JPG 続々
それでほどなく形態文法ということを知って日本語教育文法は形態分析で記述していることを1978年からの自らの日本語教育経験に照らして思っていた。JFT、IMJを読み比べてその記述法の違いにも考え及んだ。それはまあ、しっかりとJFTでスタートをしていたので、IMJは世にいう、ALメソッドの文法説明だから、そんなものかという感想をもち、実は読んでいて-u、-ru記述に矛盾を見出していた。
当時の教授法では関西型というか、1970年代以前となるが、ほかに国内での日本語教育では三つほどの流れがあって、いまも変わらないけれど、やたら教科書の種類が増えてきていて日本語教育の文法にも統一性が欠けるようなところで、その源のように見える流れがある。そのほとんどは伝統的とする経験からくる教授法になる。研修生また留学生集中教育の日本語教育文法の流れが勢いをしめはじめていた。
関西型はmasu-formマス形からte-formて形への教え方というべきJFTによる、関東型は丸埋め方法として中国の培訓教育に出た東外大テキスト、そして全国展開がその主たる研修用の短期日本語用の基礎日本語だ。この基礎日本語は3か月から6か月の期間のものを、しんにっぽんごのきそ、というふうに改訂をして、いまの、みんなのにっぽんご、というテキストになり、3か月の集中を9か月用にしている。
前述してきたように、教科書によって文法の記述が異なる。教科書ならどれも日本語教育用の文法は同じだろうというのは違っていて、大きな声でいうと、それは大違いであって、とくに研修用日本語から経験の積み重ねで膨れてしまったようなテキストは体系的というにはあまりにもこれはこうだからというような説明がなかったりする。いまやそれがすべての日本語教育文法であるような傾向となっている。
その研修用日本語は場面を留学生用にかえることが必要であったので語彙などを入れ替えて使われる層が広がった。その流れになる中でいくつかのほかの教科書を見ていくと、これまでの流れをそのままに見方を変えると、大学予備教育の日本語教育、大学院予備教育の日本語教育、そして大学で行われていた短期集中プログラムの3つをみることができ、そのうち、2つは、米国で開発された集中教育である。
このころのエピソードを紹介すると、限られた情報であったが、中国でのこと、日本の大学への留学プログラムをスタートさせようとしたいわゆる赴日留学生用日本語教育で、1980年に得た話である。東北師範大学にその培訓部があってそこで日本語教育を行うことになったが、大学予備教育ということで採用になったのが東外大教科書だということであった。そのテキスト選定にあたってのことだそうだ。
1979年にわたしは中国からの研究留学、4人の日本語教育中国研修生を大学のプログラムで受け入れ、大学講師である中国人教師に日本語の研究と再研修を行っていたときのことだ。JFTの経験を持つので、そのステップアップを説明して、北京語言文化大学、当時は北京語言学院、の派遣教師から、このテキストが候補になって文法説明がよいとなったが、教え方がわからなかったから東外大を選んだと聞いた。
日本語教育用の文法が中国の予備教育に移入していく出来事のころ、そのような話を思い出す。
それでほどなく形態文法ということを知って日本語教育文法は形態分析で記述していることを1978年からの自らの日本語教育経験に照らして思っていた。JFT、IMJを読み比べてその記述法の違いにも考え及んだ。それはまあ、しっかりとJFTでスタートをしていたので、IMJは世にいう、ALメソッドの文法説明だから、そんなものかという感想をもち、実は読んでいて-u、-ru記述に矛盾を見出していた。
当時の教授法では関西型というか、1970年代以前となるが、ほかに国内での日本語教育では三つほどの流れがあって、いまも変わらないけれど、やたら教科書の種類が増えてきていて日本語教育の文法にも統一性が欠けるようなところで、その源のように見える流れがある。そのほとんどは伝統的とする経験からくる教授法になる。研修生また留学生集中教育の日本語教育文法の流れが勢いをしめはじめていた。
関西型はmasu-formマス形からte-formて形への教え方というべきJFTによる、関東型は丸埋め方法として中国の培訓教育に出た東外大テキスト、そして全国展開がその主たる研修用の短期日本語用の基礎日本語だ。この基礎日本語は3か月から6か月の期間のものを、しんにっぽんごのきそ、というふうに改訂をして、いまの、みんなのにっぽんご、というテキストになり、3か月の集中を9か月用にしている。
前述してきたように、教科書によって文法の記述が異なる。教科書ならどれも日本語教育用の文法は同じだろうというのは違っていて、大きな声でいうと、それは大違いであって、とくに研修用日本語から経験の積み重ねで膨れてしまったようなテキストは体系的というにはあまりにもこれはこうだからというような説明がなかったりする。いまやそれがすべての日本語教育文法であるような傾向となっている。
その研修用日本語は場面を留学生用にかえることが必要であったので語彙などを入れ替えて使われる層が広がった。その流れになる中でいくつかのほかの教科書を見ていくと、これまでの流れをそのままに見方を変えると、大学予備教育の日本語教育、大学院予備教育の日本語教育、そして大学で行われていた短期集中プログラムの3つをみることができ、そのうち、2つは、米国で開発された集中教育である。
このころのエピソードを紹介すると、限られた情報であったが、中国でのこと、日本の大学への留学プログラムをスタートさせようとしたいわゆる赴日留学生用日本語教育で、1980年に得た話である。東北師範大学にその培訓部があってそこで日本語教育を行うことになったが、大学予備教育ということで採用になったのが東外大教科書だということであった。そのテキスト選定にあたってのことだそうだ。
1979年にわたしは中国からの研究留学、4人の日本語教育中国研修生を大学のプログラムで受け入れ、大学講師である中国人教師に日本語の研究と再研修を行っていたときのことだ。JFTの経験を持つので、そのステップアップを説明して、北京語言文化大学、当時は北京語言学院、の派遣教師から、このテキストが候補になって文法説明がよいとなったが、教え方がわからなかったから東外大を選んだと聞いた。
日本語教育用の文法が中国の予備教育に移入していく出来事のころ、そのような話を思い出す。