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三条夫人行列です。
※三条夫人 京都の公家三条公頼の次女で、信玄の正室。
湖衣姫行列が来ました。
湖衣姫です。
山本勘助晴幸隊です。
ようやく信玄公が出て来ました。
横に見えるのは大型スクリーンですが、残念ながら、私の位置からは見えませんでした。
かなり望遠で撮っていますが、ぎゅうぎゅうで身動きが出来ません。
あぁ~、疲れた
お祭りを見るのも大変です。
思うにもう2時間近く同じ位置にいます。
足の踏み場もないという感じです。
(18:38)最後に本陣が去って行きました。
本陣の大将旗、風林火山の軍旗、諏訪明神旗などが見えます。
ドラマで見たり、小説で読んだ旗が並んでいて、とても懐かしく思いました。
(18:44)武田軍団の立ち去った後の様子です。
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すぐ近くにあった武田信玄公の像です。
信玄公祭りは、信玄公の命日4月12日に合わせて行われていると聞きました。
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「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、讐(あだ)は敵なり」
(どれだけ城を堅固にしても、人の心が離れてしまったら世を治めることはできない。
情けは人をつなぎとめ、結果として国を栄えさせるが、仇を増やせば国は滅びるだろう)
「信玄公仰せらるるは、弓箭の儀、勝負の事、10分を、6分7分の勝ちは10分の勝ちなり、と御定なされ候、中にも大合戦は殊更右の通り肝要なり、子細は8分の勝ちはあやうし、9分10分の勝ちは、味方大負けの下作なりとの儀なり」
(合戦に際しては、10のうち6分7分の勝ちを収めればそれで10の勝ちに等しい。
だが勝ち過ぎてはいけない。8分の勝利は危険である
9分10分の勝ちは味方が(慢心、油断を起こし)後に大敗を喫する原因となろう)
※信玄名言録より
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これで「信玄公祭り」を終わります。
ご覧いただきありがとうございました。