五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2021・8・6

2021-08-07 13:38:46 | 日記
76年目の原爆記念日。広島出身の母方の祖父は昭和2年に亡くなってしまったから原爆の被害には合わなかったけど、遠い親戚縁者には被爆死された方もいると聞いているし、祖父の死後、実家に移り住むことも計画されたことがあったらしく、その計画が実現していたらと思うと背筋が凍りつく。更に祖父が生きていたら勤め先である長崎市内に親子一緒にいた訳で、幸か不幸か祖父の死をきっかけに祖母の生まれ育った東京に移り住んだことで、母は広島と長崎、両方の原爆の被害から免れることが出来た。それ故、母にとってはこの八月の二つの原爆記念日は殊更感慨深いものがあるのではないかと思って、今年もまた老老ブレックファーストの時間(広島の被爆時間)に黙祷をしようとしたのだが、去年までは俺の云うことに素直に同意して黙祷していたのに、今年は「なんで?そんなことやるの?」と聞き返されてしまった。母の中で既に原爆は風化どころか死滅していた。ドアを開けると熱波が襲いかかる。昨日は表の通りまで出て引き返してしまったけど、今日はもう待ったなしだ。目黒駅から五反田駅に向って15分ほど歩いた目黒川沿いにある品川区の出張所にどうしてもいかなくてはいけない用事があって、いつもなら少し辛いけど歩けない距離じゃないので散歩がてら歩きだすのだけど、今日は無理。目黒まではちょうど来たバスに乗ってしまった。そこから品川区の出張所までは炎天下歩行も問題じゃなかった。問題は帰りだ。かなりの勾配の坂道を歩かなくてはならないのだ。途中で何度休んだことだろう。行きは15分で行けたのに帰りは30分近くかかっている。今度この出張所に来る時は目黒じゃなく五反田経由で帰ることにしようと決意する。でも、出掛けに先日の芝居の為に小道具として購入した婦人物の帽子を被って出て助かった。日射熱波を大分防いでくれた。自分じゃおかしいと思っていなかったのだけど、バス停に並んでいたら後ろにいた80年配の婦人に「帽子,お似合いですね」と声をかけられた。芝居で使おうとした帽子だとは答える訳にはいかず、「母の帽子を借りてきまして」と答えたのがまずかった。その年配の婦人は、お母様はお幾つ?お子さんは何人?今お一人で部屋にいて大丈夫なの?と矢継ぎ早に母のことを聞いて来る。俺としては適当に答えているつもりだったが、もうすぐ99歳になる母が元気でいることに興味を持った婦人は、バスに乗った後も隣の席に座り、話し込んで来る。どうやらその婦人は20年前にご主人を亡くし、今は一人暮らしで、今日は晩酌用にアトレでお刺身を買ったとか。でも、明日はワインを飲みたいから生ハムも買ってきたんだとか話が続く。いつもなら持っていた本を読んだりして無視する筈なのに、芝居が終わって以来「人恋しさ病」にかかっている俺は、同じ恵比寿三丁目で降りるまでその婦人とお喋りを繰り広げたのだった。この話、老老ディナー(アトレで買った寿司)の時に母に話したけど、何の反応もなし。原爆に反応しないのだからそんな婦人の話には興味を持たなくても当然か?食後、プライムビデオで「サイレントトウキョウ」(秦建日子脚本 波多野貴文監督)なるパニック映画?をみる。その後、ニュースを見たらオリンピックのリレーでバトントスがうまくいかずに日本チームは棄権したと騒いでいた。オリンピックには興味はないけど、このリレーで走ったのは第一走者のみ。第二走者はバトンを受け取ったのみ。第三走者と第四走者は走ることが叶わずと云うことを知って、その後の四人の人間関係に興味を抱いてしまった。

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