むかし は、向きあうこと、過ぎ去ったことに向くことである。それが、いにしえ 去にし辺となる。
類義語: いにしえ, 過去, 以前, 事前, 往時, 往年, 往歳, 太古, 上古, 古代, 千古, 万古, 上代, 上世, 旧時, 先般, 先日
昔には、古いの文字を当てることもある。
熟語: 後昔, 今は昔, 大昔, 帰らぬ昔, 十年一昔, 其の昔, 疾うの昔, 疾くの昔, 疾っくの昔 とみてくると、昔々は100年単位である、昔々のその昔は1000年に及ぶことになる。そのまた昔の大昔であるとなると、いつまで向きあうことができるか。
国民が考えなければならないこと4
2017-10-19 18:58:22 | 思い遥かに
わたしはひとりで生きることを、ひとりだけで生きていけるとは思わないし、正しいことを一人で主張しているとも思っていない。わたしたちと共有する考えや目的のもとで、助け合って生きていかなければならないと思っている。そのわたしたちが信頼し合って作り上げている社会を、異なった目標のために、それが明らかであれば、それが何であるかを理解することが大切であるが、その目的が明確であるか、どうしようとするかを知ることができれば、選択のことになる自分の信条と生き方のことである。だれでも社会混乱をしいて招くようなことを考えているわけではないが、その前提となるものを確かめて協力をして生きていくことである。いま仮に、立憲民主と立憲君主とをならべて、民主が主体であることを民主主義のもとで考えあっていても、象徴として国家元首を抱えているわたしたちの社会で、それは見かけに過ぎないとするかどうかは憲法にきめられて、立憲民主制を主義主張として君主を否定する考えがあれば、それはどうであるかを知らなければならないし、考えなければならない。共産主義思想には君主を認める考えがあるかどうか、現実にそのかんがえを推し進めればいずれは、君主制を敷いている矛盾のままにいることになる。国家をどう見るか、どうするか、それが民主主義の議論で国の体制を作っているのであるから、根本思想を知ることが大切である。天皇というものを国体にしてくりかえし、軍国主義は、起こりえない。しかし権力を持ち、軍事力を持つことで、その権力のふるい方では、世の中を一変させることなどはたやすいことである、と、政治家が考えていないとも限らない。わたしたちが考えなければならないことは、共有する利益の公平な配分である。それを保証するものはないか、その選択肢にあるものは、りせっと、ゼロのことでは、選択する一つにもなりえない。わたしたちは、日本の国づくりをその目標に向かって知るべきを知って進まなければならないのである。
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19日
2007年10月19日23:50
雨が降るとの予報に
午後から激しい雨になった
忙しくしていていろいろと重なったが
なんとか体力はかろうじて
バスの混みようも時間差をねらって
なによりも年寄り優先席に座ってしまう
無神経さ?で息をついている
確かに健康にはいいだろう、が
>詩題は「病後閑座偶吟所懐」です。白居易に、「病後寒食」の詩題があります。忠臣の詩を読みますと、「任死任生無所為、何曾用意患尩羸」とあります。日本語で訓読すると、死に任せ生に任せ、なすところなし、何ぞかつて意を用ゐて尩羸をれヘむ。意味は、死にまかせ、生にまかせて、さだめのままに何もしないでいる、です。「尩羸」、おうるいは、からだが弱ること、疲れること、です。
「従他軟脚難行歩、只幸凝神不坐馳」、さもあらばあれ、軟脚にして行歩難きを、只幸いに凝神して坐馳せず。意味は、たとい足が弱って歩くことが難しくとも、ままよ、たださいわいに、精神を集中していて、心は名利を求めて外に走り出しはしない、となります。俗語である従他」の用法があるのを指摘できます。「坐馳」は、座っていながら、心が名利を求めて外に馳せていること、です。
「物理是非閑裏得、人情疎密病中知」、物理の是非は閑裏に得たり、人情の疎密は、病中に知れり。意味は、物の道理の是か非かは、閑坐のうちに会得した、人間の親しさと、疎ましさは、病中に思い知った、となります。「物理」と「人情」で対になる表現です。白居易の詩にその表現があり、また、「閑裏」という語にも類句が見られます。閑かなうちに、想を得ることが特徴的でしょう
詩のおわりの聯です。「天教方寸虚舟似、不為平常憂苦移」、天は方寸をして虚舟に似しめ、平常の憂苦のために移さず。意味は、天は、わたしの心を、からの舟のごとく虚心になるように仕向けているのだ、もはや平生の憂苦のためにはわたしの思いは変わらなくなっている、という内容です。以上ですが、病気の後、静かに座して心に思ったことを述べた詩です。
この思いには、荘子の考えを受け入れた詩句である見られます。作者である忠臣の思いには、詩作を通した心のうちの吐露に、精神の安定を求めていると思われます。詩作品には、白居易の詩集から多くを学んでいたように見受けられますが、このような語句を引用した詩の表現について、この作業を通している間に、わたしはあることに気づきました。「無所為」というような言葉です。
その作業をどう行っていたかといいますと、田氏家集に使われる詩語をひとつずつ、白居易の白香山詩集を開いて、同じ表現があるかどうか、それが詩に出ているかどうかを探します。注釈をするための基礎的な、繰り返し読み返す作業ですが、そのときに、白居易の詩にどうように頻出する言葉があったのです。いまの忠臣の詩の「無所為」がそうでが、文脈の表現に沿ったものでした。
いまは、漢詩を注釈する訓詁のことを申しました。わたしは源氏物語の長恨歌の文言、そして、漢詩文の言葉に注意するような日々が続きました。白居易のことば、ずっと気になっていたのですが、しばらくそのままで過ぎました。1991年の注釈書の刊行から、時は経ちました。源氏物語の文献研究の傍ら、漢文学の研究とその学習と、1980年代から1990年代についての話をしました。
この注釈が終わって10年が経過しましたが、1999年の留学、2001年になって、東方社会哲学国際学術研討会に参加します。その間は、大学での教育、研究にたずさわり、日本文学、日本語学、日本文化論へと探求が続き、日本語教育に従事しながら、始めてから20年近くが経過しました。このように研究の時間経過をたどると、わたしにとって研究留学がすばらしい思い出となります。
1997年でしたか、天津大学の客坐教授をしていたわたしに、天津大学外国語学院の劉文祥教授が中国政府の留学奨学金があることを教えてくださいました。早速、書類を見て、留学可能な、受け入れ大学を探して応募をしました。南開大学に探すテーマの研究者がいて、仏教と詩文学の研究をしている孫昌武教授の名前を見つけました。そこに決めて書類を出したら、通知が来ました。
わたしはそれまで留学の経験がありませんでしたから、1999年に天津の南開大学へ出かけたときは新鮮な気持ちでした。大学の仕事がありますので、春休みを利用する6ヶ月の留学期間を、4ヶ月に調整して中国へ来ました。南開大学の国際交流処にやってきて研究留学手続きをしました。直ぐに、指導の孫教授を訪ねて、留学目的を話しました。白居易文学と日本文化がテーマです。
すると中文系の教研室で孫先生が面接をしてくださったそのときに、あなたは中国語の専門書を読みなさいと1冊の本を下さいました。それから、わたしは3ヶ月間、毎日、留学生楼の自室にこもって読みました。時々は天津大学の友人たちが訪ねてくれますが、ほとんど『禅思と詩情』の読解に費やしていました。そして2ヶ月ほどして、わたしは発見につつまれたかのように感動しました。
学生のようなその時の生活は、思い出せばいろいろなことがありましたが、孫教授のご指導は正鵠を得ていましたので、わたしは目を開かれる思いでした。この与えられた研究留学の意味をさとりました。白居易が禅を信仰していたことと、長安の都を取り巻く仏教伝播の状況が詳細に論じられていて、そのことを読み取ったわたしは、白香山詩集を調べていたときの疑問が氷解しました。