語彙の論は、語の論とは分野を異にする。
そこでともに扱うのは語であるから、語彙をとらえるには語とはなんであるかを明らかにする必要がある。
語は文法の論で明らかにされることがあった。それは文における語のとらえ方である。
文を分析して語を単位とした。国語の文法で分節としたのは、語をふたつに分類して、自立語と付属語に分けていたからであるが、それを一つの単位に文節とした。この文節は分節の単位として二重分節の考え方に応じるものであった。文の構成要素を示す。
しかし自立語を語として、付属語を同じ語として扱うにはその語の意味、働きからおのずと違いがあるので、文法論では国語の文法の分析とはちがって、語を形態論で扱うことになる。
それまで文節を意識して国語を使ってきたので、そのわけ方については十分に国語として理解をしたうえであらためて、形態論の考え方による語の形態を見ることになる。
まず語とは何か。形態分析によって、それは自立する形式と結合する形式とにわけられる。
語が意味の最小単位となるか、さらに意味の最小単位を分けることができるなら、それが文法論の形態において分けることになる考え方がある。付属語は語の単位とならない。
国語の文節は橋本の学説によって唱えられ、国語の教科において、その文法は品詞論と構文論にわけられる。
それに対して、言語の分析はソシュールの学説が唱えた言語記号のとらえ方によって展開した。その考え方は文法論に大きな影響を与えて言語の分析に形態と意味について新たな理論がつくられることになる。
そのひとつにブルームフィールドが文法論を唱え、形態論と統語論を文法論のふたつの分野とした。
言語記号は形態として文法論のなかで説明されることになるが、形態は語の表す意味を前提としているので、その形式による分析であると理解する必要がある。
国語の自立語と付属語のように分けるのは語の意味の自立性とそれに付属する文法の意味を与えるものをとらえていた。これは文節を作るという、わかりやすい分析である。
その分析に対して、形態は語の持つ意味をもとに、さらに語が最小単位であるというのを、語より小さい意味を持つ形式にわけてとらえている。語を自立形式と結合形式に分けたのである。
そこでともに扱うのは語であるから、語彙をとらえるには語とはなんであるかを明らかにする必要がある。
語は文法の論で明らかにされることがあった。それは文における語のとらえ方である。
文を分析して語を単位とした。国語の文法で分節としたのは、語をふたつに分類して、自立語と付属語に分けていたからであるが、それを一つの単位に文節とした。この文節は分節の単位として二重分節の考え方に応じるものであった。文の構成要素を示す。
しかし自立語を語として、付属語を同じ語として扱うにはその語の意味、働きからおのずと違いがあるので、文法論では国語の文法の分析とはちがって、語を形態論で扱うことになる。
それまで文節を意識して国語を使ってきたので、そのわけ方については十分に国語として理解をしたうえであらためて、形態論の考え方による語の形態を見ることになる。
まず語とは何か。形態分析によって、それは自立する形式と結合する形式とにわけられる。
語が意味の最小単位となるか、さらに意味の最小単位を分けることができるなら、それが文法論の形態において分けることになる考え方がある。付属語は語の単位とならない。
国語の文節は橋本の学説によって唱えられ、国語の教科において、その文法は品詞論と構文論にわけられる。
それに対して、言語の分析はソシュールの学説が唱えた言語記号のとらえ方によって展開した。その考え方は文法論に大きな影響を与えて言語の分析に形態と意味について新たな理論がつくられることになる。
そのひとつにブルームフィールドが文法論を唱え、形態論と統語論を文法論のふたつの分野とした。
言語記号は形態として文法論のなかで説明されることになるが、形態は語の表す意味を前提としているので、その形式による分析であると理解する必要がある。
国語の自立語と付属語のように分けるのは語の意味の自立性とそれに付属する文法の意味を与えるものをとらえていた。これは文節を作るという、わかりやすい分析である。
その分析に対して、形態は語の持つ意味をもとに、さらに語が最小単位であるというのを、語より小さい意味を持つ形式にわけてとらえている。語を自立形式と結合形式に分けたのである。