Sydney Yajima


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今後について

2018-05-01 10:02:59 | Weblog

今まで、多くの人とともに、やってきたGSM。

またこのブログも、「南で食事をする男」以来 20年近い長期にわたり不定期に連載してきました。

そろそろ、その役目は終わりに近づいてきたようです。

 

これからのビジネスは、AIが中心となります。

たとえば、株取引で利益を上げることはAIを制したものにのみ与えられる特権となりました。

まだ、あと数年は今まで通りにやっていけるかもしれません。

しかし、時代の流れは確実に次に移っています。

 

若くて才能のある人が沢山出てきました。

そして、彼らは屈託なく笑います。

日本に残された希望は、そのDNAの中にあるようです。

そう、確かに希望はあります。

 

繰り返しになりますが、この辺で終わりになりそうです。

そして、GSMの皆さんも(皆 昭和生まれの人ばかりでしたが)そろそろと、そういう時期にさしかかってきましたよね。

 

中国のここ30年の経済発展は、私の友人・・・あるユダヤ人のおじいさん・・・が言いました。

「脱帽だな。」と

2008年のリーマンショックのときのことです。

 

アジアの発展は、素晴らしいことだと思います。

過去200年間、インドを含めると実に500年間も、苦しめられてきたアジアと欧米の力関係が、変わろうとしています。

早く乗り換えるか、じっくり乗り換えるかの違いはあるかもしれませんが、いずれにせよ、列車は走り出してしまったわけです。

もちろん、脱線事故がないとは言い切れません。

しかし、それにしてもアジアという列車は未来のどこかの地点に向けて走り出してしまったのです。

 

ドナルド トランプというかび臭いにおいのするまるで、ロナルドレーガンか、あるいはもっと前のニクソンまでさかのぼってしまいそうなほどの、古いタイプの政治家が米国の最後のほうに出現し、そして、幕引きのピエロを演じているようです。

北朝鮮問題や台湾問題を近隣に抱えた日本は、5万人近い米軍兵を国内に抱え込んで、これからどうするつもりでしょう?

ずっと「思いやり予算」で、日米同盟を続けていくことで、日本の安全を担保し続けるのでしょうか。

おそらくは、そうなるでしょう。

私の見たところ、日本はいつの間にか、そういう誰かに何かをしてもらうことに慣れてしまい そこに居心地の良さを感じ、自分の足で立つ気概よりも誰かに決めてもらったフレームの中で、自分さえよければそれで構わない という人々が増えすぎてしまったようです。

本来ならば、自分の軍隊を持ち、そして自分の足で立ち、自分の意志で戦い、そして守るのが国の姿です。

でも、憲法9条は、そういうことをすべて否定して、います。そのままで行けば、「かつて、日本という国があり、そこでは平和を愛する人がいて、そのために武器を持たず死んでしまった」と語り草になることでしょう。

もし、それを日本人が「良し」とするならば、それはそれで一つの生き方でしょう。

そうではなく、自分たちで国を守るのだという意思を持つならば、アメリカとの安保体制だけではなく、やはり憲法そのものを変えて自分たちの軍隊を持たなければなりません。なにしろ、かつて、あれほど輝いていた米国は いまや疲弊した貧しい国になったからです。

米国に、日本を守る力もそのつもりも、ありません。

せいぜい脅しをかけて、自分たちの古いイージス艦を並べて、使えることもできない核爆弾と空母、それにもうすぐ時代遅れになるステルス戦闘機を見せて、「すごいだろう」と言っているだけにすぎません。

もう、戦争そのものの定義が揺らぐほど兵器開発も次の世代へと移っています。

戦争は、ハードの殺し合いで行うものではなくなりました。

もっとソフトな面での戦い方を求められる時代です。

それは、文化であったり、スピリチュアルなやりかたであったり、あるいは、幸せについて考えてみるということであったり、他者との共存を求めていくことであったりもします。

大砲でドカンというのは、もう、さすがに古い発想ですよね?

分かりますか?

 

日本人たちはとても、親切で優しい人が多いのは事実です。

私自身、日本人の血をひく者として、日本を愛さずにはいられません。

その日本人たちが、自分たちの持つソフトの力に気が付き始めたようです。

 

ところが、そうではないと考える人がたくさん住んでいる町もあります。

東京です。

 

私は今、新しい試みを始めました。

まだ、皆さんにお披露目できる段階ではありません。

この年になって、新しい試みができるのは、幸せなことです。

 

勘違いしている日本の多くの人たちの胸には、突き刺さる耳の痛い話かもしれませんが、もう少し、聞いてください。

 

日本の中の東京という場所があります。

東京といえば首都です。

しかし、いつのまにか、東京が日本よりも上に立ち、そして、東京があってこその日本というほど うぬぼれが出てきて、おごり高ぶり、そして、東京に住まなければ人ではないというところまで来ました。

顕著な例が2011年の福島での原発事故です。

福島は、大事な日本の場所だったはずです。

でも、日本人は、何事もなかったかのようにすぐに忘れました。

まるで、手品でも見ているようです。私は、呆れるしかありませんでした。

この人たちは、人間か?

これでも、人間の国か?

とまで、思ったほどです。

自分さえよければそれで、いいのか?

とも、思いました。

今夜も渋谷の交差点には、昼間のように電気が灯ることでしょう。

それは、景気を良くするために良いことなのでしょう。

歩いている人々の罪でもなければ、電気を供給している人だけが悪いわけでもありません。もちろん、外国に住んでいる私のせいでもないはずです。

でも、全員が どこかほんの少しずつ 悪いはずです。

でも、自分以外の「誰か」のせいにしたがり、そして、自分だけが被害者だと言う。

それだけではありません。

その生活を楽しみ、享受している人がその本人だったりもします。

彼をいけないという権利はもちろん、誰にもありません。

私は彼を批判するつもりもないのです。

「そういうものなのだ」と悟ったようなことを言う人もいるかもしれません。

でも、悲しいことに、時間は過ぎます。

すぐに、やがてどこかへ消えていく運命の私やあなたたちは、誰かのせいにしたり、自分が被害者だと言ってみたりする暇はないはずなのです。

私は、長い間、外国に生活しているので、自分は、恵まれている部分があると思う反面、すでに国籍のない元日本人としては、別の「当たり前」が存在しているので、その別の「当たり前」の観点から見れば、日本をどこか遠いところから眺めている第三者という立場でもあると思います。

つまり、日本に住んでいたなら、きっと、こんなにのんびりしていなかっただろうと思うし、もっと怒っていたのではないだろうかとも思います。

もちろん、自分だけが正しいというつもりはありません。

言い訳に聞こえるかもしれませんが、私も間違えました。

大きく間違えたことがあります。

それは、2011の地震で、深く反省するに至りました。

もっともっと、考えなければならない問題です。

核融合というものは、私たちの世代の思想に大きく関与していたようです。

 

ドカンと一発。

あとは、なんにも無いではないか・・・

 

この、ドカンについて、もっともっと怖れるべきでした。

 

経済に話をしてみたいと思います。

今 日本の景気が良いというのは、半分正しくて、半分間違っています。

複合的な理由で、株式は上昇しています。

単に、アベノミクスによって、ではなく、特別な経済政策のお陰、でもないのです。

これは、トレンドの波です。

相場を知っている人なら、何度も見てきたあくびが出るほど退屈な「現象」でしかありません。

ただ、日本の株価は上がり、それによって賃金と物価も上がろうとしています。

それが、幸せにつながるかどうか?といえば、まったく、つながりません。

日本が豊かになったのかどうか?と聞かれれば、私は迷うことなく答えます。

日本はとても貧しくなったと。

 

1980年代の日本は、確かに豊かでした。

そこにいた人間の一人として これは、断言できます。

そのころの日本には、少なくとも夢を語る大人たちがいました。

そして、彼らは、キラキラとした目をして、私たちに色んな事を教えようとしてくれました。

でも、私たちはそれほど良い生徒ではなかったようです。

なぜならば、戦争体験というものが皆無だったからだ という言い訳だけがすぐに出てくるほどのボンクラだったからです。

 

日本が急下降した時期は、中国が台頭してきた時期とぴったりと重なります。

熱いお湯と冷たい水を混ぜたら、徐々に温度は平均化していきます。

そう、日本という島国と広大な中国大陸は、そうやって徐々に平均化してきたのです。

 

1980年代の中国は、人民服を着て、北京は自転車であふれ、そして、ファッションは古めかしく、日本からほんの少し滴り落ちるような文化に触れては熱狂していました。

山口百恵や西城秀樹 高倉健といったスターたちが中国でもてはやされた時代があったのです。

今でも、老人のなかには、懐かしそうに話す人もいるでしょう。でも、もう、その時代は終わりました。30年間。どんどんと時代は進んでいったのです。

 

私が、初めてインターネット配信を使って書き始めたのは、1999年です。

もう20年経とうとしてます。

当時の私の周りには、戦争体験のある人々が沢山いて、日本にも進駐軍の一員として行ったことのある人もいました。ベトナム戦争や朝鮮戦争に行った人はもっとたくさん、いました。

その人たちは、滅多に他所ではしない表情で 私に、当時の話を聞かせてくれました。

私は、そこから得た話や、その人たちがかかわる生活、あるいは、伝わる情報などをもとに、自分なりに咀嚼して、日本の人に発信してみたわけです。

楽しゅうございました。

そのおかげで、多くの人々と交わり、北海道から沖縄まで旅をしたこともありました。

 

GSMの皆さんとは、また お会いしたいと思います。

ロッジをやりましょう。

ところで・・・

このブログは、もうすぐ閉鎖します。

 

 

私のメールアドレスを残しておきます。

季節の挨拶でもなんでも構いません。

メールが来たら、返事をします。

southman60@hotmail.com

 

 

 

 

 

 

 


理想主義

2016-08-11 00:34:43 | Weblog
理想を、高く掲げて、それを貫こう。

というのは、おおよそ ポジティブな意味に使われる。
だが、その理想というものの、内容が問題だ。

たとえば、共産主義を理想にする国が隣にあったら、資本主義の国はどうだろうか?
あるいは 社会主義はどうか?
キリスト教を世界中の人が信じるべきだと言い出したら、君はどう思うか?
イスラム教を信じなければ、死ね と言われれば、どうか?
憲法9条を守ることが、正しい理想だと信じている人がいたら、どうか?
いろんな 理想があることを、私は知っている。
例えば、化石燃料を使わない理想というものもあるし、原発を無くそうという理想もあるだろう。

理想を持たないものは、ダメだ。

という人がいると、「ほよ、そうかな?」と思えてくる。

若いころは、「そうだ そうだ」と思えていたが、今は、違う。

理想なんて、どうだっていい。
大事なことは、生きていくということなんだ。
と思うんだ。

それも理想のうちか・・・

GSMの今後について

2015-05-19 20:23:48 | Weblog
太陽は、相変わらず東からのぼり、そして、西に沈む。
ゲイ カップルが結婚しようとも、子供はやはり女性からしか生まれない。
何も変わらないまま、生きているのだと このことだけを見て考えているならば、それは しかし 違うと私は言わなければならない。

時間がたてば、それだけ、知恵もつき、今まで見えてこなかったものも見え始め、やがて、気が付いたら、がけっぷちに立っていることだって あるのだ。

もちろん、避ける方法はあるだろう。
だが、因果応報が、この世の常ならば 私たちは何を選択し そして 何を正しい変数として導き出し、何を間違った解として閉じ込めたのだろう。

もともと、何もなかったところに、まるで 新しい魔法の力を植え付けるように、原発を作り上げた20世紀の試みは、いかにして終わったのかを、あなたは 目の当たりにしたはずだ。
それは今も実際は終わりを告げているわけではなく、どうすればいいのかが 分からなくなっただけだ。

もともと、何もなかったほうが良かったのかそれとも、何かをしたことで、学ぶことができたのか。
学ぶことができたとしたら、なんだったろうか?

つまるところ、私たちに日常は何も変わらないようにみえても、かわっていく。
多くの人が亡くなり、あるいは、見殺しにされている。
今現在、そして、今日も ただ太陽が東から上ることをみて、あるいは、子供が女性から生まれるところだけをみて、安心したいと願っているに過ぎない。

不安をもっているはずだ。
それは、私が指摘しようとも、しなかったとしても、あなたの不安はぬぐえない。
なぜならば、それは私が作り上げた不安ではなく、そこに、確実にある 「何か」なのだからだ。

ただ、淡々と、経済の動きを書きながら、私はため息をついていた。
経済が、人間のどれほど多くのエネルギーを吸い上げのたうち回りながら、人々を傷つけ、ときには殺し、あるいは、気を狂わせ、あるいは、手の届かない高いところへ行ったつもりにさせたとしても、実に くだらない事象の一つでしかないものだからだ。

それでも、これからも書き続ける必要がある。
GSMが続く限りだ。

形を変えていくつもりだが、徐々に時間をかけて変わる。
しばらくは、今までのように、GSMのページ内にはより突っ込んだ内容を書き続けるつもりだ。

形と内容をより濃くしていくための準備を始めている。




借金とビジネス

2014-10-04 20:40:31 | Weblog
通常、銀行に借金の申し入れをする場合、その担保が保障されない たとえば、ベンチャービジネスなどでは、多くのハードルが存在する。
それは、どの国であっても同じである。
世の中には、金を借りても返すつもりもない人がたくさんいる。
そういう人たちが、貸し手の信用を無くし、きちんとビジネスプランを立てられる人にも、難しい審査を通さなければならないようになってしまったのである。

しかし、まずは自分自身のことをきちんと理解しないまま、闇雲に借金に走ってビジネスをしたいと思っている人がいるのも世の中の常である。

では、どうすれば自分自身のことをきちんと理解することができ、自分の立っている場所が確認でき、さらにはビジネスを成功させるモデルを描くこともできるのか?
このことについて考えてみたい。

続きはGSMで

怠けろ さらば救われん

2013-06-30 20:38:43 | Weblog
いつも政治や経済の話ばかり書いていると、一般受けしないので、今日は砕けた内容になるが、怠け者について書いてみようと思う。

怠け者は、いけない
とか、
働かざるもの食うべからず
などと、子供のときから教え込まれ、それが唯一 絶対の真理だと洗脳されてしまった日本人は、勤勉であることこそが、正しいと信じ込まされている。

まずは・・・
あなたのまわりに、怠け者は、いないか?
ということを、ちょっと考えて欲しい。

会社で、うまくさぼるヤツは、生き残る。
そういう例を見たことは、ないか?
例えば、タバコを吸うという行為は、どうだろう?
「ちょっと 一服してくるわ」
というのは、当然のように許されている 当たり前の行為のように思われているが、ちょっと考えてみて欲しい。
一時間 10分間の休憩を 取る人と取らない人との間には大きな仕事の違いが出てくる。
だが、タバコをすう人は、タバコ仲間がおり、そこで 内緒話に花を咲かせていたりもするのである。
彼らは、タバコという非効率的な作業をしていても、吸わない人と同じ給料を取り、そして、堂々としている。
一時間に10分は1/6であり単純計算で、30年勤務したとして、5年間はタバコを吸うだけで、全く働いていなかったという計算になる。
そう、彼はまるまる5年、堂々とホリデーを取っているのだ。
誰からも責められることもなく、だ。
もちろん、寿命が縮むとか、健康を害するということは別の次元の話である。


タバコを吸うことが=怠け者 だと言いたいわけではない。
ただ、5年間 休んで遊んでいる社員を社長は許さないであろうし、彼は、おそらく いや、ほぼ間違いなく首になるであろう。
また、怠け者のレッテルを貼られるであろうし、社会で適応できない人間として、精神科へ送られる可能性だってある。
彼は、他のタバコを吸う社員と同じように、同じ時間を、タバコを吸うという行為以外の方法で、使おうとしているだけなのだ。

もちろん、タバコを吸う社員にも言い分はあるだろう。
タバコを吸っているときも、仕事の計画を考えていると言うかも知れない。
あるいは、拘束時間にトイレに小便に行くのと同じで、許される範囲ではないか とも言うだろう。
私は、誤解されないために、書くが、決して タバコを吸う人間が怠け者だと言っているわけではない。
また、タバコを吸わない人間を、働き者だと賞賛しているわけでもない。
ここで、言いたいことは、時間というものは、人によって、様々で、使い方は多岐に渡るということだ。

金持ちになる方法
という本が、様々なタイトルで手をかえ、品をかえて、巷に溢れている。
私は、それらの本のすべて、とは言わないが、99.999%が、なんの役にも立たないと断言する。
もし、あなたが、金持ちになりたければ、まずは、そういうものに、金を使わないことだ。
要するに、そういう馬鹿げた本に金を払わないことである。

では、金持ちになりたければ どうすればいいのか?

この方法について、書いていこうと思う。
ただし、
信じる 信じないは貴方次第であり、実行する しないも貴方次第。
それから、金持ち=幸せ という図式は 必ずしも成り立たないどころか、金持ちになると自殺したくなるかもしれないことと、持てば持つほど不安にさいなまれて夜も眠れなくなるという覚悟のある人は、続きを楽しみにしておいてほしい。

また、この話についての活発な議論は、GSM内の掲示板で行われるとする。





スピリチュアルな目覚め

2012-07-09 01:06:56 | Weblog
今まで書いてきたブログの内容とは、違うものになるので、現世的な経済や政治の関心だけを求めている人には、そぐわないだろう。従って、是非そういう向きには、読まずにその現世的なものを探しつづけていけばよい。だが、いつの日になるという正確な予想は言えそうもないが、そういうあなたも、必ず私の今いる場所に行き着くことになるであろうことを、予言しておく。
現世的な利益は、間違いではない。
それは生きていくために、あるいは自分が強くあるために、時には、人よりも優れている自己表現の手段として、多くの人がはまる罠であり、それは巧妙にできていて、ちょっとやそっとでは、見抜けないものだ。それに、もっともその罠の中でも危険な部分は、永遠に満足できるものではないという人間の欲望の本質を十分に見抜いたうえで仕掛けられているという恐ろしいものだ。
あなたは、今でも恐らく、金銭的な成功を望んでいるだろうし、また、ビジネスの機会を与えられると、飛びつくに違いない。
飛びついて、自分の期待通りの結果が得られなかった場合、きっと、様々な外因を探し、時には、全く関係のないものに対してまで範囲を広げて恨み、嫉妬さえするであろう。
しかし、あなたを今の苦しい状況に追い込んだのは、すべて、その欲のせいであり、恨み嫉妬をするあなた自身の心の闇のせいなのだ。
はっきりと言えることは、「お金持ちになりたい」と望んでいる人間が、お金持ちになれることは、絶対に ないということだ。
お金とは、はじめからそこにあるのであって、それを所有したいとのぞむこととは、別の意味を持って、そこにただ、あるものなのである。

あなたの周りには、幾人かの人がいるであろう。その人たちが あなたを愛しているだろうか?あるいは、あなたは周囲にいる人々を愛することができるだろうか?

あなたの声に、その人たちは耳を傾けてくれているだろうか?
あなたは、周りの人々の声を、少しでも聞こうとしていただろうか?

私自身の反省も込めて、私はあなたに話すのである。
間違いを認めないまま、自分だけが正義だと思い続けることは、とても辛い選択なのではないだろうか?と。

美しい世界は、そこにある。
すぐそこだ。
言葉、景色、関係など、全てのものに美しい姿を求めると、それは、そこに ある。
ただ、それを美しいと思わない自分が、今ここにいるだけなのだ。

お金は、満足を与えない。
お金は、自由を与えない。
お金は、幸福を与えない。

だから、お金を求めると、そこに、無限地獄があり、延々とそれが続くのである。

自由な言葉と、あやとりを楽しみながら、生きているうちに人生というものは終わる。
楽しみの先には、終わりという日が来る。
その日、あなたは、自分のポケットの中のコインが何枚残っているかを気にするだろうか?
それとも、ただ、自分の足跡を振り返りながら、生きてきたことを、神に感謝しているだろうか?


坂本龍馬はどこに行った?

2012-04-10 18:30:43 | Weblog
よく 平成の坂本龍馬はいないのか?という人が言う。
今日はそのことについて 書いてみたい。

「我こそは 坂本龍馬なりぃ~」とばかりに 維新という名称を使う人が政治家にいるけれど それも偽物。とまず、書かなければならない。
なぜなら、坂本龍馬本人は、一切 政治に関わりたいと 願っていなかった。

彼は、貿易ビジネスをしようとして 幕府が邪魔だからちょいと潰しただけで 維新後のメンバーに入ることも断った。
「世界の海援隊でもします」と西郷に言ったのが その証拠だ。
器が違う。

もし、今の時代に坂本龍馬が生きていたら、どんな風だろうか?

まず、彼は勉強が嫌いだから、絶対に日本で大学に行ったりはしなかっただろう。
日本で大学に行かなければ、三菱商事には入れないし、その会長になって率いるということもできないだろう。
残念なながら彼の作った海援隊の今は、ずいぶんちがったものになっていて、しかも エリート集団だ。
坂本龍馬が今の時代にいたなら、多分、野球をしているかそれとも、空手などの武道、あるいは、音楽でギターを弾いているかのうちのどれかだ。いずれにせよ、定職についてはいない。

それに、「日本は狭すぎるわい」と言って若い頃にポンと外国へ飛び出しているはずだ。
外国でいろんな 姉ちゃんたちと良い関係になったりして、もしかしたら、性病のひとつふたつ うつしてもらったりも、しているだろう。

もともと、大きな視点でモノを見ているので、なにかのビジネスを始めるようになっているに違いない。
もしかしたら、年齢がいってから、外国で大学にいってビジネスの勉強をしたかもしれない。「坂本龍馬 論語を逆さに本を読む」という笑い話があるのを思い出した。

つまり、今はまだそのあたりで 多分外国でフラフラしているはずだ。
日本のことを気にかけてはいるだろう。
しかし、「ワシあたりが ひょこひょこ日本に行ったところで、なんになるんじゃ?」と言っているに違いない。

いずれにせよ、今の日本にはいないはずだから いくら探しても見つからないよ。

社会世相

2012-04-09 08:03:34 | Weblog
ジェリィサインフェルドのブラックジョークから・・・


自殺未遂した人は、その後、頑張って 生きようとする。「ちょっと待て」と俺は言いたい。自殺しようとした原因は自殺未遂では解決していないぞ。現実には、さらに自殺未遂をしたという臭味が加わっただけだ。前よりも悪くなったんだ。さあ、諦めるな。簡単に諦めるから、ここまで追い込まれたんだ。頑張れ。頑張って自殺しろ。手首がダメならロープ、ロープがダメなら排ガス。排ガスの調子が悪かったらチューンナップしてやりなおせ


うーん。
これを、日本のコメディアンがテレビで言ったら多分 顰蹙ものでしょうな。
ビートたけしが若い頃なら、言いそうだが、彼も、巨匠かなんかになってしまって、以前のムチャぶりがなくなってしまった。
そりゃあ、弟子が政治家になり 自分も世界的映画監督にまでなったのだから、仕方ないかもしれないが。

しかし、他人ごとで大笑いすることが、どれほど痛快なことかは、多くのバラエティー番組を見ていたら分かる。
昨夜もイッテQを、子供たちと見ていたが、本当に大変な海外旅行を、命懸けでしている。
かつて、海外旅行番組といえば、上品な言葉遣いで、華麗な雰囲気をたたえた 兼高かおるあたりが、解説するものだった。パンナムのジェットで海外に出かけて、高級ホテルとリゾートと取ってつけたような地元の人との触れ合いを売りにしていた。
それでは視聴率が取れなくなり、なるほどザ・ワールドのようなクイズ形式になって、最近ではサバイバルが加わり芸人が下品を売りにしてさらに、悪食をしたり乞食旅行をして笑いを取ろうとする。視聴率が取れれば 目的は達成できるので、番組を作る人間は、さらに使い捨ての芸人に過酷なことを要求し、芸人は、それで食べていかなければならないので、命懸けでチャレンジする。たしかに、美しい映像が取れているものもあり、値打ちのある企画をしていると感心することも沢山あるが、逆に、「なんだこれは?」と思うものも少なくない。しかし、ムチャぶりをやめるとテレビは存続できなくなる。先のジェリーサインフェルドのブラックジョークも、軌道を外れているから面白いのだ。
しかし、問題はその軌道である・・・

私の時代は深夜番組のFMラジオ ジェットストリームで、海外に出ることを夢見たものだった。
海外に出るには、多くのエネルギーが必要だ。恋人との別れや仕事を辞める覚悟。お金も必要だし、言葉の習得も大変だ。そんな数々のことをチャレンジできるのは、若い精神だけで、そこには多くのファンタジーを胸いっぱいに抱え込んでいなければ、とても多くの損失を埋められない。そうやって海外に出ていく若者たちの背中を、押してあげることを、今の番組はしているのかどうかは、ちょっと疑問だと思う。

日本で自殺ジョークが、多分冗談として受け取られない理由の一つに、年間3万人という自殺者の数があると思う。親戚や友人 同僚の中の誰かに、自殺者が必ずいるという異常事態が今の日本の現実なのだ。
笑えないわな そりゃ。

つまり、日本はこのジョークを笑えないほどすでに、病んでいて軌道を外れてしまっているということなのだ。
このジョークが面白いかどうかは別にしても、今の日本の状態はやはり、おかしい。
以前、自殺は犯罪だと書いて、読者の方に叱られたことがある。
私は今もしかし、考え方は変わっていない。
自殺は多くの人に迷惑をかける。
親 兄弟 親戚 友人 配偶者 子供、などなど一人の人間には何千人もの人が直接間接に関わっている。
自殺をすることによってその人たちの人生に大きな傷を残し、「ああしてやればよかった」「こうしてやればよかった」とか、子供の頃の写真を見ながら涙とため息をつく親の気持ちを考えたら、簡単に死ぬ選択をする人を、許していいとは思えない。
ファウストの 若きウエルテルの悩み の中で、自殺を病気で死ぬことと同じだと書いているが、断じて違う。違いは、病気はあくまで他動的原因で本人の意思とはちがった形で死が訪れるのに対し、自殺はあくまで本人の意思で死ぬということで、それは、残されている自分の時間をそこで、捨ててしまうという贅沢を決定したということなのだ。
自分の意思で決定した出来事で 多くの人に迷惑を与えるなら、それは、犯罪ではないか?と私は提起している。

自殺した人がかわいそうという人がいる。
かわいそうかもしれない。
だが、自殺をしなければいけなかったか、彼をそこまで追い込んだのか、その社会については、誰も何も言わない。
なぜ言わないのか?
それは、その社会が怖いからだ。
今の日本は、世界に類をみない とても恐ろしい社会だ。他人の命への思いやりなど、表面的でしかない。実際には、欲のためなら親兄弟でも陥れるという社会なのである。金のためなら、多くの犠牲者を出しても、のうのうとしている大会社が、平気な顔をして存続していける社会なのだ。そしてその大会社に媚を売って、金儲けをしようと考える人間がたくさんいる社会。人が死への恐怖心で、どうしようかと考えていると、その人へ「生命保険はいかがですか?」と売り込みにかかることを、悪徳とは考えず、ビジネスだと考える社会。それが、善だと教えたのは、誰だったか?マインドコントロールをしたのは、そう、アメリカだ。
持つものと、持たざるものを二極化し、勝ち組と負け組という二つの世界を作って、貧乏人は人間扱いしないことを平気でできる世の中。それが、アメリカ的であるのか日本的であるのか、あるいは世界のスタンダードがそうなってしまっているのか。

例えば、鳩山首相がイランに行き、大統領に説得を図ったことを批判する社会だってそうだ。彼が行なっていることは、彼の政治的信条からくることなのだから、讚えるべきことなのだ。たとえ なんの影響もなかったにせよ、だ。「戦争や核爆弾はつまらないから よせ」と言いに中東までのこのこ出かけていくなど、普通のお坊ちゃんには真似できないぞ。もtのすごくお坊ちゃんでないと、できない。

だから せめて、彼をこう褒めてあげて欲しい。

君はすばらしい元首相だ。はじめから元首相だったら もっと よかったのに

時代は変わった

2012-03-28 05:13:28 | Weblog
3・11以前から、私はずっと、時代は変わったと言い続けている。
9・11を境に、なんとか、皆が助かるように、生きられるようにと願い、そしてGSMを、協力者とともに立ち上げる決意をしたのもそれがきっかけだった。
10年の歳月が流れた。

助かったという人もいるし、今になって思えばと臍をかんでいる人もいるかもしれない。
それは、それぞれの判断で行ったことだから、私には何も言えない。

自分にとっては 意味があった。
多くの人から、感謝もされた。
私は、その感謝された言葉を大切に胸にしまって生きている。
ありがとう
という言葉は、うれしい。

時代は、いよいよさらに、大きくうねろうとしている。
経済は生き物で、それは 一つの国、世界を 簡単に飲み込んで時には、ぶっ潰してしまう。
同時に自然という、計り知れないさらにもっと 大きな生き物に、人間は立ち向かおうとしている。

ドンキホーテは、まだ、風車という可愛らしい敵に向かってかかっていったが、私たち人類が立ち向かおうとしている相手は、規模が違う。

これでもか これでもか
と、自然はいまから、さらに大きく打ちのめすだろう。

偶然であろうと 必然であろうと、次の数字はすでに決まっている。

奇数の次には 偶数がくるものだ。


地震が来る

2012-02-28 19:14:17 | Weblog
HARRPの動きが、さらに活発になってきている。
場所がどこになるのか、まだ分からないが、島根県で深海魚が打ち上げられたことから、日本海側かもしれない。
このHARRPの動きだと、地震は一度ではなく、波状で何度も襲ってくるように見受けられる。
恐ろしいのは、すでに崩壊寸前の福島4号機が、完全にコンクリートごと崩落してしまうことだ。そうなると、誰にも手がつけられない。

もし、佐賀を襲ったり、敦賀を襲ったらどうなるか、ぞっとしている。

ともかく、私の予想では これから36時間後 48時間以内に どこかに大きなのが来るということである。
3月1日ということになりそうだが・・・そうなると、例えば、早朝であるのか、あるいは午後になるのかで、被害が変わる。
いずれにせよ、無事を祈る。

シドニー西部は今夜、洪水被害が襲うことになりそうだ。
もう、しっちゃかめっちゃかなのだ。

男になる方法

2012-02-28 17:06:22 | Weblog
人間のオスは、たくさんいるが、男は少ない。
6時半の早朝。私は、ドアをノックする音に起こされた。
玄関には、昨日約束した、コンクリーターのダニーが立っていた。
前歯のないダニーは、深い彫りを持つ、オーストラリア人のコンクリーターだ。
コンクリーターとは、コンクリートを専門にしている業者のことだ。
私の家のリビングルームが、手狭になってきたので、20平方メートルほど、広げることにした。
そこで、基礎になるコンクリートを打ってもらうために、彼を呼んだのだ。
確かに、昨日、6時半に約束したが、きっかり来るのには、驚いた。
後で分かることだが、これには理由がある。
コンクリートは常に時間との勝負で、きちんと仕上げるためには、時間にルーズであってはできないのだ。
私は、感心した。

ダニーは54歳になる古いタイプのオーストラリア人だ。
シンプルで、タフで、訛りがきつくて、言葉は乱暴だが、気は優しい。
とてもセンシティブで、自分の人生や家族のことも、包み隠さず話す。

私は、そういう連中が好きだ。

彼は、コンクリートだけを35年間やってきた。
35年間、とてもシンプルで、誰にでも出来そうなことを、黙々とやっていると、不思議なことに底光りする男の何かが生まれてくる。
これは、一言で言い表すことは難しいが、例えば、勉強が出来て、いい大学を出て、弁護士になったとしても、底光りする男のセクシーさは生まれてはこない。

「俺は、この地球を十分にコンクリートで汚した。もし、間違って天国に行ったら、上から見下ろせば俺の汚した跡がたくさん見えるはずだ。だから罪滅ぼしに、俺は植樹をしているんだ。仕事がひとつ終わるたびに、一本。」

この、無学な男の半分ほどの誠意が、今の日本にあるだろうか?

本当にお互いを良く知らないんだ

2012-01-11 00:22:18 | Weblog
捕鯨問題で、オーストラリアと日本が揉めている。
捕鯨問題の中で、どの種類の鯨をどのくらいとっていいのか、よくないのか、は、水産庁の発表だけで、一方的に日本人は信じているが、本当は、かなり減っているかもしれない。
特に、放射能汚染でやられている可能性もあり、人間とおなじ哺乳類である鯨は、どれほどの影響を海水の中で受けているのか、本当のところは、誰にも分からない。
そんななか、アホなオーストラリア人が三人日本の船に乗り込んできたという事件が起こったわけだ。
もちろん、三人はジュリア ギラード首相が日本側に謝らなければならなくなってしまったほど、愚かで、おっちょこちょいで、どうしようもない奴らだったが、彼らは、海底少年マリンをみて育った世代で、そしてそのアニメが純粋なオーストラリアのアニメだと信じていたりする。が、実際は日本人が作ったと聞いては、「うそをつくな」と言うのである。
ガムをかんで、酸素を口から取り入れて、イルカに助けられて、世界の海をブーメラン(オーストラリアの原住民 アボリジニが発明した)を投げて守るというのだから、オーストラリアのカルチャーそのものの、元を作ったと言っても過言ではないほど、このアニメはオーストラリア人に、大きな影響を与えている。
しかも、繰り返し 繰り返し なんども吹き替えで朝からやっているのである。

ネタのように聞こえるかもしれないが、事実であることを言えば、先日妻と 大笑いしたことがある。
ノース ショアー ロイヤル ホスピタル (病院)の隣には、カフェがあり、そのカフェの名前が、ZOUKI という。
ZOUKI とは臓器にも聞こえるし、それが、 病院の隣にあるのだから、面白い。

そういえば、以前神奈川の 橋本近くの アルプスというスーパーマーケットに行ったら、その横に、ハイジという名前のお好み焼き屋があったが、あれは狙っているな。たぶん。

まあ、ZOUKIが狙っているかどうかはともかく、ブラックジョークとしては 面白い。

そんな感じで、オーストラリアと日本は言葉も違い、文化も違い、そのどちらに自分が より近い感覚を持っているのかが、それぞれの人にとって大切なことであるのだろう。だから、「おまえは間違っている」というところから始めるのは、そのアプローチそのものが、「間違っている」のである。それは、どちら側からみても 同じで、大事なことは、どうやって、相手を屈服させるかということよりも、どうやって、お互いの間に 融通できる範囲で理解しあえるかというアプローチではないだろうか。
もちろん、日本には日本の言い分があり、オーストラリアにはオーストラリアの言いたいことがあるので、その間をどこに中間点として設置するのかと言われれば、それは難しいことだ。
裁判に訴えるというオーストラリアの方針は、日本にとってはむしろ歓迎すべきで、その中で、きちんと決めてもらおうではないか。

日本と韓国の領有問題も、裁判で国際司法のもと、きちんと決めてもらえばいいというのと同じことだ。
争うことは、銃や脅しや命がけで行う方法ではなく、より文化的な方法で話し合うことが、大事だろうな。


日本の良さ

2012-01-03 02:59:43 | Weblog
日本の製品が良いとか、あるいは 景色が綺麗だとか、食べ物がおいしいという評価は、外国から日本への賞賛としていつも上げられている。
しかし、本当の日本の良さは、日本人そのものなのだ。
日本人は、礼儀正しく そして 正直で誠実。
これは、外国人にはみられない。

こんな、愛すべき日本人たちが、今 困った状況にあるのは、とても悲しいことなんだ。
もちろん、日本人は老若男女 力を合わせて立ち上がり 克服していくだろう。

日本は 世界最古の国でもある。
すでに あちこちの近海で発見されている遺跡から推し量り 計算してみれば 面白いことが分かる。
考えてもはるか、エジプト文明よりも古いことは 明らかだ。

その 日本は、また生まれ変わろうとしている。

苦しい期間を何度も 何度も くぐり抜けてきた民である。
きっと、克服していくことだろう。