日本語がどういう言語か、それについて、中国語の歴史を述べる書から学ぶところを考える。
言語に振り仮名をつけて、ことばと読ませて語り続ける、中国語のことばはその歴史においては三度の北方言語の侵入を受けたと言う。
日本語が外からの侵入を受けなかったこと、それが1000年以上に及ぶというのは稀有のことである、と、ひとたびは思うが果たして。
その中国の言葉の情況は、その書の記述によれば、次のようだった。
西暦304年、五胡十六国の抗争をきっかけにする1度目、次いで、モンゴル族の元王朝、1271年から1368年まで、モンゴル語の侵入が2度目、さらに満州族による清王朝、1636年から1911年まで、満州語と漢語の3度目である。
それでも中国語は保ち続けてきたのである。
その書によって、大島正二、中国語の歴史、ことばの変遷・探求の歩み、大修館書店、2011年7月20日、中国語を漢字のことばの歴史と知る。
なにより、この著述は、漢字を形音義としてとらえての記述なのである。
その言語観に中国語を学ぶゆえんがある。
漢字が言語であり、文字がその表現なのである。
中国語という言葉は、語順、語の形、声調、単音節語、助数詞を持つのである。
語順は主語、動詞、目的語、語の形は類型でいう孤立語となる。
この謂いに倣えば、日本語は、語順、形、そして発音の特徴には子音と母音の組み合わせがある。
語順は主語、目的語、動詞、語の形は膠着語、多音節語、アクセントは高低になり、助数がある、ということになる。
中国語と日本語とをこのように見ると共通するところはないように見え、その実、大いに影響を受けたのである。
助数詞としてのとらえかたは量詞の見方をとれば、これは似ていてもなかなかそうは言えない。
語順の違いは漢語そのままに熟語として日本語語彙になっている。
孤立と膠着の現象は漢語に日本語文法の解釈をもってしたのであるから、漢語を取り込んだことになる。
音節は字音語として多音節化するが、訓読みにして、これもまた音節をとらえている。
すなわち、漢字の音節を仮名の音節に工夫したのであるから、1音節はそのままであるが、ずいぶんと日本語発音にしてしまった。
声調とアクセントはより単純化して日本語の発音のままに高低を保ち続けたのだろう。
むしろそのメロディーを豊かに鑑賞したと言えるかも知れない。
言語に振り仮名をつけて、ことばと読ませて語り続ける、中国語のことばはその歴史においては三度の北方言語の侵入を受けたと言う。
日本語が外からの侵入を受けなかったこと、それが1000年以上に及ぶというのは稀有のことである、と、ひとたびは思うが果たして。
その中国の言葉の情況は、その書の記述によれば、次のようだった。
西暦304年、五胡十六国の抗争をきっかけにする1度目、次いで、モンゴル族の元王朝、1271年から1368年まで、モンゴル語の侵入が2度目、さらに満州族による清王朝、1636年から1911年まで、満州語と漢語の3度目である。
それでも中国語は保ち続けてきたのである。
その書によって、大島正二、中国語の歴史、ことばの変遷・探求の歩み、大修館書店、2011年7月20日、中国語を漢字のことばの歴史と知る。
なにより、この著述は、漢字を形音義としてとらえての記述なのである。
その言語観に中国語を学ぶゆえんがある。
漢字が言語であり、文字がその表現なのである。
中国語という言葉は、語順、語の形、声調、単音節語、助数詞を持つのである。
語順は主語、動詞、目的語、語の形は類型でいう孤立語となる。
この謂いに倣えば、日本語は、語順、形、そして発音の特徴には子音と母音の組み合わせがある。
語順は主語、目的語、動詞、語の形は膠着語、多音節語、アクセントは高低になり、助数がある、ということになる。
中国語と日本語とをこのように見ると共通するところはないように見え、その実、大いに影響を受けたのである。
助数詞としてのとらえかたは量詞の見方をとれば、これは似ていてもなかなかそうは言えない。
語順の違いは漢語そのままに熟語として日本語語彙になっている。
孤立と膠着の現象は漢語に日本語文法の解釈をもってしたのであるから、漢語を取り込んだことになる。
音節は字音語として多音節化するが、訓読みにして、これもまた音節をとらえている。
すなわち、漢字の音節を仮名の音節に工夫したのであるから、1音節はそのままであるが、ずいぶんと日本語発音にしてしまった。
声調とアクセントはより単純化して日本語の発音のままに高低を保ち続けたのだろう。
むしろそのメロディーを豊かに鑑賞したと言えるかも知れない。