クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

安中古標識探し・茶臼山 H-17-1-27

2005-01-27 18:16:13 | 安中・松井田
安中の山・古標識探し

安中と榛名町の境の山並、丁度長野新幹線のトンネルの上辺りには、地図上で七つの山が連なっている。かって1993年頃、この連山に目をつけた「群馬移動通信」の大塚氏がこれらの「可哀想な山」に頂上標識を付けて廻ったとの記録があつた。高い山には雪が積もり融ける気配も無いので暇つぶしに昔の標識の「今」を数日掛けて確認しに行くことにした。生みの親にも知らせる積りである。
(6)茶臼山(596m)ー1/24の日没撤退の後を受けて1/27、好天無風の予報を信じて残りの三つを回る為午後早目に出発する。茶臼山と名が付いているからには多分戦国時代の砦跡と思われる。
余談であるが、1991年版の国土地理院の資料では、全国で多い山名は一位・丸山 100ヶ所、二位・烏帽子、三位・天王山となっているが別資料では通称をいれると茶臼山が200超でダントツの一位となっている。
歴史上も戦国武将は縁起を担いで茶臼山に布陣している。川中島の謙信、関が原の家康しかりで、元々茶臼山であったのか?後の口伝でその名が付けられたのかは分からない。
群馬の茶臼山は、この安中と桐生にある。桐生茶臼山は294mの低山ながら桐生吾妻山同様に群馬百名山に載っている。
その他群馬には「茶臼山古墳」と言う称するものが、赤堀の今井地区、太田市川所、富岡・南後箇の三箇所にある。
国道18号で安中地区に入り在来線安中駅を跨ぐ陸橋を越えて最初の四つ角を右折し、ローズベイを左に、安中榛名駅入り口を右に見て長者久保、地蔵峠方面へ西進する。何本か左への道があるが一切無視して兎に角、右への道を取る。西上秋間を過ぎて左側に二軒の釣堀を見て尚直進すると、道は狭くなり両側には残雪が積み上げられている。分岐には「地蔵峠は雪の為通行不能」の注意看板があり茶臼は兎も角、峠近くの安中最高峰「八幡峰」には行かれないと予想した。暫く行くと雪は益々道路に積みあがり轍の跡を慎重に進む。間も無く目印の三つ目の「島崎水産」の看板のある釣堀に到着。
橋を渡って敷地に入り案内書で指示してある取付き場所を調べたがいきなりの雪の斜面登りで無理と判断。
林道に戻って別の上り口の探索に掛かった。駐車場所から100㍍下に名水汲み取り場所があり、その向いにもう一つ橋が掛かっていたのでそれを渡って作業道に入った。道は半ば融けた雪が再び凍結して舗装路面はツルツルの氷で爪アイゼンの用意が無かった事が悔やまれたが慎重に進む。
僅かの距離で全く期待していなかった「茶臼山登山口」の道標が竹林への道を指していた。はっきりと切り開かれた道を最初は竹林、続いて杉林と登っていく。下の雪は10㌢程で土の上では凍結していなくすべる事も無い。暫く登ると山の中腹を巻く段のような場所に出た。こんな人口の段が頂上までに三段ほどあつた。最初の段でいきなり目印テープが出現し、段なりに東から北に向かう迂回道に誘導される。
南からの急な直登を避け、東から北に向かう迂回路の作り方は今までにも何回も出会っている。北に登りながら巻き込んで高い位置の尾根の切れ目を捉えて尾根を戻って楽に頂上に至る方法である。
今回も素直にそれに従うとやはり真北で尾根を捉えていた。僅かの戻りで楽に広場の頂上に到達する。雑木に覆われた頂上は展望は大した事は無いが日当たりが良く雪は僅かである。そこには立て看板式の頂上標識と共に大塚氏の標識がしっかり大木に釘打ちされていた。鼻歌交じりの下山では緊張感を欠いたためか、途中の凍結場所で派手に転倒し痛い目にあつた。駐車場に戻ってから林道の先を歩いて探ったがとても我がオンボロ車の通行できる状態ではないので八幡峰までの三キロの雪道は登る前に参ってしまうので断念し、最後の目標・富岡の崇台山に向かいたいが、ここまで来た序にその前に倉淵の「不遇の山」・湯殿山に寄ることにした。



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