文型研究は1960年、1963年に、調査結果の報告があった。
>総合的文型ということを目標とした新しい方法による研究
話しことばの文型 (国立国語研究所): 1960
1960年、あとがきから、構文研究について言及するところを引用する。
https://core.ac.uk/download/pdf/234725743.pdf
>報告書の記述を終えて,反省されることを書きとめておくことにする。
この研究は文法論的考察を土台とすべき仕事で,一応,そういう順序を取って進めたが,これtこ時間を費やすことが大きく,使った時間のわりに,成果が少ないという印象を,報告書の上では,防ぎえないかもしれない。そこから出発すべぎところが,結果となっているという観をなしているところもあろう。むしろ,考察の過程をより積極的に記述する方が,有意義であったかとの反省ももたれる。
しかし,なお,文法論的考察が十分に尽くされたとは言えない。なお未熟にとどまり,それが文の認定を中途半端な処置に終らせたり,構文の分析・整理において,基礎的問題の解決に不十分のうらみを残したりした点のあることが反省される。すなわち,文の認定はもっと技術的操作に徹する方がよかったかとも思われるが,そのためには,文法論的考察を尽くした上で,そこから技術的操作のしかたをきめることが望ましい。どちらも不十分であったと思われる。
構文については,後述する。 325ページ
>.構文については,文法研究の現段階が,文型を明らかにするという立場からは,基礎的な研究の積み重ねを必要とする段階であるので,全体的な把握を目ざす作業セこは多くの困難を伴う。
述語を「自動詞」 「他動詞1」 「他動詞2」 「形容詞・形容動詞」 「名詞」「副詞」と分けたが,「自動詞」ど「他動詞1」とを一括し,「副詞」は「形容詞・形容動詞」と合わせることも可能であろう。
一次の部としての体言的修飾語・副詞的修飾語。述語の配列・組み合わせを調べたが,基礎的に,まず,体言的修館語と述語との関係,副詞的修飾語と述語との関係を十分に明らかにすべきであったろう。
格の種別と識別にも問題がある。部の格,句の格を立てたが,対体言絡・対用言格などを立てることもできよう。「美しく咲く」「りっぱにやってのけた」などを句と扱ったが,これらを副詞的修飾格と同等に取り扱う立場もあろう。主格と扱うか,体言的修飾格と扱うか,副詞的修飾格と扱うか,それらの間の区別にも異論があろう。格助詞などを,構文の立場で,どの程度に細分すべきか,これについては大体の考察にとどまり,細密な調査を行なうゆとりがなく,詳しくはなお今後に残された。
部の交換の自由,不自由のことは,今後の研究の進展のための足がかりとして,大まかな線を示したにすぎない。 326ページ
参考文献、おもなもの、参照、引用した208点を挙げている。、
> 3 構 文
構文における対象 ここで構文というのは,従来,文の構造とも言われてきたもので,文の構成要素の組み合わせや配列のしくみをさす。「文型」の調査において構文が重要な一つの面であることはいうまでもない。
しかし,話しことばにおいて「構文の型」を把握することは必ずしも容易ではない。そもそも,日本語表現においては,文の構成要素の配列は比較的自由であると言われる。こと実,次のような文は,
木の葉が・はらはら 地上に 落ちる。
はらはら 木の葉が 地上に 落ちる。
木の葉が 地上に はらはら 落ちる。
のように,その構成要素は比較的自由に位置することが可能である。このような日本語の構文上の特色は注Hすべきであろう。さればといって,日本語においては,文の構成要素の配列が,すべて全く自由であると言い得るものではない。この例文においても,
木の葉が はらはら 落ちる 地上に
などは特異な表現効果を伴って用いられないわけではないが,少なくとも,書きことばにおいては一般的であるとは言えないであろう。この種の文が「倒置」の文などとよばれるのも,それが普通でないことを認めるがゆえであると思う。また,連体修飾語も被修飾語の前に位置することが普通である。それゆえ日本語における構文について,その構成要素の配列の順序を問題にする場合には,一般の溝成要素の配列の順序は自由であり,ただ,
(1) 主語は述語の前にある。
(2) 修飾語は被修飾語の前にある。
ということだけは構造上の制約であると認められて来たのである。 145ページ
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