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日本文化論 ことはじめ11

2016-03-21 | 日本文化論
日本文化論がさかんとなったのは、菊と刀を再論するようになってからだろう。それは経済大国といわれるようになる、日米の貿易摩擦が原因する。その摩擦と言い得るのは、1950年代に繊維製品摩擦、1960年代に鉄鋼摩擦、そして1970年代になって、カラーテレビ摩擦、自動車摩擦と、その製品でとらえられた、いわば日本による保護貿易である。次いで1980年に半導体摩擦となって、輸出の自主規制として日本はこれまで繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車などで規制を行ってきたが、ついに1985年のプラザ合意でドル高を是正する、円高の誘導を実施するに及んだ。日本からの輸出は、1ドルが240円だった、為替レートが1ドル120円になってしまう。そうして1989年日米構造協議が開始され、1990年代の日米の協議、包括経済を協議するようになる。

日本文化は米国にとって依然として、1970年代までは菊と刀の著述のままの状態であった。一方での日本特殊論はいくつかの日本論として日本の内省によるものであったから、日本そして日本文化はどうとらえられていたかが、貿易戦争による相手国の日本はやはり、菊であり刀であったのである。その菊と刀が象徴するものは、自然に対する菊の花観賞という、いわば盆栽ようのの作りに、その傍らで日本刀をひかえさせる精神をさしている。要は不可解であったのである。義理はみたび繰り返されたステレオタイプである。それを恩義、借金のかたとする理解は、義理と人情にはほど遠い、日本人自らが組織し構成した社会規範のことであった。そのように説明される、封建制として明治期の前半にあらわれた徳川時代また幕末の主従関係のままに、日本は見られたのである。1940年代の聞き取り調査は1960年代になお読まれたのである。


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