クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

赤城・五輪尾根周回(改) H-20-5-27

2008-05-28 11:56:18 | 赤城山周辺
今日も再び赤城山、狙いは五輪尾根。ここを歩けば赤城の有名所は
大体訪ねた事に成るから。
通勤渋滞を避けるため先日より少し時間をずらせて出発。赤城道路に
入ると珍しく鍋割山がクッキリと見えるので展望に期待も出来る。
今日の風がやや強いせいか?前日の強風のせいか?
途中から青木旅館の看板を見て左折して沼尻に向う。


駐車場所を何処にするか、考えたが五輪峠では帰途に車道登りが
キツイと思われるので沼尻の水門の在る橋の空地、顕彰碑脇に
駐車。自宅から39K。(9.47)
静かな湖面の対岸には黒桧山。(上の写真)
この青木旅館、大沼湖畔では猪谷家と並ぶ有名所、又もや手前味噌
ながらお暇の方はこのURLをどうぞ。


舗装車道を東毛林間学校方面に登り、分岐は左に行くと間も無く左側
に道標。


関東ふれあいの道・「からまつ・クマササの道」で深山バス停10.9K
とある。

道はこんな感じで平坦。


極く僅かの距離の「鈴ヶ岳」の説明看板で右折して山道らしくなる(10.09)。


山裾を周るように進むとご親切にも木枠段が2箇所、但し短足爺イには
少々歩幅が合わず一段を二歩。


間も無く「出張峠」、深山への道は直進だがこっちは切り返しの様に北へ。
深山への道は若しかすると赤城キャンプ場や鈴ヶ岳北登山口を通過
する道かな?


やや急登の尾根道を200㍍程先の「出張山」に向う。北西の風が強く冷たい。
写真には写らなかったが急登をロープや鎖に掴まっていく。


先ず最初のピーク「出張山」到着。標識にDEBARIYAMAとローマ字表記。


「しゅっちょうやま」等と言わずに済んで何よりだが文字が薄くて写真は
駄目(10.37)。
ここからの湖畔の眺めは少し角度が無理だがまずまず。


オツと、黒板赤紐の標識、ここでも擦れている。


修復用具を取り出して手直し。毎度の事ながら字体が変るし亀の図柄が上手く
書けないのはご勘弁。


ここから少し急降してから尾根を進むと左後方に鈴ヶ岳らしい山、北には未だ
雪の残る山嶺、風は益々強く冷たいのには閉口。
右手には黒桧山と駒ヶ岳らしき勇姿。


間も無く分岐の道標、右に下れば「自然の家」とある(11.01)。


路傍に頂部が赤く塗られた石柱が続けて二つ、何れも「山」の彫字のみ。
暫らく行って丁度、赤城・富士見・利根の交点付近に思いがけずの
「宮標石」。意外な収穫にホクホク。


次の目標「野坂峠」に到着(11.25)。


その直ぐ先に再び「野坂峠」の道標があり左への分岐に沼田20Kと。
20K行く前に何か別の地名があるだろうに、と余計な斟酌。


薬師岳まで100m位手前に薬師如来像と石柱二本、それに何と薬師岳の
標識。


何だろうかな?と訝りながら右に折れて高みに着くとここに
標識。やっぱり山頂は此方だろう(11.35)。


ここの標識も擦れているので修復。


樹上にあるこれが「梵天」なのかな?


薬師からの下りは痩せた岩尾根風の急降、五輪峠から登らなくて
大正解。
暫らくは快適な尾根道、右下に大沼に突き出た赤城神社の小鳥ヶ島。
この小鳥ヶ島、かつてはその名の通り湖中の離島だつたが、水位の
低下で今では陸続き。尤も東の駐車場からは橋を作って島らしく
してはいるが。


のんびり歩いて広々とした陣笠山、標識は一つだけ。


「300山」ではここを次の道標の先の1475mとしているが、地形図の
1475mは足柄山で、未だ240mも先だから記述は間違いだろう。標高も
ナビで1503m、気圧数値を入れていないから正確ではないが
1500m程である事には間違いは無い(12.00)。「100山」は正確。
少し下った先に「厚生団地」への分岐、


漸くツツジに出会えた。


さてこれからが山楽会さんのご推奨、話題の足柄山は数十㍍の台地上の
北端の筈、
だが地形図に1475mと在るだけで標識は無い。ナビの示す位置で
勝手に足柄山到着を宣言。自信は無いのでマークは付けず。
なだらかな下り僅かで「五輪峠」到着、沼田の標識が目立つが
ついこの間までは利根村(12.09)。


沼田側に少し入ったところに「五輪搭」、交通安全・遭難者
慰霊の為に沼田在住の方が個人で建立したものらしい。


さて、大きく蛇行する1.3kの舗装道路を下って黒桧山登山口(12.35)


分岐から湖畔周回路を下り「沼見橋」からの景観に納得しながら


1.4kで何とか駐車場所着(12.53)。
休憩と昼食。



今度は車で赤城神社へ移動。平成18年の遷宮1200年祭に
修復をやったので新品同様のピカピカ。1200年の昔と言うと
西暦で806年、桓武天皇が死去して平城天皇が即位した時で
年号で言えば「大同元年」、尤も大沼南岸から今の小鳥ヶ島に
移転したのは昭和45年(1970年)と新しい。大洞と関連か?
お目当ては社殿左隅のこの多宝塔、銘は応安五年とされる
県指定文化財。「応安年間」と言えば1336年に始まった
南北朝分立が合一によって解消するのが1392年だから
その真っ只中。尊氏は既に亡く二代目将軍・義詮も38歳で
急死、嫡男の三代・義満は未だ十五歳、南朝天皇は長慶、
北朝は後円融という時代。



この搭は元々小鳥ヶ島の真中にあったのを社殿近くに移転したが
その移転の際にその下から発見された10面の石鏡も指定文化財。
もう一つはこの万葉の碑文


「上毛野 くろほの嶺ろの くずはがた かなしけこらに
     いや離り(さかり)来も」
赤城の名の由来については諸説芬芬であるが、赤城の古名は
「黒桧」であるとする説が根拠としている万葉歌。
根拠は古代の書物に「赤城」の名が無い代わりにこの万葉歌が
あるので「くろほ」が「くろび」に転化し、それが赤城山名の
前身とする説。但し、この説は現在ではほぼ否定されている。
赤城山の名がなくても「赤城神社」は平安期から記録にあり
神社名は山名と相即すると言うのが都丸十九一説。
その右の赤城を愛した文豪の志賀直哉の文学碑は文字擦れ。


帰りに「願掛けの緋鯉」を見ようとしたが集まってくるのは
黒装束の緋鯉?だけ。


帰途、覚満淵に寄ったか未だ緑は浅く観光客もまばら。

途中で案内所に立ちより観光地図を見たが「足柄山」の
名前が無くて、うーんの侭で帰宅。 

*註 三角点研究家の舘沢氏から連絡があり、地蔵岳一等三角点から
真北に引かれた線とこの五輪尾根の交点に「方位標」があるとの
情報を貰ったが位置は陣笠と足柄の間辺、爺イは厚生団地への
分岐道標や足柄山確認に気を取られて発見出来ずに終わってしまった。
ご存知の方、お知らせ下さい。



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9 コメント

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祝足柄山登頂 (楚巒山楽会代表幹事)
2008-05-29 15:05:41
縦走路上の地味なピークとも言えない一点は名前があってもなかなか定着しません。足柄山など、気にかけていいただき、当山にかわりお礼申し上げます。宮標石、気づきませんでした。次回、出向いた際には対面したいと思います。
RE:足柄山 (爺イ)
2008-05-29 18:21:27
楚巒山楽会さんの概念図をコピーして持参していたので
無事に足柄を踏んだようです。
例のT沢さんから貰った情報で足柄西端付近の登り掛かりの
付近に地蔵岳から真北に当る「方位標」なるものが
在るらしいのですが五輪峠から僅かの距離と思うので
何時かもう一度行くつもり。その時は足柄に小さな赤テープでも付けようかと思っています。
Unknown (Unknown)
2008-05-29 21:28:18
今晩は。ご無沙汰しています。
相変わらず積極的にあちこちと登られていますね。感心するばかりです。
私見ですが、赤城の名は当時、吉備・葛城氏と変わらないくらいのこの地方の豪族、上毛野氏によるものと私は思っています。上毛野氏の中には吉井の多胡の古碑の羊太夫に代表されるように、新羅・百済からの渡来人が沢山住んでいました。彼らは道教を信じています。中国の天台山に道教の聖地、赤城山(せきじょうさん)があります。その聖地に習って彼らがつけた信仰の山の名が赤城山ではと思うのですが??。中国の道教の聖地がやがて仏教の中心地になり日本には最澄によって天台宗が広まり盛んになりました。その信仰の山のの名を赤城山とつけたのではと思うのですが・・・。あくまでも私の推察です。
当方の名前忘れました・・・ (インレッド)
2008-05-29 21:29:28
インレッドです。ご無沙汰していました。
re:赤城山 (爺イ)
2008-05-30 06:27:57
ご無沙汰しておりますが何時もHPは拝見させて戴いており
写真の素晴らしさに圧倒されています。
問題の赤城山名の由来に付いては成るほどと思わせるものだけでも10ぐらいありますが、これが本命と言うのが無いというのも特徴と言われて納得してしまっています。
但し、良く言われる万葉からの「くろほ」が古名とするのは
間違いと言う事は確か。
追伸 (爺イ)
2008-05-30 06:31:52
爺イの読んだのは都丸十九一著・赤城山民俗記です。
鎌倉街道 (鈴ヶ岳仙人)
2009-01-16 14:33:32
 貴殿が歩かれた五輪峠の北西に今では人跡未踏の原生林があります。熊と鹿の領域です。30年前に縁あって今は無き山の主と出会い、未だにこの領域を彷徨っています。最近ブログを始め、ライブドアブログに「鈴ヶ岳仙人」でこの領域を紹介しています。全てが獣道のみですが、楽しい原生林です。
 ご縁がありましたら、何時かご同行を楽しみにしております。
RE:鈴ヶ岳 (爺イ)
2009-01-16 17:59:33
仙人様
コメント有難う御座います。旧赤城村から鈴ヶ岳、
そこから東進して五輪尾根のルートは何時か
行って見たいと思っています。
ところで、仙人様のURLをクリックすると
http://brog.liyedoor.jp/suzugatake/
と出てエラーになります。当方のパソコンの
OSが骨董品のためか?URLが違うのか判りませんが。
未だHPを拝見できずに居ます。
Unknown ( 鈴ヶ岳仙人)
2009-01-19 09:56:46
 失礼致しました。URLが間違っておりました。
 鈴ヶ岳周辺は近年にない大雪で、西麓からの入山が厳しい状況です。暫らく冬ごもりをしております。

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