日本語文法論議23930
日本語をとらえて漢語漢字による文化を入れたことは歴史の出来事とすると必然でもあったとするか、偶然には過ぎないとするか、宗教文献の渡来から考えあわせれば古代インドの言語に及ぶ学びになるので起こるべくして起こったことと見るのが良いだろう。そこに国語に対する意識の目覚めがあったのであるが、漢文訓読という作業に国語文章の創出という民族の発明が生じて、漢字から仮名へと編み出されたものによる訓読文から物語文へと日本古代文化が花開く。
そのためには和歌につける題詞が語りの口調となって万葉集と伊勢の物語の対比を見る、その工夫と変化がある。国語の前に和語あるいは大和言葉を認めるのは文字の学びに訓をつけた、その言語学習によるとなる。しかし実は、それだけではないのは、漢字発音の表記に音をそのまま読みとしたことで、音訓両用に国語に漢語を取り入れたことに文明がある。漢語を国語にしたのである。長い時を経て、のちの同様の現象に見える外来語と区別する学びに顕著となる。国字にするという和語表記を和らげの方法とした。
時代の変化は漢語と1600年余と英語の160年余という日本語の対比になる。
英語教育の歴史的展開にみられるその特徴と長所
盛岡大学短期大学部紀要
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小川修平 著 · 2017 · 被引用数: 2 — また、かつての英学は、一方で中等. 教育レベルでは教科としての英語教育となり、. 他方が高等教育レベルでの英語学・英文学研究. へと専門分化し、
> 明治 40 年ごろは、その後 100 年間の英語学習・教育の方向性が定着する時期であると言われる。なぜならば、この時期に英語雑誌が次々と創刊され、また、日本人の英語研究にとって重要な貢献を果たす「研究社」などもこの時期に創業されることになったからである13。こうした出版環境の整備に伴って、英文学作品の翻訳や文法解説などについての記事が数多く寄稿され、英語教育の大衆化が促進された。さらに、この時期から英語教科書や英語辞書の作成が、日本人によって行われ、特に日本の英語辞書は急速に独自の進歩を遂げた。
>初期においては国の西洋化政策に基づき、エリートたちが英語漬けになって、英米の学問をネイティブの講師から学んだ。中期からは、ナショナリズムの高揚に伴い、外国人教師の削減とともに日本人による「変則教育」への転換がはかられた。このように実学としての機能を徐々に失った英学が、英語・英文学研究へと専門分化し、明治後期には、英語学、英文学は高度な学問として確立していった。
>それでは、伝統的な日本の英語教育の長所とはいったいどのようなものであろうか。それは、圧倒的に日本語が使用される環境のなかでも効率的に教えられる基礎的な文法・読解中心の教育、すなわち、高度に洗練された文法訳読式の優位性であると言える。伊村は、この訳読方式を「唯一の国産教授法」と表現しているが43、振り返ってみればその他のオーラル・アプローチやコミュニカティブ・アプローチなどは、すべてネイティブ・スピーカーによる英語学習・教授法であり、日本人の視点から独自に開発された聴覚教育の体系は、存在していない。すなわち、文法訳読式の教授法を否定することは、これまでの日本における英語教育の伝統や蓄積の大部分を否定するに等しいと言っても過言ではない。