日本語音韻は東京方言を発音のモデルにして仮名文字にあらわしてとらえることができる。仮名文字表記をローマ字表記にして、発音を音節単位から音素単位にして分析すると、言語の音韻をより詳しくすることになるが、異音を分析して仮名表記に現れない音声をとらえることもできる。発音が単語内の音環境によって変わるもので、それを仮名表記で音韻とする日本語では、発音を区別して意識することは少ない。しかし、それを捉えて議論する、鼻濁音になるガ行の音の区別は方言の要素も加えて説明をすることがある。あるいはハ行の転呼による発音の現れ方にも、語中語尾のことではあるが、日本語話者には発音変化のままに発声をしている。助詞「は」の発音は文法制約を受けて、語尾のように、waとして明らかに意識されている。その一方で。助詞「を」については、ア行の「お」と区別する発音ではないので、文法分析に注意されるのは文字表記に現れるか、発話中の語の機能を加えることだけで、明瞭である。音素分析、音節分析のいずれでも、日本語としてのとらえやすさによるところである。
音素、音節
2019-04-08 08:07:53 | 日本語音韻
音声と音韻はどう違うか。言われるところで、具体と抽象、無数と有限個、組織的と体系的、などなど。日本語の50音図は音韻に拠ると、現代仮名遣いの取り決めでうたう。音韻の単位に文字を捉えるのはその違いを闡明にすることがある。音韻は音素を見るが、日本語文字は仮名でいえば音節を見ることになるので、ここに、言語の具体的な現われで見る音声、音韻、そして発音という違いが出てくる。発音は音素、音節、その結合として語、文の単位で現れるから、発音そのものが一般に用いられて、例えば、英語発音と日本語発音の違いには、音素での分析と、日本語には便宜、音節の分析で行うことがある。この説明はとらえにくい。日本語の音声分析を音素単位で行うことがもちろん可能であるし、音韻の考えではその方がわかりよいとなる。それは音声としての発生または発音の仕組みを捉えて日本語を発音でとらえることを理解することになる。言語学で最小単位を求めて共通する議論を立てるので、音韻は音素になる。日本語が音節で説明できる音韻の単位は日本語に仮名文字の工夫、発明があったからであるから、それをもとに発音するということの意識が形成されてきている。