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繁体字の文化

2015-05-21 | 日本語どうなるの?
新聞ではない旧聞に属するか、漢字の簡体化を揶揄するという記事があった。
しばらく放って置いたけれど、眺めていて、そう見ればそう見えると、また取り出してきた。

検索すると、2015.4.21 11:00 の元記事、国際情勢分析、産経ウェブに、

>「簡体字はキモい」 香港で渦巻く“中国本土化への嫌悪感” 

という見出しである。

そこに示された例は、説明を追うと、例えば「飛」は簡体字で、片翼飛行でどう飛ぶの、とあって、簡体字は繁体字の上部4画だけになるのを見つめなおすようなことである。
以下、それが、湧なら涌だが、湧き上がるための力もない、というふうである。

簡体字を発音表記の文字だと思えば、それなりに、もとの字を思いうかべながら読むことになるが、漢字学習を簡体字だけで始めると、のちのち、本字を見て感心してしまうだろうと思ったりする。
例には、導、導くための道はどこだ、郷、故郷に帰れど郎=男は不在、愛、中国本土の愛には心がない、雲→云、雲はあれど雨は降らない、などとある。


http://www.sankei.com/premium/print/150421/prm1504210006-c.html

>「このメニュー、どうしてサラダのこと『色拉』と書いているの?」。香港のコーヒーショップで客の女性はムッとした様子。店員に「ここは大陸(中国本土)じゃないわ。香港なのよ。香港なら『沙律』でしょ。それにメニューの漢字はどれも簡体字よ。香港人なら繁体字で書きなさいよ!」と食ってかかった。

 香港で昨年開局した民主派寄りのテレビ局HKTVが放送したドラマのひとコマだ。「簡体字」は中国で1950年代に制定された簡略漢字、「繁体字(正体字)」は伝統的な漢字をさす。「サラダ」など外来語では、同じ単語でも違う漢字を当てることが多い。

「本土化」へのいらだち

 香港や台湾では、学校教育から社会生活、公文書に至るまで繁体字が使われているが、観光客急増など中国本土からの影響拡大で中国本土風の表現や、簡体字がじわじわと浸食し始めている。ドラマの女性は“中国本土化”に対する香港人のいらだちを表現した。

 今年2月には香港でちょっとした騒動もあった。民主派寄り香港紙、蘋果(りんご)日報によると、香港警察当局が公表した市民向け刊行物の中に、随所に簡体字が混じっており、香港のネット上で、「香港警察は中国本土から指示された簡体字の文書を下書きにした」「香港は中国公安に牛耳られている」「簡体字は見ていてキモい」などと炎上した。

故郷に男はいない?

 香港でかくも酷評される簡体字。例えば「飛」は簡体字で「●(未登録外字、表参照)」。「片翼飛行でどう飛ぶの?」と揶揄(やゆ)される。「湧」なら「涌」だが、「湧き上がるための力もない」。他にも「導→●(未登録外字、表参照)」(導くための道はどこだ?)、「郷→●(未登録外字、表参照)」(故郷に帰れど郎=男は不在)、「愛→●(未登録外字、表参照)」(中国本土の愛には心がない)「雲→云」(雲はあれど雨は降らない)など枚挙にいとまがない。

 ちなみに香港警察の刊行物では、「朮(繁体字では術)」「范(範)」などが続々みつかったという。

 49年の新中国成立後、共産党政権は識字率の向上を目指して難解な漢字を庶民にも使いやすくし、教育程度を高めた、というのが簡体字普及の説明。日本でも戦後、当用漢字へ一部が簡略化されたが、「廣」が日本で「広」となったのに対し、中国は「广」など極端な簡略化が進んでいる。

 さらに幹、乾、干の3つの漢字の場合、例外もあるが、発音が近いという理由で「干」の字に“統合”された。しかし、「干部(幹部)」「干燥(乾燥)」では見ても意味不明。本来の漢字の魅力まで失った。

政治経済力学が一変

 冒頭のドラマの続き。香港女性の近くに座っていた別の女性が上から目線で話しかけてくる。「あなた知ってるの? 香港はもう返還されて中国のひとつの都市なのよ。簡体字だって繁体字だって同じよ」「香港は香港。車道だって車は左側を走るの。一国二制度なんだから」と反論する。

 互いに嫌みを言い合って中国本土出身とみられる女性は立ち去る。ところが香港女性はコーヒーを飲んだ後、自分のオフィスに戻って愕然(がくぜん)。大きな赤い横断幕に簡体字で、「中国本土の親会社の張丹楓社長を熱烈に歓迎します」。そして会議に姿を見せたのは…。

 香港も台湾も繁体字を守り続けることで、中華文化の正統な伝承者であるとの強い意識がある。簡体字を使う中国本土を、伝統文化面から一段下に見ていたことも否めない。だが、簡体字と繁体字の政治経済力学は一変した。簡体字の人々が“支配者”となって、繁体字の守護者の上に君臨する時代が訪れつつある。(上海 河崎真澄)


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