クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

旧榛名町・覗岩見物 H-19-3-16

2007-03-16 21:36:07 | 榛名山麓
晴天・無風・高温なんて待っている内に一週間があっという間に
過ぎてしまった。今日も余り天気は良くは無いが旧榛名町・覗岩の見物。
序でにいつも見上げるだけの無名の1271m峰経由で北側から。
126号線で満開の梅林を横目に見ながら榛名へ。
地蔵峠への峠道入り口を過ぎ、

数㌔で「緑の森看板」、その少し先の林道入り口が今日の駐車場所
(10.51)。
ここは九折岩経由で榛名神社に抜ける峠道入り口でもある。何やら
見慣れない表示、「榛名宮沢線延長」とある。標高1004m。

少し、雪の残る林道にはバラストが敷かれ路肩もかっちり固められている。
蛇行道を登って尾根の取りつきに来るとバラスト道は終って普通の
登山道。ラジオは堀江判決を伝えている。
極く僅かで峠着(11.14)。通称「湯の沢峠」。直進は九折岩、
右折(北)はどっしりした山容の天目山南コース、

今日は左折(南)して1271m峰。標高1098m。

ここから見ると、結構大きい山でやや緊張、

赤プラ杭や青ビニール紐の目印。

小ピークを越えると直ぐにヤセ尾根、其処を過ぎるといよいよ目の前に
大きな山。直登は厭だなと思った時、脇道を発見(11.26)。少しでも
楽がしたくて其方に入りこむ。が、結果的にはこの選択が大間違いの元。

北側のせいか雪の残る細い踏み跡、

高度は変わらずに山麓を東に回っていく。東には音羽山、

其の左は三ツ峰かも知れないが、三ツ峰はこんなに形が良かったかな?
(11.42)

道は更に進むが相変わらず登りが無いので漸くここで此れは登山目的の
踏み跡ではないと気付くがもう遅い。斜面は殆ど崖のようなものなので
そのまま、南の稜線まで行く事にする。それにしても頻繁に付けられている
白ビニールは何の意味だったのか。

突然、大沢にぶつかり踏み跡も目印も消えた。沢は深いのでそれ以上の
回りこみは不可能。仕方なく目の前の急斜面に取り付く(11.56)。
雑木を掴み岩角に掴まって少しずつ登ると、目の前を灰色の小動物が一瞬横切る。
危く手を離しそうになったが、どうも野兎だったらしい。岩の陰に多量の糞。
野兎の排泄場所が決まっているとは何ともお行儀の良い事だ(12.20)。

斜面の中で皺のような小さな枝尾根を見つけてそこに辿りつくが、急登は変わらず。
慎重に一歩一歩進んで漸く大きな南北尾根に到着。目の前のマークを見て
ほっと一安心(12.34)。南北に長い頂上をナビの示す南のポイントに
向かうと色々なテープが集まっている場所。爺イも自前を割りこませて
昼食・休憩(12.34-13.03)。



枯れ枝が邪魔をしているが東は展望が良い。アンテナが見える雄岳、右肩に
特徴のある相馬山、音羽と重なっているのは鐘撞?

十分休んでから本番の覗岩探索のため南進開始、直ぐに100m以上の笹原突入。
其の先は両側崖の岩のヤセ尾根、アップダウンや屈折が多くてゾクゾクするような
緊張感。

やがて前方遥かに屹立した二つの巨大岩発見(13.19)。
南北尾根の西側に一つは斜面に張り付きの突起、

もう一つは斜面から離れて独立。多分この独立の巨岩が覗岩だろう。

下降して近付くが
良く見るためには崖下から見上げなくてはならない。標高1181m。
しかし、西側は崖なので稜線から眺めるだけ(13.27)。
貼りつき岩の岩頭で恐々記念写真。

暫く巨岩の物凄さを堪能してから
帰り道を考える。其のまま下れば多分地蔵峠からの峠道に達する筈だが、
それでは駐車場所まで延々と県道歩きになる。先ほどの入り口間違いも
確認したいので1272m峰に引き返す事にする。
西南の方向には大きな切り立つた山塊、多分鐘原ヶ岳の連山だろう。

登り返しの途中で榛名富士とその右奥に銀嶺の輝く山が夕日に映えて
素晴らしい。

昼食場所に帰着は14.17、それから半凍結の北斜面を真っ直ぐ下って
問題の間違い分岐は14.38、峠まで5分。朽ち果てた道標。

駐車場所に15.02

帰り道の前ノ沢林道入り口で鐘撞山登山口という新看板発見。どうやら
「西部県民局地域コミュニティー支援事業」の一環らしい。

気がついたら沿線に新看板多数、例えば路傍のこんな石仏にも立派な看板。


明日から又天候不順なので当分閉店になってしまうかな。


蛇足・1271m無名峰について
天狗山と北方の天目山の間には地形図上、山名の付いている嶺は存在して
いない。
「小」にしろ「大」にしろ、「鐘原ヶ岳」と通称しているのは簡単な話、
その様な頂上標識があり大抵の人がそう呼ぶからだ。
榛名町地名辞典には地蔵峠の北を「大鐘原ヶ岳」、南を「小鐘原ヶ岳」と
されているが、そうすると「大鐘原ヶ岳」とは天目南コースの起点の峠に
立つと南に見える巨大な山1271m無名峰になり、「小鐘原ヶ岳」とは
現在「大鐘原ヶ岳」と言われる地蔵峠に近い1256m峰や無名の
1234m峰、それに「小鐘原ヶ岳」と言われる1225m峰の総称
となってしまう。
鐘原ヶ岳の「古名」は「旗輻(ヤ)岳」で武田が箕輪攻めの時、山に旗を
立てたことから山名が起こったと伝えられている。以来、1271m
無名峰を「旗矢岳」、1256m峰を「地蔵岳」又は「大鐘原ヶ岳」と
通称するようになったらしい。
但し、三角点のある1225m峰を何故「小鐘原ヶ岳」と言うのかは不明。
「大」に比べて少し低い山だからか?少し低いと言う事なら間に
1234m峰もあるので、三角点が置かれたからかな?

「群馬郡誌・鐘原ヶ岳」の項より。
「氷室嶽ニ連ナリテ大小ニ峰ヲナス。ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ。
伝エ言フ、武田信玄箕輪城攻メノトキ、山中ニ陣営ヲ構エ地蔵峠ノ
間道ニ備エタリト。」
これだけはっきりと「ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ」と書いてあるので
本来の大鐘原ヶ岳はやはり地蔵峠北の1271m峰で小鐘原ヶ嶽と
書かれているのが現在の大・小鐘原ヶ岳の一群なのか?
間も無く旧榛名町・町史編纂室S氏により結論が出され1271m峰も
無名から脱却出来るかもしれない。

ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上日野から峠道探索(改) H-1... | トップ | 小柏氏三題噺 平成十九年三... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

榛名山麓」カテゴリの最新記事