Sydney Yajima


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陰謀論

2012-02-12 00:55:06 | フリーメーソン
今回の、大地震がフリーメーソンの陰謀だという人がいた。
まったくの、でたらめである。
そんなことをフリーメーソンは画策していない。
また原発を進めているのもメーソンの仕業だという人もいた。
これも、違う。

私は フリーメーソンのメンバーであるけれど、そのことについて 今まで、恥ずかしいと思ったことはない。
今まで多くのブラザーたちに出会って、さまざまな会合で握手をし、そして 楽しい時間や食事を過ごしたし、貴重な経験を積んできた。
そのなかで、感じたことは、いい奴がいっぱいいることだ。

私と同じように、原発が嫌いなメーソンの人間もたくさんいる。
原子力爆弾を広島に落としたアメリカが大嫌いな人もいる。
人は、それぞれで、違う人生を背負っているものだ。

人や、団体の 一面だけを見ただけで、全部を見たと思ってはいけないと思うよ。




災害のあと

2011-11-14 18:41:21 | フリーメーソン
日本に限らず、人間の住むところ、世界のありとあらゆるところには、これから、さまざまな災害が起こる。
理由は、ただひとつだけだ。
それは、地球全体をおおう 持ちこたえられないほどの人間のエゴイズム。
それが、さまざまな公害と排気ガスを撒き散らしてしまったからである。地震が人工的に起こされた陰謀だと言う人がいるけれど、私には、同意できそうもない。
9・11が人間の陰謀だというのなら、まだ聞く価値があるかもしれない。
あるいは、月にアポロ11号が行っていなかったと言われれば、それはそうかもしれない くらいのことは、私も余裕を持って聞けることができる。
しかし、地震を人間が起こし、その結果 今の日本の惨状になったなどという破天荒な話は、プラズマ兵器だとか、あるいはドップラー現象だとか、もっともらしく言う人の気が知れない。
そうじゃない。
あなたの目を、正直にまっすぐ 現実に向けてみて欲しい。
地震だけではなく火山活動や、台風 などなどさまざまな サインがあるはずだ。

地球は 今とても、病んでいるのである。

そして 愚かな人間たちは、災害が起こると、自分たちの生活を改めることはしない。
なにをするかといえば、神に祈ったり、あるいは場合によっては、神を呪ったり、あるいは 仏にすがってみたり、さまざまな方法で 誰かに救いを求めようとするのである。
しかし、神に祈ることも仏の慈悲にすがることも、救いにはならない。
もちろん、世の中には、多くの人が真剣に信心をしていて、それが、とても重要な生活の一部にまでなっている。

私ごときが、「そんなことをしても、無駄ですよ」などと言っても、無視するか あるいは 私を中傷するか、それとも、このメーソンの人間の言うことなど 陰謀だと言い始めるかのどれかであろう。
しかし、どの神様も 仏様も、あなたがあなた自身を救おうとしなければ、手を差し伸べることはないはずだ。
私の言いたいことは、信心を否定しようとしていることではない。
それは もちろん個人の自由だし、誰にも迷惑がかからないならば、自分を超えた存在に感謝するのはすばらしいことだ。とまで言いたいほどだ。
誤解しないで 聞いて欲しい。
私の言いたいことは、たとえば原発が爆発したら、神に祈るか仏の慈悲にすがるよりも、まず どうやって、止めるかと考えることを優先させてはいけませんか?ということなのだ。
もっと噛み砕いて言えば・・・

たとえば、バスにあなたが乗客として乗っていたとする。
運転手がいきなり、心臓麻痺になって倒れてしまった。
そして、バスが暴走を始めた。
すると、あなたはどうするだろうか?
神にお祈りするのだろうか?
それとも 暴走するバスを なんとか止めようと運転席まで行こうとするだろうか?

ということを あなたがたに、問うているのである。
私たちはまさに、暴走するバスに乗っていて、そこで、いま、なんとかしなければ崖から落ちるか、それとも 壁に激突するかの瀬戸際にいるのである。

今、私には、多くの人が救いを求めて、あるいは癒しを求めて、神様や超自然な「何か」に なんとかしてくれないかな と祈ったり呪ったり すがったりさまざまなことをしていることを 私は知っている。
その人たちを 刺激すれば 彼らは、私を誹謗中傷し始めるであろう。
しかし、冷静になって、考えて欲しい。

何事も立場によってさまざまだということ。
しかし、「あなたを助けるのは、あなた自身だということ」それに、「あなた自身でなくて、一体 誰に すがれば助けてもらえると思っているの?」とも聞いてみたかったんだ。

ここから、もうちょっとだけ脱線させてもらう・・・TPPについての話だ。


今の TPP問題にしても、立場によってさまざまだと思う。
あなたが もし頭が良く、そして言葉に不自由しないならば、これは、素晴らしい機会をあなたに提供してくれるに違いない。
あなたは、日本を出て世界に羽ばたける人間である。
TPP諸国に ビザなしで自由に出入りできるなら、あなたは、オーストラリアに住んだり ニュージーランドに住んだり、あるいはアメリカに住んだりもできる。
そこで大きなビジネスチャンスを得ることになるだろう。
逆に、あなたが あなた自身で気付いているように 愚鈍で 英語さえまともにできないうえに、地元を離れる勇気さえないのであれば、もしかしたら、TPPはあなたを置き去りにしていくかもしれない。多分、あなたは、反対の立場をとるだろう。しかし、いくらそんなあなたが、反対の立場をとっても、残念ながら、誰もその意見を 意見として取り上げることさえしてくれは しないのである。
GSMを始めたとき、私は会員の方々に、「せめて 英語の勉強はしておきましょう」と呼びかけた。
それは、通訳を雇えばいいじゃないかという人にとっては 心地よくは聞こえなかったかもしれない。しかし、私は、この日の来ることを案じていたのである。さまざまな天変地異と 日本の否応なしの国際化の波は これからさらに 襲い掛かってくるからだ。
どれほど時代が進んでも、通訳の機械ができたとしても、相手の国の言葉のコメディーで笑うことが出来なければ、おたがい冗句も言えず、いつまでも他人同士の会話しかできないのである。相手の懐に飛び込んで、そして、笑ったり 真剣にやりあったりしなければ、難しい案件などぜーったいに 片付かない。
そりゃあ そうだわな。
と今思った人は、あたりまえに頭が良く そして、そういう人が英語を身に着けていたら(恐らくはすでにつけているだろうけれど)、今回のTPPがあろうとなかろうと、”ひとりTPP”をしているはずだ。さっさと外国に出入りして、ビジネスの機会を作っているに違いない。




日本人のDNAに火をつけろ

2011-08-12 19:34:19 | フリーメーソン
私は、フリーメーソンを通じて 多くの元兵士で、日本に駐留した経験のある人々や、実際に、日本軍と戦った経験のあるおじいちゃんに出会った。

彼らに共通して言えることがある。
それは、日本軍と戦ったときは、恐怖を感じ、そして日本に駐留したときには、その礼儀正しさに感じ入り、戦後の復活を見て、驚いたという三点である。

日本人は、戦争が終わったとき、すぐに、教育を始めた。
食べるものさえない。教室さえない。そんな中で、学生たちは学校に来て そして勉強を始めた。
教師は、薄給のなかでやりくりしながら、生徒を教えた。

「そういう日本人たちを 尊敬する」多くの フリーメーソンのおじいちゃんたちは、口を揃えて言う。
そして、この強い国民が、この震災から立ち直ることを 信じて疑わないと 言い、そして、今、すでに着々と復興しつつある日本の姿のルポをみて、「さすがに、日本だ」と喜んでいるのである。

日本は、多くの国々と、仲良くなろうとしている。
戦争をしないで、平和に、話し合いで問題を解決できる そういう国になろうとしてきたし、今もその姿勢を崩していない。

韓国が竹島を占拠し、尖閣諸島には中国の軍部の陰がちらつき、そして北方領土には、ロシアがいる。
けれども、日本は決して戦争などをして、彼らと戦うことは欲していない。

もちろん、国内には様々な議論がある。
アメリカを嫌う人もいれば、中国を嫌う人もいるし、またその両方を嫌う人もいれば、無関心な人もいるだろう。

だが、日本のそういう様々な人々が、どこかおかしく、間違った価値観をそれなりに持ち寄って(多分、私も間違っているし、あなたも間違っている。人間社会とは おおよそ間違った者の集まりである。)なんとか、これからの日本を 考え直そうとしている。
御互い、100%ではないのだから、この際、間違いを批判しあうことは、やめて、なんとか、良い道筋・・・それは我々の子孫にとって・・・を、考えていくべきだろう。

かつて、間違いをしたと思えば、その過ちを認め、そして修正し、新しい方向性を出すべきだ。素直さは、大事だし、日本人はなんといっても、もともと素直な国民性をもつ人々の集まりだ。

日本人は、何かを言って世界の人々を感動させたわけではなく、その行動で、復興とそして、たった一億ほどの人口と島国で、世界に冠たる経済大国に登りつめたという 結果 をみせたことで、世界の人々が一目置くようになったのである。
寡黙に、何かをやり遂げたのは、戦後の日本人たちで、彼らの見た目は、もんぺ姿であったり、ボロを着ていたりしていただろうし、夜中までくたくたになって働いていただけの、無名の市民たちであったが、その人たちが、今の日本を築き上げてくれたのである。

私たちは彼らに比べれば、随分、格好良くなった。
背も高くなったし、服装も また、ブランド製品も持っている。
だが、その分、彼らより ちょっと弱くなってしまった。
おそらく、貧困・・・それも掛け値なしの 貧困・・・のなかで、生きるということや、家族を守るということを 経験してこなかったからなのかもしれない。
我々は、今 貧困や、戦後の時期に比べれば、ずっとかわいいかもしれないが、それなりにかなり大変な災害に見舞われている。
そして、幸いなことに、我々日本人のなかには、ずっとこういう災害に対して、みんなで一致団結するという熱い物が、真っ赤に流れており、そのなかには、かつて、ゼロから立ち直ってきた日本人のDNAがぎっしりと 隙間なく 詰まっている。

世界は、もう一度 日本の新しい姿を見て、感動してみたいと願っている。

その姿は、やがて、多くの貧困国への教科書となるだろう。
日本は、もう一皮向けた 新しい時代に入っていくだろう。
私たちは、学び、考え、そして、新しいエネルギー革命をしなさいと、天照大神から命じられているのかもしれない。

つまらない小さな毎日のことを、くよくよ考えるのは、時間の無駄になる。
いつまでも、過去の自分に浸っていても、何も始まらない。
小さな箱の中で、自分なりのスピードで始めるのなら、それはそれでもかまわない。

日本を救うのは、そういうひとりひとりの、DNAなのだから。

どこであれ、あなたが誰であれ、教育を受けていようと、受けていなかろうと、何歳であろうと、経験があろうとなかろうと、まったくそんなことは、関係ない。
自分自身の中に流れているDNAに、火をつけてみれば、自ずと道筋は見えてくるはずだから。

日本人のDNAは、可燃性につき、もし 火がつくと それはもうとまらない・・・取り扱い説明書はない。

オペラハウス

2011-07-30 20:22:31 | フリーメーソン
オペラハウスでのジャパン フェスティバルに行ってきた。
大盛況で、日本の文化、琴の演奏、太鼓 そして西洋風にアレンジした曲 美しい少女達 成田インターナショナル バレエ団によるすばらしいバレエ パフォーマンス。
フリーメーソンのブラザーたちはたくさん駆けつけてきてくれて感激していた。

彼女達のなかには、被災した人たちもいる。

そんな彼女達が白く美しい笑顔で、踊り続ける姿を見て感動しない人はまずいなかったであろう。

我々は、日本を支援する。
そうオーストラリアは言い、国家元首で一番最初に駆けつけた、唯一の首相は、ジュリア ギラード オーストラリア首相であったことを、日本人は忘れない とした締めくくりの言葉に、多くの拍手が沸いた。

多くのブラザーたちは寄付をし、そして、日本に復興のエールを惜しみなく送っている。
我々 フリーメーソン NSW州のメンバー達は、心から応援している。

これで もう 大丈夫。
日本は、立ち直るであろう。

私は、ささやかながら 力添えできたことを、心の中で誇りに思う。

国旗 国歌 というものの私なりの理解

2011-06-09 16:30:03 | フリーメーソン
私の理解なので、あなたと同じ意見ではないかもしれない。
私は はじめからあなたが 私と同じ意見であることを もちろん 期待していないし 同じ意見であってほしいとも思わない。
違うことが前提で あっていい。
なぜなら、私たちは別々の人間で 別々の環境で 別々の体験を経て 生きてきたからである。
だから、当然、私とあなたは 違う。
それは 健全なことなんだ。
だから、私の意見を見て、違和感を感じたとしても、それを攻撃しようとは思わないで欲しい 
ああこういう人もいるのか で、スルーしてくれれば それでいい。
私は自分のブログで、「私なりに こう思う」 ということを書いているだけに過ぎない。


フリーメーソンでは、その国の国家元首と 国旗を リスペクトすることを基本にしている。
日本のロッジであれば、その中には必ず日本の国旗がある。
(ちなみに東京のメソニックセンターには、アメリカの国旗もある。これは歴史的にそうなったためであろう。例えば、マッカーサーが始めて会談を行った部屋なども、当時のまま、まったく同じように保管してある。日本が敗戦をした歴史のなかで、こういう形が取られたのは、要するに戦争に負けたからである。
悲劇であると考える人もいれば、それは歴史の必然で勝者が敗者を裁くことは、当然の成り行きだと言う人もいるだろうし、日本人は とても複雑な心を持ちながら、過去 昭和 平成の時代を 生きてきたわけである)
私の場合は、すでにオーストラリアにおり、そういう歴史的な傷を見ることなく、気がついたらメーソンになっていた。

オーストラリアでは国の元首は クィーン エリザベスになるので、必ず食事の前には、クィーンに乾杯を捧げることになっている。ゴッド セーヴ ザ クィーンを歌うこともあるし、その後は、オーストラリアの国歌を歌うということもある。
が、それを儀礼的に行うことは、当然であるとして行う。
しかし この国でもそれを行わない人はたくさんいる。
しかし、そのために法的処置がとられたとは 私は寡聞にして聞いたことがない。

私にはユダヤ人の仲の良い友人もいるが、彼は、言いたい放題を言う男である。
乾杯のときに、「クィーン カミューラ」とわざわざ言って皮肉っていた。カミューラとは皇太子 チャーリーの後妻のことである。もちろん、ブラックジョークに属するものだが、イギリス王室へのリスペクトというのは、オーストラリア人にとって、半々に分かれるところもあって、特に若い世代では、あまり モナーキストは多いとは言えない。

エリザベス女王はカミューラを手に入れたから、もう馬を飼う必要はないな。と言っている別の友人もいた。
たしかに彼女は多少 馬面ではあるけれど、女性の醜美をあまり言うことは ジェントルマンとしては あるまじき行為かもしれない。

王室や皇室などがあることだけでも、人間の平等という思想から言えば、とんでもないことなんだろうが、私は平等というのは思想の中だけに存在するものであって、観念を離れて、現実にはありえないと言ってきたし 今もそう言い続けている。 何度も味わい、苦しんできた自分自身の体験を経て、そう信じているので、これはそうやすやすと変わりそうもない。もちろん、平等が 本当に できるならそれに越したことはないとは思っている。

日本の教師が、まあ言うなれば、国から給料をもらっている人間が、国歌を歌わない 国旗に敬意を払わない。ならば クビ。という大阪の橋本知事の決定をみて、なるほど、日本はそこまで ゆがんでいるのかと 思った。

私はイギリスの、王室に、個人的にはあまり、深入りしたいとは思わないが、それでも乾杯もするし 国歌も歌う。

日本の皇族に対しては より別の見方を持っている。
歴史的な評価はもちろんのこと、西洋の豪華な金襴の生活に比べて、日本の皇族のつつましい姿に胸を打たれる。
被災地に 老齢を押して行かれた天皇皇后のお姿に、もちろん感動を覚えた一人である。
さらに個人的なことを言えば、自分の血の中にも、幾分かの桓武天皇の血が入っていることを 誇りに思う気持ちもある。

だが、それらを全部 差し引いても、もちろん、君が代も 国旗に対しても敬意を払ったであろう。
それは、私が皇室を尊敬しているということとは 全く別の次元で、日本を愛する 国を愛する あるいは、そこに自分のアイデンティティーを持ち続けるという意味において、日本人にとっては貴重な体験である国歌を共に歌うことへの特別な感情に、浸りたいがためでもあるだろう。

もちろん、オーストラリアの国歌を歌う自分は、そのときはオーストラリア人として、自分の新しい生き方をそこに見出したがためである。これは、これで 間違ってはいないはずだ。
人は、流浪し、やがてそこで新しい価値観を身に着けて、そこから、また新たな萌芽をするものだ。
私の考え方は、もしかしたら、日本にずっと住んでいる人とは 異なるかもしれない。

もちろん、意見はある。
様々な問題点や、ひとつづつの疑問点を言い出せば、キリはない。
たとえば・・・
オーストラリアの捕鯨活動はどうだ。彼らの行う 人種差別はどうだ。日本でいえば 隠蔽体質はどうだ。日本の在日問題はどうだ。などなど、多くの矛盾と疑問と問題を言い出せば、それぞれに多くの問題が含まれており そのどれひとつをとっても、一晩中語ったところで、解決などしない。
しかし、人間というのは、一生たくさんの矛盾や解決などできそうもない問題を 抱えて生まれ、そして死んでいくものなのである。生まれる場所は 選べないが、死ぬ場所はある程度決められると 言ったところだろうか。


多くの私の在日韓国人の友人たちは、君が代を歌い、そして日本の国旗掲揚をリスペクトしている。
彼らは、もちろん、韓国の二世三世であることを誇りに思っているが、同時に 日本にうまれた在日(新たな日本人として)の誇りも持っている。いわば、二つの誇りを持っているのである。この心情は オーストラリアの国旗掲揚で立ち、そこでオーストラリアの国歌を歌う私にとっても、似たものがあると思う。
状況が、そうさせたことは、本人の力では抗らうことはできなかったのだけれど、それを 居心地の良いものにするためには、自分の中でたくさんの複雑な要素を消化し、抗うことなく なるべく ナチュラルに体現していくしか 気楽に できれば やや幸せに 暮らす方法はないのである。

私がフリーメーソンの、メーソンリーであることは、こういう複雑な心情をすべてはじめから、解決できないものとして、受け入れて そのうえで、自分自身にそれを受け入れるだけの器量があるかどうかを 試しながら行き続けるということなのである。

フリーメーソンほど、歴史上 長い団体も少ないだろうし、これほど 力を持った団体も少ないことは知っている。
親睦であろうと、友愛であろうと、所詮 それは人間の集まりであり、そして 人間だから様々な意見と 理由付けを持ち込んでくる。
もちろん、自分の利益になることを 何らかの形で 望んでいるのは間違いないだろう。
それは スプリチュアルな欲求であるかもしれないし、コネクションを作るためかもしれないし、あるいは、コミュニティーに関わりを持ちたいからかもしれないし、自分を守りたいからかもしれないし、それこそ、人それぞれだ。

私自身でいうならば、オーストラリアで25年住んでいる中で、人生の半分以上をすでにこの国で過ごしているわけで、それならば、その国・・・白人社会で 堂々と日本人として生きていく自分を見つけたかったという気持ちがあったからだといえば 理解してもらえるだろうか。

私は、そう思い、そしてそれを ある程度まで為し得たと 思っている。
少なくとも、オーストラリア人のメーソンの多くでさえ 経験のできない あるいは途中であきらめてしまう メーソン内の地位にまで 登ることができた。
運と努力と、そして出会い それらが運命というなら、それはきっと そういうものであったろう。

オーストラリア人たちのなかには、私を見て不思議に思う人たちもいる。
「一体 この日本人の ヘソはどこについているんだ?」とでも言うように 私に、話しかけてくる。
オーストラリアから出たこともない彼らに、理解できるわけがない。

私は 地球の上に生きている。



次に 世界を制する力は 食料になるだろう

2011-05-28 15:30:23 | フリーメーソン
日本には、穀物自給率が28%程度しかない。
その もともと少ない自給率の日本の食料自給率から、福島を引き、さらに 放射能汚染された海産物を引くと、かなり悪くなるだろう。
さらに新興国は今後20年で30%食糧消費が増えるといわれている。
つまり、食料自給率をいまから引き上げる努力をしなければ 日本は餓えるかもしれないのだ。

オーストラリアの旱魃、洪水は、すでに毎年のお祭りのような行事になっており、ロシアも今年は小麦が取れず、アメリカの異常気象は、莫大な損害を出している。また、自給率を上げるはずの とうもろこしなどの穀物を、アメリカはエタノールの材料にしてテキサス州の収入にしてしまい、そのために、CO2の問題はさらに悪くなり、食糧難はさらにひどくなるという悪循環ができている。

日本は、脱原発 自然エネルギーと同時に、食料自給率を上げることをしなければ片手落ちになるだろう。
なぜなら、たとえば太陽光パネルは広い場所を必要とし、そのために土地がすくない日本では、自給率を下げてしまうことになるからだ。

私は潮流と風力発電、それに地熱をもっと開発して、海洋での発電を優先させながら、国内の土壌はなるべく多くを穀物生産にするべきだと主張する。

2030年問題と銘打つ。

それは2030年には、このままいくと、弱りきった日本経済はすでに穀物を輸入する力が無く、餓死者が出るということを、言っているのである。

今、すでに あなたたちは、賞味期限と銘打って、多くの食料品を ただ捨てている。
そして、それらは食べられる前に生ごみとなっていく。
そういう飽食をしていて、そのうちに また神が鉄槌を下すことを、あなたがたは、予想さえしていない。

そうして フクシマが起きたことを もう一度 思い出して欲しい。


善と悪

2011-05-08 00:37:50 | フリーメーソン
何が善で 何が悪なのか。

絶対に 悪 もなければ 絶対に 善というものも ない。

そのなかで、私たちは、自分なりに選んで生きている。

それも、かなり迷いながら。

今回の原発事故も、そうだった。
多くの科学者にとっても、私自身にとっても、原発に事故があるなどということは、ありえない話だったのだ。
つい、2ヶ月前までは。

観念としては、なんとなくではあったが、恐ろしいものだという気持ちはあった。
しかし、あくまで、それは 観念としてのものだった。

ところが・・・
 現実に爆発が起こって、それが飛び散り、多くの人が 被爆した。

東京でも今後30年間、多くの被爆者のガンや白血病が出てくることが、確実である。
数値で言えば、東京から岩手までの人口が およそ2500万人として、そこに20ミリシーベルトの放射能が、年間に厚生省の認可どおりに降り注いだら、1万人に対して40人の死者が出る。
つまり、40人×2500=100、000人のガン患者、白血病患者などが、東日本に出る。
これは、外部からの侵入した放射能のみの計算で、プラス、水、食物を合わせると、その3倍程度になる。
つまり、80人に一人くらいの割合で、ガン患者が直接の影響でおこり、亡くなる。

私の計算など、まったく当てにならないが、それでも、控えめな数字だと思っている。
それに、奇形が産まれることもある。
それはそれは、放射能というものは、実に 恐ろしいものだ。

そこで、今日のテーマ、
何が善で何が悪かを、真剣に考えてみたい。

恐らく、放射能を撒き散らすことより、悪いことは、他には見当たらないのではないだろうか?
この点、私などは、ほとんど 天使だと言って良いほど、善人だと思う。

幽霊に脅えるな

2011-04-30 10:39:14 | フリーメーソン
以前、わたしはこういうことを書いた。

かつて、日本に住んでいたとき、常に誰かによって、コントロールされていることを感じていた。と。
そして、それは、誰だかわからなかったが、しかし確実にその 集団 仮にM集団としよう。・・・によってコントロールされていると感じていた。
外国に出ることによって、その呪縛の鎖を断ち切った。
そして、フリーメーソンである私自身が、断言できることは、そのM集団は、フリーメーソンではない。
と書いた。
M集団は 何をし、どのように国民をコントロールしてきたか。
それを 買いてみたい。

彼ら、M集団は、戦後、昭和20年以降、三つのことを推し進めた。

ひとつ、テレビによる支配。
マスコミ、新聞、テレビによって、国民の意思を左右することを考えた。
大衆の意見 = 世論
つまり、その意見の集約するところ、自民党の 一党支配も可能だった。

ふたつ、スポーツ(主に野球)による支配。
国民はスポーツが好きだ。ルールは難しくない。さほど高等教育を受けていなくても、理解できる。専門用語は実に多彩であるので、ある程度 知識がなければ話せない。しかも、明るく、話題には事欠かない。特に、歌謡曲などとコラボレーションすれば、大衆の不満のはけ口となる。

三つ目 原子力による支配。
日本人には、すでに潜在的な原子力への不安がある。それは広島長崎によるものだし、また長い冷戦の間に、培われた宣伝・・・おもに、これはアメリカによる宣伝だが・・・ソビエト、中国という共産主義というとんでもなく危険な思想によって洗脳された国家が ある日日本を攻めて来るかもしれない・・・ということと、日本の枯渇エネルギー対策ということを、1970年代のエネルギーショックによって、深く広く、不安感をあおり、逆に 平和利用という謳い言葉によって、原子力発電へとなびかせた。アメリカのGE社の高額な原子力発電所を購入、入札させることもできる と同時に、徹底的な推進によって、多くの利権を得た。

と、この三つを集約すると一人の人間に行き当たるはずだ。
名前は あえて挙げない。
だが、巨人 大鵬 卵焼き
の時代に、今の日本の支配の原型が作られたというヒントで 十分なはずだ。

それでも分からなければ、警察官僚もヒントとして与えよう。
それでも分からなければ、日本武道館。
さらには、関東大震災で、「朝鮮人の暴動」というデマを流した張本人。
そいつは、こう言った。
3Sで 国民を痴呆化せよ。 3Sとは「スポーツ セックス スキャンダル」である。



そして、今も 日本人は、その幽霊によって 日本中を支配されている。
そう、あなたが もし、今 日本に住んでいたなら、毎日どこかで、間接的に彼らからのメッセージを受けていて、知らず知らずのうちに、それを実行している。

しかし、彼らの支配のタガが 徐々にゆるんできた。

今、まさに外れようとしているところだ。

インターネットによって、しかし、彼らの鎖が切れようとしている。
時代は、再び煮え始め、面白いところに きている。

東大の教授でさえ、謀反を起こし始めている。
もはや、いくら隠そうとしようとしても、すでにM集団はそのコントロールが効かなくなっている証拠がここにもある。
今まで、仕方なく、彼らに追従してきた学者先生までもが、もはや、良心の呵責に耐えかねて 真実を暴露し始めた。
マスコミは、どう伝えれば良いのか、分からず、とりあえず、小さく取り上げようとしている。
全く取り上げないわけにはいかないからだ。ざまあみろ。

ついに、時代が本当の意味で動く。
それでも、まだまだ、少なくとも、数年はかかるだろう。
だが、思ったよりも早く来た印象を 私は持っている。









ロイヤル ウエディング (昨日 考えていたことなど)

2011-04-30 07:47:32 | フリーメーソン
徒然に書きたい。

昨日の ロイヤル ウエディング を見た人は 世界で20億人だと推定される。と、イギリスは言っているが、それは まあ、言いたい放題の法螺である。
まあ、せいぜい 3億人程度であろう。
20億人といえば、3人に一人が あの退屈な結婚式を見ていたということになる。
テレビを持っている人が、世界に20億人いるはずもなく、世界の半分以上の人口は、電気も通っていない生活をしているので、そんなアホな数字が成り立つはずも無い。
すくなくとも、昨日、アラバマの地域は竜巻のせいで 停電になっており、東北でもまだ多くの地域が停電になっている。
アフリカにも電気の通っていないところは多く、中国の西北部には、まだ19世紀の生活水準のひとがいる。
それなのに、20億人を推定で出すのは、いかにもグレート ブリテンと言って憚らないイギリスらしい。
別に、ウィリアム王子に文句をつけているわけではないが、ウィリアム王子とキャサリンがキスをするシーンがあり、イギリス民衆がバッキンガム宮殿の鉄格子に 動物園の猿か、凶悪犯の刑務所の囚人のように、ぶら下がってみているのを、私はなかばあきれる気持ちで見ていた。

王侯諸侯いずくんぞ種にあらんや

の気持ちは、持っている。

面白かったのは、教会の内部の様々な儀式や、そのなかで使われる言葉で、そこにはフリーメーソンの儀式に使う言葉がたくさんはいっていたことぐらいだったが、これなどは、私自身がメーソンであるために、知っているかなり偏った知識である話なので、とても普遍的に おもしろいということを、多くの人と分かち合うことは難しいだろう。
こういう、ややおたくな趣味以外のところでは、昨日の結婚式は、かなり退屈な見世物であって、それが証拠に、多くの人がビデオショップでDVDをレンタルしていた。

妻は、夕方近くのディリー ストアーに買い物に行って、人が少ないのに驚いていた。
イースターが終わると、シドニーの人は、みんな大量に買い物に行き、それが一段落すると、やっと
「はあ、今年のイースターも終わったな」となる。
ご存知の方も 多いと思うが、オーストラリアでは イースター期間中には イースター ショーというのがあって、そこでは、多くの農場から、牛であったり、豚であったり 鶏であったり、時には、馬であったり・・・を持ち寄って 品評会を行う。
「おおすばらしい 豚だ。毛並みも良く、云々・・・」などと言われても、おそらく 私のフリーメーソンの知識と同様、かなり偏っていて、まったく普遍性の無い話だから、多くの人にとっては、どうでもいいことだろう。
娘は、それでも友達と出かけて行き、イースター バッグなるもの・・・日本で言えば福袋か・・・を、買ってきて、中からスヌーピーのバッグやら、傘がでてきて大喜びしていた。
およそ半数のオーストラリア人たちは、すでに、イギリス王室を支持してない。
残りの半数か ややそれに足らない人々が、ウーマンズ ディーという大衆雑誌のファンで、そういう王室のスキャンダルが好きなのである。
まずもって、サー などという称号がクィーンから与えてもらえる人は、その中の0.01%にも満たないわけだが、宝くじを買えば誰でも当たった気になって、その金の使い道を真剣に考えたりするのと同じような気持ちで、雑誌を読んで、鉄格子にぶら下がって テレビにかじりついて 喜んでいるのだから、まあ、めでたい話だ。罪は無い。 気の毒でもあるが。

ジェームズ ハーディーというメーソンの人間がいる。
彼の会社は、アスベストを作っていて、今 あっちこっちから訴えられているが、なんとか 切り抜けている。

私が思うに、東電に限らず多くの電力会社の末路も、似たような者に成り下がるだろうということだ。
電力を原子力というもので賄うことは、私の少年時代から、夢の新エネルギーとして、鉄腕アトムなどを通じて、刷り込まれてきていた。
子供のとき、交通の図鑑を持っていたが、そこにも多くの原子力自動車や、原子力船、などの挿絵があったのを記憶している。

もちろん、全部 北朝鮮の金正日を崇拝する挿絵のような 寓話であり、ありえない話ばかりであったが、心のどこかで、それらを信じていた。
信じると、そこから想像に色がつき 広がり、未来という言葉を聞くだけでそこには ユートピアが待っているような気がして、現実と乖離された、なにか素晴らしいことが待っていると思い始める。
今から思えば、
そう、今から思えば という過去の賛辞をすることになるのだが、街には多くのそういう夢を持った子供があふれて、アポロ11号の月面着陸を 小学館のボール紙でできたロケットを組み立てることで、(それは ちょうど私の身長ほどもあった) 父の日曜日を台無しにした時代、あるいは、サンダーバード アイランドを父に組み立ててもらい、バネ仕掛けのロケットが飛び出して喜んでいた時代・・・のほうが、とても幸せだったように思える。
子供のころ、私のおもちゃ箱には、そういう様々なものがいっぱい詰まっていた。
ディズニーの映画を見た後、家でもういちど絵本を見ると、感動したりしたが、今では、その当時の絵本全集は、とても貴重なものらしい。
おそらく サンダーバード アイランドも それから2号機も、貴重なものなんだろう。
でも、当時のウルトラマンや、ゾフィーも、私の古い40年前の記憶は残り、おもちゃたちは、どこかへ消えてなくなってしまった。

多分、こういうことなんだろう。
原子力発電所というおもちゃは、日本人にとっては、夢の実現であり、それを手に入れるために、多くの学者、実験室、工事費、維持費、などなどの経費をさんざんかけて、そして、それらは、散々遊んだら、どこかでつぶれるようになっており、それは、サンダーバードアイランドのロケットが割れたり、バネが効かなくなって飛ばなくなったりしたあと、プラスチックの粗大ごみになったように、コンクリートと瓦礫の粗大ごみとして、どこかへ埋め立てられる運命にあるということなのだ。

私たちはすでに 心のどこかでそれらを織り込み済みのこととしている気がする。

電気代があがり、東電の役員報酬が削減され、その削減幅が少なすぎるとさまざまな人が 文句を言う。
アメリカでは、破綻した金融機関が税金で生きながらえ、そのCEOたちが、多額のボーナスをその税金から受け取っていたなどということがあったが、それに近い話だ。
一流大学といよばれているところは、あまり 良い人を作り出さない機関らしい。
ならば、必要ないもののようにも思える。

もちろん研究も勉強も否定はしないし、一流大学が悪いと言っているのではないが、、偏った知識だけでは、人が人でなくなると思うのである。

昨日は、ウィリアム王子の結婚式から、今の日本をシドニーからみて、こんなことを考えていた。







将棋とチェス

2011-04-19 18:51:47 | フリーメーソン
西洋と日本の違いを、否応なく 毎日の生活の中で、考えることがある。
それは、たとえば、チェスと将棋においても、随分と考え方の違いに気がつく。

将棋では、歩を捨てることを、あまりためらわないほうが 勝つチャンスが広がる。
そして、相手から取った駒は 再利用できるので、死ぬことを恐れない。

一方 チェスでは、歩を捨てることを ためらう。
歩が減ると、それだけ、後々、攻め込まれやすくもなり、また、駒の再生ができないために、一人ひとりの歩兵を大事にする。

この、考え方は、戦争でも如実に出ている。
日本のゼロ戦が強かったのは、驚くべき軽量・・・つまり、命を守ることを無視して作られたためで、敵の弾が貫通することを避けるための防御ということは、一切 考えて作られてはいなかった。
結局、戦争末期になると、600時間を越えたベテランパイロットの多くはすでに戦死しており、互角に太刀打ちできることは、出来なくなってしまっていたことも、敗戦のひとつの原因に挙げられるだろう。
一方、アメリカのパイロットたちは、命を大事にするために、重装備をさせた。
捕虜になっても 生きることを望んでいたし、日本は捕虜になる前に死ぬことを望んでいた。

だが、日本の捕虜は、一旦捕まると、案外 口が軽かったとも言われる。
つまり歩兵の再生ということが、行われ、すんなりと 相手のチームの兵力になってしまうというメンタリティーもあるのだろう。
ちょうど、竹中平蔵のように、ひょっとしたら、アメリカの兵隊ではないか?と疑いたくなるようなことを、平気で行うのである。
それも、面白い 日本人の特徴であるのかもしれない。

日本人には二種類ある。
ひとつは、支配する立場。
もうひとつは、歩兵。
支配する立場も、王様に近づくほど 優遇される。
例えば、金、銀など、そして 大きな顔をしている角と飛車は、陸軍や海軍に匹敵するのだろう。香車はミサイル。桂馬は、まあ、迎撃用ミサイルといったところか。
ともかく、歩兵は一般市民であったり、あるいは下級役人であったりするので、数は多く、いつでも 死んでくれて構わないと考えている。今回、92.5%が水死 そして60歳以上のお年寄りの被害が、全体の6割を超えていたそうだ。
これは、どうしたことだろう?
結局は、弱い体力、弱い立場の人間は、きちんとした防御もなく、死ぬことになったということでは なかったろうか?

むろん、何もかもが防げるなどとは 思ってもいない。
だが、救える命もあったのではなかっただろうか?と思うのだ。

チェスの考え方を適用すれば、やや 見えてくるものがある。
例えば、孫子の言う地の利でいえば、やや山や丘の上に老人の住める環境を整えていれば、それだけで、助かった命が かなりあったはずだし、あるいは、南三陸町のフラットな土地に、人工的に丘のある公園を、ブロックごとにつくっておけば、助かったかもしれない。
そして、それをコンダクトできたのは、頭脳・・・つまり支配層であったはずだ。
もし、その気になっていれば、小さな丘を作ることは、たいして金のかかることではなかったと思う。
すでにある土地を 有効利用し、できることはあったhずだ。
子供たちの遊び場にもなり、一挙両得であったはずで、高さは、30~40メートルほどであっても かなりの人が助かったはずなのだ。

だが、そういうことは、一切だれも手をつけてこなかった。
もちろん、今後、しなければならないはずだが・・・日本政府は、どんな青写真を出してくるのだろう。

棄民政策は 将棋のなかに、すでに現れている。
日本人のえげつない メンタリティーだ。
日本人は残酷で 野蛮な部分を 持っていると思う。
個人や弱い立場の人間の犠牲を なんとも思っていない。
そんなところがある。
だから、満州から引き上げてくるときも、多くの子供たちの命が奪われたし、今回は、子供たちと老人がたくさん亡くなられ、そして、原子力発電所の問題も、多くの一般市民が巻き添えを食っている。

政府は、安全宣言を出したくて うずうずしている。
東電にプレッシャーをかけて、最終目標を無理やり出させた格好だ。

まだまだ、そんな段階ではないはずだ。

私は、この政府の言うことに、何の信用もおけそうにない。





大事なことを考えてみた

2011-04-09 07:51:59 | フリーメーソン
基本にもどって 考えてみると、
日本が今のように成長できた理由には、その性格の従順さにあるとおもう。
司馬遼太郎によると、倭 という意味はもともと、従順な人 という意味だったそうで、それは任那というところに、日本人が当時住んでおり、その人たちを指して言ったものだとか。
日本人の性格は、もともと従順であり 何かをするとき、組織として行動すると大きなことができる。
韓国人がよく言うことに、「一対一なら韓国人が勝つが、3対3になると日本人が勝つ」のだそうだ。
それは、日本人の組織力を 言っている。
これは、個の主張の強い韓国人と 集団での主張をする日本人との違いを的確に表現している。
例えば、芸能人などという個の主張を強く出来たら生き残れる世界では、韓国人は圧倒的に強いわけだ。
しかし、製造業などになると、個の主張が強すぎると ともすれば労働闘争となり、意見が分かれて収拾がつかなくなるのも韓国である。

今回の東日本大震災における、日本の対応も、非常に日本らしいと思った。
つまり、個の力にたよることなく、みんなで乗り切ろうと、最初にスローガンをあげる。
「あなたは一人じゃない」というメッセージだ。
もしこれが、オーストラリアなら、
「おい、そこのオーストラリア人、はやく立ち上がれよ」という掛け声になるだろう。
"Come on Aussie...Get up Mate!!!"
と言う具合だ。

日本人の強さの分析をするとしたら、おそらくその集団性であろう。
ひとりひとりは、とても穏やかで、どうみても、第二次世界大戦でアメリカと戦うような顔はしていない。
どちらかというと、ぼんやりと立って鼻くそをほじっているような顔をしている日本人たちが、アジアを侵略し、アメリカに奇襲をかけたりしたわけだ。
大それたことを・・・と思うのは、今の空気を吸っている日本人だからかもしれないが、それにしても、である。

日本が乗り切るためには、集団がひとつになる必要があり、そうなると、とても大きな力を示す。
もっともな理由がそこにはあるわけで、具体的に言えば、1億人以上の人間のパワーの集結なのだから、一点をめざすと、当たり前に すごいはずだ。
一億人といえば地球の人口の2%にあたる。
おおよそ、100人に2人の割合で、地球には 日本人が住んでいるわけだ。
少ない人数かもしれないが、それでも、人数の頭数にはいる十分な数字だ。
少なくとも、ほとんどの国がそうであるように、ポイント以下の人数ではない。
この割合から言えば、中国人は、26人程度、インド人は20人、アメリカ人は6人程度となるけれど、ふたを開けてみれば、中国人は、50以上の人種の坩堝であり、インドには、何百という宗教が乱立しており、アメリカにいたってはフルーツバスケットのようにカラフルである。
日本は、それにくらべて、二人しかいないのであるが、それでも、まとまりやすい要素がたくさんあるわけだ。
戦後の復興が奇跡だと言われていたが、奇跡でもなんでもない、必然である。

だから、日本はまた立ち上がる。
そのためにかかる時間は、また世界を驚かせるほどの速いスピードだろう。

方向性を間違うと またとんでもないところへ行ってしまうのが心配なんだが・・・
なにしろ、決めたら、レーザービームで飛んでいくので、誰も追いつけないかわりに、後戻りもできないという・・・




国の代表とは

2011-04-06 01:29:27 | フリーメーソン
フリーメーソンにおいて、司祭を務めるというのは、本当に大変な仕事である。
多くの人が、「なるほど、この人のいうことなら聞ける」と思わなければ、ついてこない。
そして その多くの人というのは、年齢と経験を重ねた人たちである。
だから その人たちに向かって 物をいうときには 最新の注意深さが必要である。

それを知らずに、たまたま司祭の地位について、えらそうに 何様かになってしまったら、その人は、早々にそっぽをむかれ、結論は、身を滅ぼす。
器以上の事を うぬぼれで行うと、結果は 国はどこであれ、同じようにボロボロになってしまうのである。
ボロボロとはどんなことかというと・・・
たとえば、ある人は、シドニーから追われた。
家族もばらばらになり、仕事も失い どこのロッジからもそっぽを向かれた。
遠く地方に行っても すべて彼の行動は筒抜けであり、住所には様々な請求書が送りつけられる。

うまく司祭を乗り切ると、しかし、まったく逆の結果になる。
いつまでも 讃えられ、感謝もされ 尊敬も手に入れる。
そして、誰からも愛され、仕事も面白いほどうまくいき、ビジネスもどんどんとサポートがつき、家族はどこでも不思議なほど優遇される。
それが 一生続くのである。

この違いは、なんだろうか?

実は、非常に簡単なことなのである。
そのキーワードは、謙虚さ

謙虚に、物事をみんなの意見や顔を立てて推し進めると、必ず 周りが押し上げてくれる。
組織が大きくなればなるほど、上に立つ人間は 謙虚なものだ。

日本のトップは、内閣総理大臣である。
漏れ聞こえてくる話によると、彼は、いつも回りの人間に怒鳴り散らしているらしい。
人は、彼の事を イラ管と揶揄しているとか・・・

これでは、うまくいかなくなるのは、当たり前じゃあないだろうか?
彼は、どうして、謙虚に、この自然災害の事態を受け止めて、多くの人の意見を取り入れる姿勢を出さないのだろう。
威張って、自分を大きく見せることが 今の時代に望まれる リーダーシップのとり方ではなく、また、ヒーローになることも、リーダーに望まれている姿ではない。

自然発生的に、多くの人が様々な活躍と、大きな仕事をしてくれることこそ望ましい結果であって、リーダーは謙虚に その多くの人が動きやすくなるように、環境をととのえて、謙虚に耳を傾けることこそが、今の時代には必要なんだ。