助手の職務であった、と、思い出すのは、37年前のことである。何でもさせられたというか、命が下ったのは、大学院の研究科のプランを作るということであった。専攻がふたつなければ申請は通らない。しかし他専攻では、いわゆるマル合がない、足りないので、文学研究科を国文学で、国文学、国語学のふたつで分けて作ろうとした。結果は、通らなかった。当然であったが、それだけ社会的貢献に必要としたか、あるいは、将来計画の進捗のためであったか。そこで学び得たことは業績の点数主義であった。助手から、講師になって10年を勤務していたが、離れてのち、地域文化の研究科ができたと聞いた。それからは、博士生産だった。博士号授与が日本一、多いという大学院大学に奉職をして、毎年にも博士号の授与審査の決定に参加して、目の当たりにしていた。またたくまに、10年が経過した。いまの16年がある。
会で挨拶をした。
>
いろいろと、ありがとうございました。
一言を考えて、禅の言葉を引用した。
院生指導をすることは、わたしにとって、博士学位の授与にいたるまでは、大学院の教育と研究とは、
つねに、看脚下、の日々であったことである。
2000年から16年間、院生を指導してきたので、感慨もひとしおである。
異文化コミュニケーション
言語コミュニケーション
グローバルカルチャ―・コミュニケーション
研究科でのコースは、いずれも日本語教育コースである。
担当した院生は修士、博士を合わせて、延べ30人を超える。
留学生は、うち、7名を数える。
博士後期課程だけに限って言うと、博士号は次のようである。
コミュニケーション研究科では5名、ついで
グローバルカルチャー・コミュニケーション研究科で3名
あわせて8名中、博士学位取得者は3名で、うちに留学生1名。
学部修士と教えて、外で博士を取得したもの2名、他研究科1名、
さらに研究科で博士に進んでいたもの、総勢でゆかりがある12名
そううち、さきにあわせて、博士学位取得者は6名になる、半数、
満期退学という博士後期課程3年修了6名においても4名が大学教員になった。
12名の卒業生は研究に勤しんでいる。
いずれも大学教員として、研究者として活躍中である。
修士、博士を修めて、活躍中の皆さんに、感謝をささげる次第である。
会で挨拶をした。
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いろいろと、ありがとうございました。
一言を考えて、禅の言葉を引用した。
院生指導をすることは、わたしにとって、博士学位の授与にいたるまでは、大学院の教育と研究とは、
つねに、看脚下、の日々であったことである。
2000年から16年間、院生を指導してきたので、感慨もひとしおである。
異文化コミュニケーション
言語コミュニケーション
グローバルカルチャ―・コミュニケーション
研究科でのコースは、いずれも日本語教育コースである。
担当した院生は修士、博士を合わせて、延べ30人を超える。
留学生は、うち、7名を数える。
博士後期課程だけに限って言うと、博士号は次のようである。
コミュニケーション研究科では5名、ついで
グローバルカルチャー・コミュニケーション研究科で3名
あわせて8名中、博士学位取得者は3名で、うちに留学生1名。
学部修士と教えて、外で博士を取得したもの2名、他研究科1名、
さらに研究科で博士に進んでいたもの、総勢でゆかりがある12名
そううち、さきにあわせて、博士学位取得者は6名になる、半数、
満期退学という博士後期課程3年修了6名においても4名が大学教員になった。
12名の卒業生は研究に勤しんでいる。
いずれも大学教員として、研究者として活躍中である。
修士、博士を修めて、活躍中の皆さんに、感謝をささげる次第である。