Sydney Yajima


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今後について

2018-05-01 10:02:59 | Weblog

今まで、多くの人とともに、やってきたGSM。

またこのブログも、「南で食事をする男」以来 20年近い長期にわたり不定期に連載してきました。

そろそろ、その役目は終わりに近づいてきたようです。

 

これからのビジネスは、AIが中心となります。

たとえば、株取引で利益を上げることはAIを制したものにのみ与えられる特権となりました。

まだ、あと数年は今まで通りにやっていけるかもしれません。

しかし、時代の流れは確実に次に移っています。

 

若くて才能のある人が沢山出てきました。

そして、彼らは屈託なく笑います。

日本に残された希望は、そのDNAの中にあるようです。

そう、確かに希望はあります。

 

繰り返しになりますが、この辺で終わりになりそうです。

そして、GSMの皆さんも(皆 昭和生まれの人ばかりでしたが)そろそろと、そういう時期にさしかかってきましたよね。

 

中国のここ30年の経済発展は、私の友人・・・あるユダヤ人のおじいさん・・・が言いました。

「脱帽だな。」と

2008年のリーマンショックのときのことです。

 

アジアの発展は、素晴らしいことだと思います。

過去200年間、インドを含めると実に500年間も、苦しめられてきたアジアと欧米の力関係が、変わろうとしています。

早く乗り換えるか、じっくり乗り換えるかの違いはあるかもしれませんが、いずれにせよ、列車は走り出してしまったわけです。

もちろん、脱線事故がないとは言い切れません。

しかし、それにしてもアジアという列車は未来のどこかの地点に向けて走り出してしまったのです。

 

ドナルド トランプというかび臭いにおいのするまるで、ロナルドレーガンか、あるいはもっと前のニクソンまでさかのぼってしまいそうなほどの、古いタイプの政治家が米国の最後のほうに出現し、そして、幕引きのピエロを演じているようです。

北朝鮮問題や台湾問題を近隣に抱えた日本は、5万人近い米軍兵を国内に抱え込んで、これからどうするつもりでしょう?

ずっと「思いやり予算」で、日米同盟を続けていくことで、日本の安全を担保し続けるのでしょうか。

おそらくは、そうなるでしょう。

私の見たところ、日本はいつの間にか、そういう誰かに何かをしてもらうことに慣れてしまい そこに居心地の良さを感じ、自分の足で立つ気概よりも誰かに決めてもらったフレームの中で、自分さえよければそれで構わない という人々が増えすぎてしまったようです。

本来ならば、自分の軍隊を持ち、そして自分の足で立ち、自分の意志で戦い、そして守るのが国の姿です。

でも、憲法9条は、そういうことをすべて否定して、います。そのままで行けば、「かつて、日本という国があり、そこでは平和を愛する人がいて、そのために武器を持たず死んでしまった」と語り草になることでしょう。

もし、それを日本人が「良し」とするならば、それはそれで一つの生き方でしょう。

そうではなく、自分たちで国を守るのだという意思を持つならば、アメリカとの安保体制だけではなく、やはり憲法そのものを変えて自分たちの軍隊を持たなければなりません。なにしろ、かつて、あれほど輝いていた米国は いまや疲弊した貧しい国になったからです。

米国に、日本を守る力もそのつもりも、ありません。

せいぜい脅しをかけて、自分たちの古いイージス艦を並べて、使えることもできない核爆弾と空母、それにもうすぐ時代遅れになるステルス戦闘機を見せて、「すごいだろう」と言っているだけにすぎません。

もう、戦争そのものの定義が揺らぐほど兵器開発も次の世代へと移っています。

戦争は、ハードの殺し合いで行うものではなくなりました。

もっとソフトな面での戦い方を求められる時代です。

それは、文化であったり、スピリチュアルなやりかたであったり、あるいは、幸せについて考えてみるということであったり、他者との共存を求めていくことであったりもします。

大砲でドカンというのは、もう、さすがに古い発想ですよね?

分かりますか?

 

日本人たちはとても、親切で優しい人が多いのは事実です。

私自身、日本人の血をひく者として、日本を愛さずにはいられません。

その日本人たちが、自分たちの持つソフトの力に気が付き始めたようです。

 

ところが、そうではないと考える人がたくさん住んでいる町もあります。

東京です。

 

私は今、新しい試みを始めました。

まだ、皆さんにお披露目できる段階ではありません。

この年になって、新しい試みができるのは、幸せなことです。

 

勘違いしている日本の多くの人たちの胸には、突き刺さる耳の痛い話かもしれませんが、もう少し、聞いてください。

 

日本の中の東京という場所があります。

東京といえば首都です。

しかし、いつのまにか、東京が日本よりも上に立ち、そして、東京があってこその日本というほど うぬぼれが出てきて、おごり高ぶり、そして、東京に住まなければ人ではないというところまで来ました。

顕著な例が2011年の福島での原発事故です。

福島は、大事な日本の場所だったはずです。

でも、日本人は、何事もなかったかのようにすぐに忘れました。

まるで、手品でも見ているようです。私は、呆れるしかありませんでした。

この人たちは、人間か?

これでも、人間の国か?

とまで、思ったほどです。

自分さえよければそれで、いいのか?

とも、思いました。

今夜も渋谷の交差点には、昼間のように電気が灯ることでしょう。

それは、景気を良くするために良いことなのでしょう。

歩いている人々の罪でもなければ、電気を供給している人だけが悪いわけでもありません。もちろん、外国に住んでいる私のせいでもないはずです。

でも、全員が どこかほんの少しずつ 悪いはずです。

でも、自分以外の「誰か」のせいにしたがり、そして、自分だけが被害者だと言う。

それだけではありません。

その生活を楽しみ、享受している人がその本人だったりもします。

彼をいけないという権利はもちろん、誰にもありません。

私は彼を批判するつもりもないのです。

「そういうものなのだ」と悟ったようなことを言う人もいるかもしれません。

でも、悲しいことに、時間は過ぎます。

すぐに、やがてどこかへ消えていく運命の私やあなたたちは、誰かのせいにしたり、自分が被害者だと言ってみたりする暇はないはずなのです。

私は、長い間、外国に生活しているので、自分は、恵まれている部分があると思う反面、すでに国籍のない元日本人としては、別の「当たり前」が存在しているので、その別の「当たり前」の観点から見れば、日本をどこか遠いところから眺めている第三者という立場でもあると思います。

つまり、日本に住んでいたなら、きっと、こんなにのんびりしていなかっただろうと思うし、もっと怒っていたのではないだろうかとも思います。

もちろん、自分だけが正しいというつもりはありません。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、私も間違えました。

大きく間違えたことがあります。

それは、2011の地震で、深く反省するに至りました。

もっともっと、考えなければならない問題です。

核融合というものは、私たちの世代の思想に大きく関与していたようです。

 

ドカンと一発。

あとは、なんにも無いではないか・・・

 

この、ドカンについて、もっともっと怖れるべきでした。

 

経済に話をしてみたいと思います。

今 日本の景気が良いというのは、半分正しくて、半分間違っています。

複合的な理由で、株式は上昇しています。

単に、アベノミクスによって、ではなく、特別な経済政策のお陰、でもないのです。

これは、トレンドの波です。

相場を知っている人なら、何度も見てきたあくびが出るほど退屈な「現象」でしかありません。

ただ、日本の株価は上がり、それによって賃金と物価も上がろうとしています。

それが、幸せにつながるかどうか?といえば、まったく、つながりません。

日本が豊かになったのかどうか?と聞かれれば、私は迷うことなく答えます。

日本はとても貧しくなったと。

 

1980年代の日本は、確かに豊かでした。

そこにいた人間の一人として これは、断言できます。

そのころの日本には、少なくとも夢を語る大人たちがいました。

そして、彼らは、キラキラとした目をして、私たちに色んな事を教えようとしてくれました。

でも、私たちはそれほど良い生徒ではなかったようです。

なぜならば、戦争体験というものが皆無だったからだ という言い訳だけがすぐに出てくるほどのボンクラだったからです。

 

日本が急下降した時期は、中国が台頭してきた時期とぴったりと重なります。

熱いお湯と冷たい水を混ぜたら、徐々に温度は平均化していきます。

そう、日本という島国と広大な中国大陸は、そうやって徐々に平均化してきたのです。

 

1980年代の中国は、人民服を着て、北京は自転車であふれ、そして、ファッションは古めかしく、日本からほんの少し滴り落ちるような文化に触れては熱狂していました。

山口百恵や西城秀樹 高倉健といったスターたちが中国でもてはやされた時代があったのです。

今でも、老人のなかには、懐かしそうに話す人もいるでしょう。でも、もう、その時代は終わりました。30年間。どんどんと時代は進んでいったのです。

 

私が、初めてインターネット配信を使って書き始めたのは、1999年です。

もう20年経とうとしてます。

当時の私の周りには、戦争体験のある人々が沢山いて、日本にも進駐軍の一員として行ったことのある人もいました。ベトナム戦争や朝鮮戦争に行った人はもっとたくさん、いました。

その人たちは、滅多に他所ではしない表情で 私に、当時の話を聞かせてくれました。

私は、そこから得た話や、その人たちがかかわる生活、あるいは、伝わる情報などをもとに、自分なりに咀嚼して、日本の人に発信してみたわけです。

楽しゅうございました。

そのおかげで、多くの人々と交わり、北海道から沖縄まで旅をしたこともありました。

 

GSMの皆さんとは、また お会いしたいと思います。

ロッジをやりましょう。

ところで・・・

このブログは、もうすぐ閉鎖します。

 

 

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メールが来たら、返事をします。

southman60@hotmail.com