●M家の人々(29)「やだあ。私が通っていたのはYMCAじゃなくて YWCAよ」と昨日の記述を読んだ母からクレームが来る。確かに母はMじゃなくてWだ。こっちのケアレスミス。でも、間違えたお蔭でますますジャージャンが恵津子をYWCAに通わせた理由を知りたくなった。というのは調べてみると、設立当時から日本におけるYWCAは婦人解放運動の拠点になっており、恵津子が通った駿河台女子学院の副院長を勤めた加藤タカは婦人労働委員会を組織し、工場などで働く婦人労働者の待遇改善に当たっていた女性と言われているし、そのメンバーには後に日本共産党議長になった野坂参三夫人も含まれていたのだ。「そんなに深い意味はないんじゃないかしら?当時英文タイプを教える学校なんてそんなになかったから……」恵津子は80年近くも昔のことをぼんやり振り返る。でも、ここに通ったことは恵津子の人生を大きく左右することになる。音楽の才能はなかったかも知れないが、ずっとピアノをやっていたことで指先が器用だったのか、校内のタイプコンクールで優秀賞に選ばれることが何度かあり、恵津子は英文タイピストとして生きていく自信を深めたのだった。でも、そのタイピストとしての仕事が縁で五年後恵津子は夫となる稔と出会うことになる。●今日の徒然 今日は先週の表参道に引き続いて母が生きてきた東京の街巡りにつきあう。今日は後に私が生まれることになる世田谷区代沢。去年大腿骨を骨折して歩行が辛いと云うのに、恵比寿三丁目からバスで渋谷に出て、井の頭線で池ノ上に出てみる。タクシーで行くのは簡単だけど、そんなに頻繁にパスや井の頭線に乗る機会もないだろうし、正月に行くリスボン散策の予行演習のつもり。母、嫌がるところか動き出したバスの中をスタスタ歩いたりするもんだからこっちがヒヤヒヤする。そして池ノ上駅に降りた途端、記憶がドドッと甦ったみたいで、私が生まれる以前、67年前には毎日通ったであろう駅前商店街を私に色々説明しながら歩いていく。更に今ではもう他人の物になっている実家の場所に行ってみると、ここは××さん、こっちは▲▲さんの家があって、この裏道を行くと玄関の方に行くとか、過去の街の観光案内。そのまま通っていた代沢小学校に行こうとしたら、八幡様の近所に趣のある蕎麦屋を発見。出かける前に老老ランチ(ヒラメの干物、アボガドの納豆和え、もつ味噌煮込み)をたべたと云うのに、疲れたこともあって入ってみたら、その手打ち蕎麦の美味しいこと。いや、その前にビールを飲むのにだしまき卵と鴨肉をたべたのだけど、その美味さは例えようがなし。二人とも満腹だったことを忘れて食べ尽くしてしまった。今度は誰かとあの蕎麦屋目当てだけに出かけてみたいと思いつつ、腹こなしに代沢小学校から淡島に向かって歩く。代沢小学校は母にとっての思い出、そして淡島は私にとっての思い出。と云うのは、67年間の人生の中で一番屈折していた今から30数年前、恋に破れ、自暴自棄になって仕事もせずに飲み歩いていた時期があって、当然貧乏なんてもんじゃなく、電気も電話もガスも止められて毛布一枚で大晦日から正月を過ごした風呂なしアパートがあった場所なのだ。勿論そのアパートは建て替えられて洒落たマンションになっていたけと、通りに面したカレー屋はまだ残っていて、もしも営業していたら老老ランチと蕎麦で満腹すぎる位満腹なのに店に入っていたに違いない。それにしても91歳の母は元気だ。帰りはタクシーに乗ろうかと誘ったものの、バスでいいじゃないと淡島→渋谷(乗り継いで)→恵比寿三丁目。この調子ならリスボンも大丈夫だ。
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