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梅に鶯、宿る

2015-03-06 | しかじか
梅にうぐいすを天声人語が書いている。
鴬宿梅の故事である。大鏡にある。

啓蟄のころの話題である。
鶯には実は、メジロというようなわけだが、北京五輪の天使の声におよんで、メジロの色とうぐいすの声とのいいとこどりには、筆がすべりすぎたいうべきか。

コラム子の春先の情景には、これでは、何が見えているだろう。
鴬宿梅の故事を意に介さない書きようである。

いま、その故事を検索して並べてみよう。



大辞林 第三版の解説
おうしゅくばい【鶯宿梅・鴬宿梅】
村上天皇の時,清涼殿の梅が枯れたので,紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えさせたところ,枝に「勅なればいともかしこし鶯(うぐいす)の宿はと問はばいかが答へむ」の歌が結び付けてあり,これを読んだ天皇は深く恥じたという故事。また,その梅。


デジタル大辞泉の解説
おうしゅく‐ばい〔アウシユク‐〕【×鶯宿梅】
1 村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之(きのつらゆき)の娘紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。
2 梅の一品種。香りがすぐれ、花は白、または紅・白まじって咲く。《季 春》



http://www.ic.daito.ac.jp/~hama/gallery/gyara-mokuji000-kaiga.html

鴬宿梅図  稲垣晴雪画
http://www.ic.daito.ac.jp/~hama/gallery/kaiga-oosukubai-inagakiseisetu-turayukimusume-ookagami000.html

大東文化大学 浜口俊裕 電子ギャラリー 鴬宿梅図 稲垣晴雪画 ...
www.ic.daito.ac.jp/.../kaiga-oosukubai-inagakiseisetu-turayukimusume-o...
鴬宿梅図 稲垣晴雪(明治28年生1895)画 43㎝×49㎝ 村上天皇の御時に、御所の梅が枯れたので、それに替わる梅を探していところ、同じような紅梅が見つかった。その紅梅は紀貫之宅の庭に植えられていた。これを御所に移植することになった時に、貫之女 ...


『大鏡』(巻6「道長下」) 『拾遺和歌集』(雑下)

(太政大臣道長)

「いとをかしうあはれにはべりしことは、この天暦(てんりやく)の御時(おほんとき)に、清涼殿(せいりやうでん)の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせたまひしに、なにがしぬしの、蔵人(くらうど)にていますがりし時、承りて、
『若き者どもはえ見知らじ。きむぢ求めよ。』
とのたまひしかば、一京(ひときやう)まかり歩(あり)きしかども、はべらざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体(やうだい)うつくしきがはべりしを、掘り取りしかば、家あるじの、
『木にこれ結(ゆ)ひつけて持て参れ。』
と言はせたまひしかば、あるやうこそはとて、持て参りてさぶらひしを、
『何ぞ。』
とて御覧じければ、女の手にて書きてはべりける、
  勅なればいともかしこし鶯(うぐひす)の宿はと問はばいかが答へむ
とありけるに、あやしくおぼしめして、
『何者の家ぞ。』
とたづねさせたまひければ、貫之(つらゆき)のぬしの御女(みむすめ)の住む所なりけり。
『遺恨のわざをもしたりけるかな。』
とて、 あまえ、おはしましける。
繁樹(しげき)今生(こんじやう)の辱号(ぞくがう)は、これやはべりけむ。
さるは、
『思ふやうなる木持て参りたり。』
とて、衣(きぬ)かづけられたりしも、辛(から)くなりにき。」

とて、こまやかに笑ふ。





折々の銘 13 【梅の宿】うめのやど 『大鏡』第六に「鶯宿梅(あうし ...
www.morita-fumiyasu.com/docs/oriori_013.pdf
大鏡』第六に「鶯宿梅(あうしゆくばい)」という話があります。 ... 天皇はこの短冊に目を留め、歌に感じ入って梅の木を返したという故事です。 村上天皇は権力の行使 ... 平安時代に入ると歌語として梅と鶯との取り合わせが主流となり、『大鏡』の故事はその傾向.

【梅の宿】うめのやど
『大鏡』第六に「鶯宿梅(あうしゆくばい)」という話があります。
天暦年間(947―956)のこと、清涼殿前の梅の木が枯れたため、新たな梅の木を探していた村上天皇は、ある館にみごとな梅木があることを知り、勅命により移植しようとしました。
館の主(紀貫之の娘 紀内侍)は ・勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へむ
〔帝の命であれば従いましょう。しかし鶯が宿は何処と尋ねたら何と答えればよいのでしょう
か〕 という歌を短冊に記し梅の枝に提げて献上しました。
天皇はこの短冊に目を留め、歌に感じ入って梅の木を返したという故事です。
村上天皇は権力の行使より、鶯や歌心を重んじる方だったようです。いにしえ人が自然との調和を大切にしていたことが窺えますね。自らの失政を省みて修正する勇気のある為政者の行為は権威の失墜を意味せず、むしろ万民の心を捉えます。
「梅の宿」はこの「鶯宿梅」を和語に仕立てた言葉です。
『万葉集』にはすでに梅と鶯を取り合わせて詠んだ歌がありますが、当時は梅に限らず柳・山吹・萩・竹などを背景として詠んだ歌も多くみられます。
平安時代に入ると歌語として梅と鶯との取り合わせが主流となり、『大鏡』の故事はその傾向に副い、梅と鶯を決定的に結びつける結果となりました。現代では日本画によく見かける画題ですね。上村淳之あたりの絵が思い浮かびます。
「ホー ホケキョ」の美声で知られる鶯はヒタキ科ウグイス亜科の鳥。夏は平地から高地までの笹薮に住み「チャッ チャッ」と鳴くそうです。冬には高地の鶯も平地へ下りてきます。その頃、梅の季節と重なるのです。下りてきたばかりの鶯は鳴き方も下手ですが、しだいに上手に鳴くようになります。春の魁として親しまれています。



Oushukubai 鴬宿梅

CATEGORY: art history / paintings

Lit. the plum tree where the warbler dwells. A painting subject inspired by an episode in the 10c tale in OOKAGAMI 大鏡 concerning a daughter of Ki no Tsurayuki 紀貫之 (898?-945?) who refuses to part with a plum tree (ume 梅). Emperor Murakami 村上 (r. 946-967) decided to replace the withered plum tree in front of his palace, Seiryouden 清涼殿, with a magnificant beautiful red plum tree from Tsurayuki's daughter's garden. When a messenger arrived to take the tree, however, the daughter attached a waka 和歌 to the branch of the plum tree. It reads; "The emperor's command should be highly revered, but how shall I answer if the warbler (uguisu 鴬) asks where its home (yado 宿) is?" The Emperor was so moved that he decided to return the tree.

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