであったかもしれないが、日本は、近隣諸国から好かれるようなことを、あまりしてこなかったんだろう。

愛憎こもごも、世界はいろんな意味で日本を見てきていたし、いい意味でも悪い意味でも、日本はいろいろなところで、注目されてきた。

技術力、経済大国、高水準な教育に社会制度(日本の社会制度は、世界でも水準がかなり高いのだということを、日本人はあまり知らない)
一方、問題としては少子高齢化、多くの赤字財政と、絶望的に支持者のいない民主党内閣

とこんなところだった。

そこへ・・・

今回の地震が起こった。

当初、世界は日本にとても同情的だった。
日本を大嫌いな隣の国、韓国でさえ、同情のコメントを出した。
日本は 3月の中ごろまでは、可哀そうな被害者だった。

ところが・・・

東電がその日本のさまざまな外交の、大切な場面を片っ端から 台無しにした。
東電は、すべてが、無責任である。
「多分、関係者が今やっているところだと思います」というようなコメントを イケシャアシャアと出す。
「あなたが、関係者ではなくって、一体 誰が関係者なんですか?」と私は声を荒げて、テレビの画面に向かって言う。
すくなくとも、
こんなに無責任な対応をする人間を、私は、不幸なことに、今までの人生で、日本以外の国で見たことがない。

どれほど国が荒廃していても、リーダーや、その現場の人間は、必死で何かを訴えようとするものだ。
訴えるという気持ちを、抑えて、こうして、淡々と人事のように語れる人種は、世界広しといえども、日本でしかいない。
もちろん、皮肉と怒りをこめて 言っている。

その東電の態度や、体質がすべてにおいて、世界中に公になった。
問題は、その東電の態度や体質が、世界からは日本人の態度であり体質である と誤解されていることである。

この東電が、
弱い放射能を帯びた水を流すと、発表したとき、
つまりその瞬間。
日本は、被害者から、加害者になった。

たとえ、数千倍の濃度の放射能が漏れていたとしても、それが、不可抗力で、なんとか今、命がけで止めています。というのなら、世界は同情こそすれ、決して非難はしない。
それどころか、なんとか救ってやろうとするし、そして、それは実際にわれわれが目にしたものである。
アメリカを悪く言う人が多いが、ともだち作戦を悪く言う人はいない。
どっちか、はっきりしろといわれれば、アメリカに感謝するしかないはずだ。
良しくも、悪しくも アメリカは、頼りになる友人には違いない。

そのアメリカが日本を非難している。
そのキーワードは、インテンションだ。
インテンションは、わざと という意味である。
日本人は、わざと、汚染水を放出した。と報じられると、一斉に世界は反発した。
日本が加害者になった瞬間である。
この瞬間、私は、「日本は終わった」と本気で思った。

世界にすれば、あれほど、手助けをしてやろうと思っていた日本に、「裏切られた」と感じたであろう。
韓国や中国などは、「やはりな。どうせそんな奴らだ」と思ったに違いない。

なぜ?

ぐるぐると私は、頭の中で錯綜する気持ちと、苛立ちと、残念さ、いやむしろ無念さといっていい、・・・に苛まれた。

言っておくが、これまで、どちらかというと、私自身、東電の記者会見は無責任だとは思ってはいたが、それでも同情的だった。
下がっていく株価をみて、この会社を買おうかとさえ思っていたほどである。
しかし、この汚染水を捨てるという報道を見た瞬間、その気持ちは消えてしまった。

誰が、どんな脳みそで決定したことなのか、現場の待ったなしの状況がそれをさせたのか、いずれにせよ、手順というものがあったはずだ。
まずは、状況も説明を十分にしないで、世界中の耳目の集まる中で、いきなり、汚染水を放出します、では、手順どころではなく、それこそ真珠湾攻撃の奇襲のように思われるだろう。

卑怯

と思われるだろうし、わけの分からない犯罪者とも思われるだろう。
そう、東電の発想ややり方は、犯罪者の発想ややり方と同じなのである。

もう、手遅れだ。
日本人が思っているほど、世界は、甘くない。
今回の東電のしでかした失敗は、向こう数十年は 日本嫌い 不信感 それに、不義理の国日本というレッテルとなるだろう。
水を捨てただけだ。
そう思っていたら 大間違いだ。

世界は、日本をこう考えている。
鯨を食べて、汚染水を垂れ流す 野蛮国。
必要以上に儲けている 強欲な国。


今、日本がしなければならないことは、何か?
世界に、どう 日本として発信していかなければならないのか?

考えてほしい
そして、このたくさん読んでくださっている読者の皆さんひとりひとりにも問いたい。


*文末になりますが、このブログを始めてそれほど経たないのに 驚くほど 多くの方々に読んでいただき、感謝しております。
謹んで、お礼を申しあげるとともに、今後とも宜しくお願いいたします。

国の代表とは

2011-04-06 01:29:27 | フリーメーソン
フリーメーソンにおいて、司祭を務めるというのは、本当に大変な仕事である。
多くの人が、「なるほど、この人のいうことなら聞ける」と思わなければ、ついてこない。
そして その多くの人というのは、年齢と経験を重ねた人たちである。
だから その人たちに向かって 物をいうときには 最新の注意深さが必要である。

それを知らずに、たまたま司祭の地位について、えらそうに 何様かになってしまったら、その人は、早々にそっぽをむかれ、結論は、身を滅ぼす。
器以上の事を うぬぼれで行うと、結果は 国はどこであれ、同じようにボロボロになってしまうのである。
ボロボロとはどんなことかというと・・・
たとえば、ある人は、シドニーから追われた。
家族もばらばらになり、仕事も失い どこのロッジからもそっぽを向かれた。
遠く地方に行っても すべて彼の行動は筒抜けであり、住所には様々な請求書が送りつけられる。

うまく司祭を乗り切ると、しかし、まったく逆の結果になる。
いつまでも 讃えられ、感謝もされ 尊敬も手に入れる。
そして、誰からも愛され、仕事も面白いほどうまくいき、ビジネスもどんどんとサポートがつき、家族はどこでも不思議なほど優遇される。
それが 一生続くのである。

この違いは、なんだろうか?

実は、非常に簡単なことなのである。
そのキーワードは、謙虚さ

謙虚に、物事をみんなの意見や顔を立てて推し進めると、必ず 周りが押し上げてくれる。
組織が大きくなればなるほど、上に立つ人間は 謙虚なものだ。

日本のトップは、内閣総理大臣である。
漏れ聞こえてくる話によると、彼は、いつも回りの人間に怒鳴り散らしているらしい。
人は、彼の事を イラ管と揶揄しているとか・・・

これでは、うまくいかなくなるのは、当たり前じゃあないだろうか?
彼は、どうして、謙虚に、この自然災害の事態を受け止めて、多くの人の意見を取り入れる姿勢を出さないのだろう。
威張って、自分を大きく見せることが 今の時代に望まれる リーダーシップのとり方ではなく、また、ヒーローになることも、リーダーに望まれている姿ではない。

自然発生的に、多くの人が様々な活躍と、大きな仕事をしてくれることこそ望ましい結果であって、リーダーは謙虚に その多くの人が動きやすくなるように、環境をととのえて、謙虚に耳を傾けることこそが、今の時代には必要なんだ。