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語順には

2016-04-13 | 日本語教育
日本語の順序は主語からはじまって述語でおわる。その順序には主語がある、主語が第1番目の順序にあることが前提である。その順に主語―目的語―述語を次に見るなら、目的語が第2番目となる。この順をとるとするのは、やはり、主語があってのことである。しかし日本語は主語をあらわさない、あるいはそれを表すが、明示した主語を示しているのと、そうでない、主語を言わずして、主語となる語の特定する言い方があって、それを日本語の現象に見ていくと、主語と述語に対して、目的語と述語という言い方がよく見られることになるし、その目的語の位置に来る語の言い方がある。主語になる名詞に、-が となるものに対して、-を となるものがあり、さらには、-に ―と ーで、-へ、―より、―から、ーまで などを、述語について見ることになる。そのそれぞれは、第1番目、第2番目にある主語、目的語よりほかには、その優先順位になることはない。目的語―述語について、その語を置き換えると、それぞれに順序となる。便宜に、Nga V とするのに対して、Nga No Vと、日本語をとらえると、No V  Nto V   Nde V  Nyori V  Nkara V  Ne V Nmade V と現れる。



語順から見た日本語 
• 1 SOV型  [主語+目的語+動詞]
• 2 SVO型   [主語+動詞+目的語]   
• 3 VSO型   [動詞+主語+目的語]
• 日本語と語順が似ている言語
  韓国・朝鮮語 アイヌ語 チベット語 ビルマ語
  ヒンディー語 タミール語 トルコ語 ペルシャ語 
  バスク語

言語類型
• 言語の特性を考える 言語のタイプ
  系統的分類  形式上の類似性による分類
• 言語類型論
  ①膠着語 ②孤立語 ③屈折語 ④抱合語
  日本語は、 単語に文法的な付属部分がついて文法的機能を明らかにする。
  日本語の動詞の活用を観察すると屈折語的な特徴を持っている。





日本語の家族とは
2016-04-11 07:31:42 | 日本語教育

日本語の家族を探すとなると、祖先の言語はなにかと、やはり日本語であるのか、それとも祖語としてのものがあるかどうか、祖語があればそれによって、親兄弟となる言語はあるかどうか、それは興味の尽きないことである。しかし現在の日本語を1000年さかのぼってみて、仮名文字で日本語発音を表記することができるようになった1016年のころとなり、そこには源氏物語が書かれたころの時代であり、さらに1500年をたどれば、そこにある日本語は616年の言語状況として漢字をもって日本語を書く、古事記の時代になって、さらにその300年前にはもはや、言語の状況は記録としてのものが見当たらない日本語である。

日本語の家族が見当たらないので、それは祖語を探す手がかりを持たないということであって、系統論の議論が成立しにくい。ただし、この1600年をさかのぼって日本語としてたどりうる歴史は言語としての特徴があることになる。


言語としての日本語
2016-04-08 09:29:01 | 日本語教育

日本語という。JapaneseまたJapanese languageである。言語学では国語とは言わない、日本語である。しかし、おおく日本語を日本の国語と解説するのが常である。また日本人、日本民族が話す言語とある。あるいは日本の地域をとらえてそこに住む人々の主要な言語とする。言語として、という謂いには、as (i.e. in the role of); for (i.e. from the viewpoint of)の、as a foriegn language による訳語になる。日本語教育学会は、外国人のための、外国語としての、とその名称をとらえてきた。国語の辞書によれば、資格、立場、名目、部類と説明する。日本を中国語、英語などと並べれば、それぞれ言語のひとつずつであることは明きらかである。国語とする経緯を近代以降に見れば、そこには国語問題のとらえ方があった。国語を国家の中央語とする一方で、国語による尊重、愛護の精神をもって教育することが行われてきたので、生まれつき身につける言語、すなわち第1言語が国語であることを意識しているのである。その国語を日本語とするには、意識のことがらであるのか、考え方、ものの見方であるのか、わたしたちには言語特徴を捉えることで分かるようなことである。言語として日本語である国語を、言語系統論で祖語を求めることをしないし、その言語間の関係に系統があるという、その特徴とする証明を得ない言語であるとなれば、つまり自立した言語のゆえに、言語としての日本語もつまるところ言語としての国語と言い得て変わるところがあるわけではない。


言語として
2016-04-07 06:06:51 | 日本語教育

外国語をどう見るか、それは日本語ではない、外国の言語言語ということになる。その日本語が国語であった。外国は国内と対比される。内国ではない。とつ国といった。それは地域を限定しない。外国語は、しかし、英語であった。言語になるのは欧州の地域の言語を指し示していた。外国語としての日本語には、その外国語とは英語をおいている。言語としての日本語はどうか。内なる言語を見直すことになる。そこには漢語があった。和語があった。そして外来語である。すると国内の言語は国語とくくられて、漢語を含む。外国語をも含めて、それを国語としている。それに対する言語は国内の語について、日本語とみることで、言語としての日本語になる。漢語は外国語にはならないのである。ただし日本語における漢語となるので、国語に取り入れた漢語のことである。


個別言語である日本語
2016-04-06 16:11:11 | 日本語教育

言語のひとつとして日本語をとらえると、個別言語の日本語となる。言語一般に対して、一つずつの言語である意から、英語、中国語、韓国・朝鮮語というように、個々の言語をとらえる。その言語を国語とすれば、地域、国によって国語となるが、その名称をとるのは、日本語と韓国語である。中国は漢文、漢語であるし、また。中国語そのものをいうのは中文となって、日本語の文字遣いと異なる。漢語だからであるが、日本語もそうなると、日文、日語である。ただ、中国語で国語というのはある地域の言語を指す。英語でEnglishとなれば、それは国語を表す、National languageと異なる。しかし、日本語のようにとらえれば、国語教育であり、言語教育である。日本語を教えているのは、日本語を使って理科、社会などの科目を教えているのであるから、国語科目だけではない。国語科目には義務教育のときのそうであったように、よく知られている日本文学作品を教えている。国語で教える内容を、身に着けるべき言語、日本語による文化、規範など、その範囲を広くとらえることができる。


日本語教育は外国語として
2016-04-05 12:03:37 | 日本語教育

日本語教育は外国語として日本語を教育、学習することである。日本語教師、日本語学習者があって、そこで日本語を教え、学ぶことである。すると、外国語としてというのはどういうことか。日本語を外国語にする、日本語が外国語である、ということを考えれば、外国語のいくつかる中の、一つの日本語ということである。なぜこのようなとらえ方が、説明として必要なのか、それは同じ言語、同一の言語ながら、その日本語を国語と呼ぶわたしたちの言語意識があるからである。国語教育、国語科目の扱いによる教育のことがらに、日本語が国語であるということを身に着けるからであり、日本語を母語また母国語というように、それをいわば当然のことであったので、このことについては深く議論されることではなかった。しかしこのことを探求してみれば、なぜ国語であったのかをとらえようとすると、近代以降の日本語の扱いに、それを国語と呼ぶことによって母国語の国語というとらえ方のほかに、国家語の国語という重要な言語政策にもかかわる一面を見出すことになる。日本語教育の日本語をとらえるのに、国語をどう見てきたかについては、新たに別のテーマとして議論されなければならないが、すでにその論考は問題を指摘されてから久しいので、いずれ取り上げるとして、国語に対する日本語ということが、日本語教育の方法、内容で闡明にされることがある。


日本語はどんな言語か
2016-04-04 12:14:13 | 日本語教育

日本語について知ることは、日本語とほかの言語を知ることになる。日本語そのものを国語として使用言語、理解言語としてきたのであるから、言語について国語のほかを知ることはなかったとするなら、じつは日本語はそうではない。国語は絶えずほかの言語と対照して学び続けてきている。すなわち漢語、英語である。日本語はどんな言語と問うときに、常に漢語と日本語で言葉をとらえ、英語と日本語で文法を意識してきている。漢語の文法もそうであるが、英語の文法にも、教科の国語の文法には、ほかの言語との対照で説明をするという方法で行われてきている。漢語を日本語に入れて和語と対照しながら国語としてしまっているので、漢語の法則が日本語にうつされることがわからないのがふつうである。しかし、英語の文法は法則を説明し、その理解を先に進めたような学びがあるので、日本語文法を英語の法則に照らして説明することが行われた。日本語は漢語を入れ、英語の文法法則をもって、言葉の現象を説明しようとする言語である。


日本語と国語と
2016-04-03 22:05:04 | 日本語教育

日本語と国語と、それは同じ言語であるにかかわらず、名称が異なっているためになぜかという説明が求められることになる。日本語教育と国語教育の場面で言語学習にはどちらの名称も、とくにかわりがないものの、学習目的、学習動機が異なるところで、日本語といい、国語と言い、その違いは大きい。しかし、わたしたちにとって母語であるので、その違いにはとりわけ関心が払いにくいことも事実である。

そもそも国語と言うのはなぜか。日本語と言うのはなぜか。あらためてその議論を思えば、説明はさまざまになる。日本語の方でみていくなら、この言い方は日本と言う国号にかかわってのことになる。本来民族が持つ言語として、その名称を用いることがあってよいはずであるが、民族の捉え方が属名として日本民族であるのか、大和民族として限定するものなのかと、議論が難しい。言語を一つにして民族を代表するなら、それは近代以前から自覚されてきた複数の言語がこの列島にあるということである。

日本語はこう表記して、やまとの語であったから、日本か、大和か、ということが係わるのであるが、これは大日本帝国になるまでは、大和であり、それを日本と表記してきた。その発音を確かめるすべがない。フリガナによる発音の確かめは、大日本としたところで、これも、おおやまと、だったかもしれないのである。おおくは諸国との名称に、英吉利、仏蘭西、独逸、亜米利加、露西亜と表記して音読みをして、そこに、日本を国名としてならべると、ニッポンと音読みがなされたことが推測できる。


日本語教育と国語語教育
2016-04-02 19:56:05 | 日本語教育

日本語を母語とするか、第2言語とするか。
国語は母国語すなわち母語としているから、第1言語となる。

日本語教育と国語教育は学習者、教科書、学習動機などをもってその違いを明らかにすることができる。

日本語教育の学習者は成人に対するものである。
そして教科書は文型を練習するもの、会話を中心として始めるものがある。

日本語の学習を言語のコミュニケーションの必要に行うのが、日本語教育である。

国語教育は科目として義務教育としておこなわれるが、幼少期から国語を意識にした言語である。
その教科書には読み書き聞く話すの4技能を言語生活の軸として国語文章を取り入れている。

国語を母語にして習得するので、言語そのものを手段とした人格形成におよぶ。
国語教育は、じつは、国語科目の教育だけで行われていない。

日本語教師の教授法と、国語教師の教科教育法と、その違いは同じ教育と言いながら顕著である。


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