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生前

2016-11-02 | 日本語百科
生前の語は故人となった人への用法である。そして、死ぬ前、生存中でもあるとして、生前葬をはじめ、造語する。そして用例を検索してその意味の用い方には偏りがある。そもそも、生前贈与にしても、死者処分との対で言えば、死を前提とした、あるいは死者扱いの用語であるから、生前の意味内容には、良いイメージがない。生前を、しょうぜん と読むことを含めて、この語の語句となる使い方は神経を使うことになるが、死んだ人がまだ生きていた時など、辞書を見れば見るほど、読むほどに、言葉に注意があったかと、NHKのあのスクープに思いをいたすことになる。


http://ironna.jp/article/3715
http://ironna.jp/article/3715?p=1
「生前退位」は選択肢の一つ、 望ましくない陛下のご意向の既成事実化
八木秀次(麗澤大学教授)
> NHKは7月13日午後7時のニュースで〈天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました〉と報じた。
>皇室典範には「生前退位」(譲位)の規定はない。「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(第4条)
>皇室典範が生前の譲位・退位を規定していないのは、むしろそれを積極的に排除した結果と言える。現行皇室典範(昭和22年)は明治の皇室典範(明治22年)を基本的に継承しているが、明治の皇室典範にも譲位・退位の規定はなく、むしろ排除している
> 譲位・退位後の天皇の法的な地位についても慎重な検討を必要とする。まず、譲位・退位後の天皇を何と称するのか。歴史上は「太上天皇(上皇)」と称するが、これでよいか。身分についてはどうするのか。内廷皇族として処遇するのか、宮家の一つとして処遇するのか。ご公務についても、憲法上の国事行為は出来ないが、その他の「公的行為」の一部を担うとすれば、何が行え、行えないか、その法的な位置付けはどうか、憲法との関係はどうか、についても整理しなければならない。
>今回の報道が出所不明の「宮内庁の関係者」からの情報でありながら、天皇陛下の「ご意向」として既成事実化し、政府に制度変更を促していることは、皇室の在り方として望ましくない。憲法が規定する「国民統合の象徴」は、天皇が如何なる政治的な立場に立つことがないことを求めている。




せいぜん
【生前】
故人が生きていた時。 「―の温顔」

せい‐ぜん【生前】

その人が生きていたとき。死ぬ前。在世中。しょうぜん。「―をしのぶ」「―の功労により」
せいぜんいしょ【生前遺書】
⇒リビングウィル

せいぜんこうい【生前行為】
⇒生前処分

せいぜんしょぶん【生前処分】
行為者の生前に効力を生ずる法律行為。生前行為。⇔死因処分。

せいぜんそう【生前葬】
本人の意思で、または承諾を得て本人の生きている間に催す葬儀形式の集まり。

せいぜんぞうよ【生前贈与】
生きているうちに配偶者や子などに財産を贈与すること。
[補説]年間の贈与額が基礎控除額を超える場合、相続税よりも高率の贈与税が課される。
出典:デジタル大辞泉


せい‐ぜん【生前】 例文一覧 30件
・・・輪廓は、生前と少しもちがわない。が、どこかようすがちがう。脣の色が黒んでいたり、顔色が変わっていたりする以外に、どこかちがっているところがある。僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。「これは先生じゃない」そんな気が、強くした。僕は、柩の前・・・<芥川竜之介「葬儀記」 青空文庫>

・・・……まずは生前のご挨拶まで」 僕は返事のペンを執りながら、春寒の三島の海を思い、なんとかいう発句を書いたりした。今はもう発句は覚えていない。しかし「喉頭結核でも絶望するには当たらぬ」などという気休めを並べたことだけはいまだにはっきりと覚・・・<芥川竜之介「追憶」 青空文庫>
・・・そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻に後悔した。なぜこんなばかなことをやったのであろうか、われながら考えのないことをしたものかなと、幾度悔いても間に合わなかった。それより四カ月とたたぬうちに父は果たして石塔の主人と・・・<伊藤左千夫「紅黄録」 青空文庫>

・・・と好奇心を焔やしたものもまた決して少なくないだろう。椿岳は芳崖や雅邦と争うほどな巨腕ではなかったが、世間を茶にして描き擲った大津絵風の得意の泥画は「俺の画は死ねば値が出る」と生前豪語していた通りに十四、五年来著るしく随喜者を増し、書捨ての断・・・<内田魯庵「淡島椿岳」 青空文庫>

・・・犬伝』を読むを聞いて戯れに二十首を作る橋本蓉塘     金碗孝吉風雲惨澹として旌旗を捲く 仇讎を勦滅するは此時に在り 質を二君に委ぬ原と恥づる所 身を故主に殉ずる豈悲しむを須たん 生前の功は未だ麟閣に上らず 死後の名は先・・・<内田魯庵「八犬伝談余」 青空文庫>
・・・若し、その人を忘れずに、記念せんとならばその人が、生前に為しつゝあった思想や、業に対して、惜しみ、愛護し、伝うべきであると。 まことに、詩人たり、思想家たる人の言葉にふさわしい。 誰か、人生行路の輩でなかろうか。まさにその墓は、一寸・・・<小川未明「ラスキンの言葉」 青空文庫>
・・・自分などよりは文学の上でも年齢の上でもかなり先輩だと思っていた春月が三十九歳で、現在の私の年齢より若くて死んでいるのを碑文を見て不思議なような気持で眺め直した。生前の春月を直接知っていたのではない。その詩や、ハイネ、ゲーテの訳詩に感心したの・・・<黒島伝治「短命長命」 青空文庫>

・・・支那兵は生前、金にも食物にも被服にもめぐまれなかった有様を、栄養不良の皮膚と、ちぎれた、ボロボロの中山服に残して横たわっていた。それを見ると和田は何故とも知れず、ぞくッとした。 一度退却した馬占山の黒龍江軍は、再び逆襲を試みるために、弾・・・<黒島伝治「チチハルまで」 青空文庫>

・・・先生の多くの著訳書中、其所謂「生前の遺稿」なる「一年有半」及び「続一年有半」が翼なくして飛んだ外は、殆ど売れたという程の者はない。彼の「一年有半」「続一年有半」すらも、若し死に瀕しての著作でなかったならば、アノ十分の一も売れなかったかも知れ・・・<幸徳秋水「文士としての兆民先生」 青空文庫>

・・・美しい少年の生前の面影はまた、いっそうその死をあわれに見せていた。 末子やお徳は茶の間に集まって、その日の新聞をひろげていた。そこへ三郎が研究所から帰って来た。「あ――一太。」 三郎はすぐにそれへ目をつけた。読みさしの新聞を妹や・・・<島崎藤村「嵐」 青空文庫>
・・・彼女は旦那の生前に、自分がもっと旦那の酒の相手でもして、唄の一つも歌えるような女であったなら、旦那もあれほどの放蕩はしないで済んだろうか、と思い出して見た。おげんはこんなことも考えた。彼女と旦那の間に出来たお新は、幼い時分に二階の階段から落・・・<島崎藤村「ある女の生涯」 青空文庫>

・・・君が死ねば、君の空席が、いつまでも私の傍に在るだろう。君が生前、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席を・・・<太宰治「思案の敗北」 青空文庫>

・・・その作家の生前に於て、「良風俗」とマッチする作家とは、どんな種類の作家か知っているだろう。 君は、代議士にでも出ればよかった。その厚顔、自己肯定、代議士などにうってつけである。君は、あの「シンガポール陥落」の駄文その中で、木に竹を継いだ・・・<太宰治「如是我聞」 青空文庫>

・・・ 富本でこなれた渋い声で御生前よくこう言い言いして居られましたから、いずれこれには面白い因縁でもあるのでございましょう。どんな因縁なのだろうなどと野暮なお探りはお止しなさいませ。婆様がお泣きなさるでございましょう。と申しますのは、私の婆・・・<太宰治「葉」 青空文庫>

・・・故作家と生前、特に親交あり、いま、その作家を追慕するのあまり、彼の戯れにものした絵集一巻、上梓して内輪の友人親戚間にわけてやるなど、これはまた自ら別である。あかの他人のかれこれ容喙すべき事がらでない。 私は一読者の立場として、たとえばチ・・・<太宰治「もの思う葦」 青空文庫>

・・・風邪を引き、軽い肺気腫の兆候があるというので大事を取って休養していたが、一度快くなって、四月五日の工学大会に顔を出したが、その翌日の六日の早朝から急性肺炎の症状を発して療養効なく九日の夕方に永眠した。生前の勲功によって歿後勲一等に叙し瑞宝章・・・<寺田寅彦「工学博士末広恭二君」 青空文庫>

・・・       二 いつか夏目先生生前のある事がらについて調べることがあって小宮君と自分とでめいめいの古い日記を引っぱり出して比べたことがあった。そのとき気のついたのは自分の日記にはとかく食いものの記事が多いということであった・・・<寺田寅彦「詩と官能」 青空文庫>

・・・ 亮の死の報知が伝わった時に、F町の知友たちは並み並みならぬ好意を故人の記念の上に注いでくれた。生前から特別な恩典を与えて心安く療養をさせてくれた学校当局は、さらに最後の光栄を尽くさしてくれた。親しかった人々は追悼会や遺作展覧会を開いて・・・<寺田寅彦「亮の追憶」 青空文庫>

・・・今わたくしがこれに倣って、死後に葬式も墓碣もいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられるかも知れない。それ故わたくしは先哲の異例に倣うとは言わない。唯死んでも葬式と墓とは無用だと言っておこう。 自動車の使用が盛に・・・<永井荷風「西瓜」 青空文庫>

・・・ わたくしの父は、生前文部省の役人で一時帝国大学にも関係があったので、わたくしは少年の頃から学閥の忌むべき事や、学派の軋轢の恐るべき事などを小耳に聞いて知っていた。しかしこれは勿論わたくしが三田を去った直接の原因ではない。わたくしの友人・・・<永井荷風「正宗谷崎両氏の批評に答う」 青空文庫>

・・・カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下っ・・・<夏目漱石「カーライル博物館」 青空文庫>

・・・白い旗が、ヒラヒラと、彼の生前を思わせる応援旗のようにはためいた。 安岡は、そのことがあってのちますます淋しさを感ずるようになった。部屋が広すぎた。松が忍び足のように鳴った。国分寺の鐘が陰にこもって聞こえてくるようになった。 こうい・・・<葉山嘉樹「死屍を食う男」 青空文庫>

・・・されども不良の子に窘しめらるるの苦痛は、地獄の呵嘖よりも苦しくして、然も生前現在の身を以てこの呵嘖に当たらざるを得ず。余輩敢えて人の信心を妨ぐるにはあらざれども、それ程にまで深謀遠慮あらば、今少しくその謀を浅くしその慮を近くして、目前の子供・・・<福沢諭吉「教育の事」 青空文庫>


・・・蕪村歿後に出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前において世に伝わらざりしは俳名の高かりしがために圧せられたるならんと言えり。これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思わるれど、その歿後今日に至るまでは画名かえって俳名を圧し・・・<正岡子規「俳人蕪村」 青空文庫>

・・・僕も生前に経験がある。死んだ友達の墓へ一度参ったきりでその後参ろう参ろうと思って居ながらとうとう出来ないでしまった。僕は地下から諸君の万歳を祈って居る。…………今日は誰も来ないと思ったら、イヤ素的な奴が来た。蘭麝の薫りただならぬという代物、・・・<正岡子規「墓」 青空文庫>

・・・心ある人々は、死んで、抗議の云えない人の墓を、生前好かれていなかったと知っている者が、今こそと自分の生得の力をふるってこしらえた心根をいやしんだ。そして、漱石を気の毒に思った。その墓は、まるで、どうだ、何か云えるなら云ってみろ、と立っている・・・<宮本百合子「行為の価値」 青空文庫>

・・・ これまでの手紙で忘れていたこと=去年の九月から、母が生前書いたものを、主として日記ですが、すっかり栄さんに読めるように書き写して貰い、一周忌までに本にして記念にする手順で居ります。実によく書いて居る。父と結婚――私もまだ生れなかった頃・・・<宮本百合子「獄中への手紙」 青空文庫>

・・・マークは生前、この群像の女が、手に子供を抱きながら、その目ではどこか遠くを見ている、それを指して、君そっくりじゃないか、と非難めいた苦しい顔をしたのであった。 群像を仕上げたスーは、ついに息子のジョン、娘のマーシャ、忠実な召使いのジェー・・・<宮本百合子「『この心の誇り』」 青空文庫>

・・・御遺骨を京都へ護送いたし候。御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に着し、紫野大徳寺中高桐院に御納骨いたし候。御生前において同寺清巌和尚に御約束有之候趣に候。 さて・・・<森鴎外「興津弥五右衛門の遺書」 青空文庫>

・・・そのころ私は鵠沼に住んでいた関係で、あまりたびたび木曜会には顔を出さなかったし、またたまに訪れて行った時にはその連中が来ていないというわけで、漱石生前には一度も同座しなかった。従ってそういうことに気づいたのは漱石の死後である。 木曜・・・<和辻哲郎「漱石の人物」 青空文庫>


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