クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

キツネのカミソリ夏の乱舞 R- 5- 7-27

2023-07-27 18:40:00 | 高崎・甘楽・藤岡方面
相変わらず気温予想は38℃超だが引き篭もりはかえって不健康なので
午前中だけの予定で平地ながら行動範囲が全て林間の日陰になっている
小串カタクリの里へ。ここの広報ではウバ百合が7月末、キツネの
カミソリが8月初旬に見頃となっているので二種を見られると思った。
現地の駐車場はがら空きで嫌な予感がしたが正面入口から入ると
殆どのウバ百合はこんな姿で情けなくも何時もの時期外し。
でも執拗に生き残りを探し回り何とか数枚をゲットしてyoutube末尾に。



上部から一旦車道に出て西の遊歩道に入るとこちらのキツネのカミソリは
前回見たより格段に群落が増えていて華やかに山の斜面を彩っていた。
この程度を満開と言ってよいのかは良く分からなく8月に入ると
もっと勢いが増すのかも知れないが爺イのレベルでは十分満足。
(BGMはMary Hopkinの歌う「Those were the days」)

キツネのカミソリ夏の乱舞


調べて納得の蛇足二題
(1)キツネのカミソリ、花名の由来

花を「狐火」、葉を「日本剃刀」に見立てた名前ーーと簡単に
解説されても 花時期には葉は見られないから葉を「日本剃刀」
と云われても爺イには理解不能。
それに比べると昔は正体の分からない明かりは、キツネが口から
吐き出す「狐火」と信じられていたーーとは何とか理解できる。
毎年の箕郷の「キツネの嫁入り行列」を見にいく爺イだから。
確かに花の色がキツネの体色をイメージさせ、花だけが咲いて
いるのが奇異だと感じた昔の人が名付けたと理解しよう。

(2)悲しき天使、この不思議な名前の曲

原曲は、ロシアのポドレフスキーの詩に、同じロシアのボリス・フォミーン
がジプシー音楽の様式で曲づけした歌「長い道を」である。(1910-1920年頃)
歌詞の内容は、昔の思い出を懐かしみ感傷に浸っている様子を描いたもの。

この歌はしばしば、英国で活躍した米国歌手、ジーン・ラスキンの作詞作曲とも
紹介されている。これはこの歌がソビエトからの亡命者に
よって欧米に広められるうち、いつしか作者不詳の「ロシア民謡」と
呼ばれるようになり、その後1962年にラスキンが英語版を編曲し
自作として発表したために、ラスキンの作品と呼ばれるようになった
ためとされる。
ここからが面白い展開で1968年にポール・マッカートニーが、当時18歳の
フォーク歌手メリー・ホプキンをプロデュースして「Those were the days」
をシングル盤で発表すると国際的にヒットした。これがビートルズの
アップル・レコードの第1号アーティストとしてのホプキンのデビュー。
オマケにポール・マッカートニーにホプキンを推薦したのが
日本でもおなじみのミニスカート元祖ツイッギーだったというオマケつき。
「Those were the days」は「あの頃がなつかしい」という意味であり、
歌詞は、壮年期の人間が青春時代を思い返してロマンティックに美化して
いる場面を描いているのに邦題が何と「悲しき天使」で原題とは全く
接点のない奇妙さ。
どうも日本で発売された当時、外国の楽曲に邦題を付ける際の常套手段として、
「悲しき…」や「恋の…」といった言葉を冠する風潮があったことに起因する
らしいが、考えてみれば輸入する海外映画に勝手に原題の趣旨に関係ない
日本受けの邦題を付けていたことに共通する? (以上は各種解説からの受け売り)

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登山

43勝44敗 (07/27現在) 首位と7.5ゲーム差 四位 五位とのゲーム差 6,5ゲーム
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