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古典の日に、源氏のものがたり

2015-11-01 | 源氏のものがたり
古典の日というのがあるそうで、法律まであって、それは11月1日だそうだ。その制定は2012年のこと、それは源氏物語に由来するとか。それで検索をしてみた。その由来には、紫式部日記、寛弘5年11月1日、1008年12月1日の記述にある。あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ、この呼びかけで、若紫は源氏物語の登場人物であることから、源氏物語が記録されたものであることを根拠としているそうだ。そして、記述の日から1000年目の2008年、平成20年の前年、2007年1月に京都府などを中心に立ち上げられた、源氏物語千年紀委員会が11月1日を古典の日とすることを提案したことによるという。ウイキペディアより。2014年には古典のシンポジウムが開かれた。それで、ここにも、ちなみに源氏語りがあるのでそれを取り出して再録をしよう。


光る君の物語  私説 源氏語り
2013-08-30 21:34:06 | 源氏語り

源氏物語には光源氏と呼ばれた主人公がいる。

呼称は物語展開の当初、源氏の君、光る君であった。

名前が源氏の某となるべく、その名は伝わらない。

つまり、源なになにであるかが、それがわからない。

光源氏と呼び、光るを、男児に付けた最高の形容と工夫した。

作者であったのか、読者であったか、それは物語の冒頭に、世の人々によってつけられる。

高麗の相人、占い師によってつけられた、とも語られた。

それで物語の始めから読むと、光る君として登場するように、構成された。

源氏物語はどう描き加えらえたか、という、ひとつの問いがある。

光る君はその人生で葛藤を経験した。

源氏物語は愛のドラマである。

許されぬ、許されなかった男女の愛として現れた。

それは仏教の因果律に輪廻する。

そして激しい愛のドラマは理想の主人公たちにめぐりくる。

その語りは古き人の昔語りとなっった。

光源氏を語ることは因果の世界を知る。

聞くもの語るもの、それを宿世とした。


愛の葛藤の物語   源氏語り2
2013-08-31 21:10:36 | 源氏語り

すくせは、前世または前世からの因縁である。

語ること、それを語ることそのものが、すでに宿世であった。

光る君のその前世にあったものは人の愛である。

天あるいは王の、帝の愛であった。

源氏物語のテーマが愛の葛藤であるなら、それは読者に許されない愛でもあった。

その物語の主人公は光る君であるとするか、男主人公、女主人公をとらえて読者に応じるか、それはテクストによる。

師の師のことばには、女が書いた、女のための、女の物語、玉上源氏評釈、とあった。

光る君の物語は本編で完結できなかったのはなぜか。

文学史に則れば、作品名、作品が書かれた時代、作者、そして梗概となる。

さらには、物語の主題や表現技巧、作品の影響、構成など挙げられよう。

執筆の順による文芸の扱いもあるし、それを成立論に捉えることもあった。

文献国語の読み取りは写本の異同にも及ぶ。

注釈に表れた文学作品の源氏物語の読みは、げんじのものがたり、であった。

が、いつからか、げんじものがたり、と呼ばれるようになった。

湖月抄を読むと、物語中の物語として命脈を保ってきたなか、有朋堂文庫が読みやすくした。

人々の手に普及したのは1940年代半ば以降である。

岩波の文庫、朝日の古典全書が果たした役割についで、1960年代の日本古典文学大系が源氏物語を庶民にもたらした。


きよら  私説 源氏語り3
2013-09-01 21:09:47 | 源氏語り
  きよら  私説 源氏語り3

藤原氏の権勢に賜姓源氏が貴種としてあった。

貴種流離譚を唱える物言いに文学の背景がある。

優れた古典作品である源氏物語を一言ですますのは難しい。

師は宿世の物語と言った。

文学作品としての価値はいうまでもなく、その及ぼした芸術的価値は絵画、芸能、美術にとどまらない。

それが文学の影響と享受のことがらになると文学研究の専門性を視野に議論がなされる。

一般への読者の議論は原文の読み取りのこともあってか、物語の本質をなかなかとらえられない。

文芸の味わいもさることながら作品研究の広がりをみすえて読むとどうなるか。

光る君を語るのに受け手に迎合するあまり、文学を語る思いに・・・

幼年期はマザコンで壮年期はロリコンで晩年は孤独に明け暮れ

と、揶揄するように話して、ぜいたくな貴公子許されないことはない振る舞いがあったと結論した、それは・・・

その実像はやさしさの涙にくれる、平安町特有の優柔不断男であること
それを大和魂と言うんだ

と、言ってみせて女性のための物語の読者に理解をえることがなくなったのは、いたしかたがなかったことだろう。

清らの美にまして光るの名を与えれた貴公子は雲隠れになるまでに、その生涯は。


五十余帖  私説 源氏語り4
2013-09-02 23:40:53 | 源氏語り

源氏物語を原文で読んで古典の文学世界にある世代のドラマを語ることができるか。

読書会を通してこころみてもそれは容易なことではないが、本質を語ることはさほどでもない。

一枚の絵、二枚の図、三つの場面を描けば、それから源氏物語は見えてくるのである。

源氏物語は五十四帖からなる。

巻物であった書物の形態で呼び方ではなく、帖綴じになった時期の作品である。

ふつうに五十四巻と言っているが、五十四冊の源氏物語りがあると思っていい。

源氏物語はどこから読んでも、一冊の物語になると解説することがある。

作者の書き方が、日本語の表現がそうなっている。

この冊数の実際はどうか、ここに、雲隠れ、という省筆のことがある。

そこで書き方によっては五十四帖というのを五十余帖となる。

巻物ではなかったわけだが、巻の名前として、巻名を言い、何々の巻と呼ぶ。

雲隠れの巻は、題名だけあって、本文がない。

表紙をつけて内容が書かれていない、しゃれたものである。

省筆が物語り一冊に行われている。それはなぜか、詳しくはわからない。

最初からそうであったか、巻名をつけて冊子にして揃えたときにそうしたか、あるいは本文が書かれていたが、取り去られたのか。

そこで巻名を数えると、これが現存の本で54となる。


長編  私説 源氏語り5
2013-09-03 15:17:07 | 源氏語り

五十四冊あっって巻の名前を数えて五十四で一致している、となるが、実はそうならない。

巻の名を眺めたら気づくのだが、多く活字化されて見られることのできるものは、上・下に分けた一つの名前が二冊で立てられていることがわかる。

それで五十四冊となるが、よくみると、たいてい巻の名には雲隠れがない。

つまり冊数は五十四に分けられているが、巻の名前は若菜上下を一冊とすると、五十三であり、巻名を数えると五十三しかない、読んでいくと巻名だけがあったと解説される。

巻に名前は五十四、帖数は五十四、しかし読んでいくと、雲隠れの一帖がない。

五十余帖と呼ぶゆえんである、と、がてんするが、ことがらはそう単純ではない。

これは源氏物語は最初に何冊で、つぎに何冊になって、しまいには何冊だったのか、となる。

光る君には輝く日の宮物語があった、といわれ、さらにはまだほかに十冊もあった、とかいわれて、これはさすがに偽作だとされている。

そしてもう少し壮大な巻数にするみかたもある。

その中でも輝く日の宮物語は謎である。

テクスト論がこの謎を明らかにすることができる。

源氏の物語を読むと物語の時間が前後するのに気づく。

物語の巻が次から次へと縦に並ぶところが、横並びになるにのである。





http://www.kotennohi.jp/statute.html
古典の日 法律

(目的)
第一条 この法律は、古典が、我が国の文化において重要な位置を占め、優れた価値を有していることに鑑み、古典の日を設けること等により、様々な場において、国民が古典に親しむことを促し、その心のよりどころとして古典を広く根づかせ、もって心豊かな国民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。

(定義)
第二条 この法律において「古典」とは、文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったものをいう。

(古典の日)
第三条 国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため、古典の日を設ける。
2古典の日は、十一月一日とする。
3国及び地方公共団体は、古典の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。
4国及び地方公共団体は、前項に規定するもののほか、家庭、学校、職場、地域その他の様々な場において、国民が古典に親しむことができるよう、古典に関する学習及び古典を活用した教育の機会の整備、古典に関する調査研究の推進及びその成果の普及その他の必要な施策を講ずるよう努めるものとする。
附 則
この法律は、公布の日から施行する。


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