発展途上国であるとして、日曜日のコラムに書いている。
中国足球みたい、というような、流行語があって、勉強や仕事で努力しても思うようにならない境地だそうだ。
中国のサッカーチームのW杯事情は、8年後も弱いそう、絶望的だそうである。
90年代が最盛期であった、少年たちがプロ選手に憧れ、全国にサッカー教室ができていた、そのような中国であったらしいが、そのころに既に、黒い笛問題が付きまとったという。
なにか、黒哨、高名な審判が金品を受け取った、そして、中国足球協会首脳が汚職で逮捕、八百長の発覚と事件が相次いだ。
日曜に想う、このコラムは、負けた日本チームに対しての励ましのようにも見えるが、実はその国情を照らし出す。
元日本代表監督のトルシェ氏が率いる深圳チームにいた日本人プレーヤーの話を紹介する。
その中国での日本人サッカープレーヤは何を経験したか。
(日曜に想う)中華人民“足球”発展途上国 特別編集委員・山中季広
2014年6月29日05時00分 朝日デジタルより
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いよいよ決勝トーナメントに突入したW杯ブラジル大会。奮闘むなしく日本は敗退したが、世の中、上を見ればキリがない。ここはひとつ気を取り直して、下を見てみよう。
お隣の強大国のことだ。中国は今回、ブラジル行きの切符を得られなかった。アジア予選を突破できなかったからだ。大躍進した北京五輪でもサッカーは例外だった。2年前のブラジル戦など0対8という惨状である。
弱さが国内で知れわたり、中国足球(サッカー)は変な流行語になった。勉強や仕事で努力しても思うようにならない境地を指して「中国足球みたい」。投げやりな口調で言う。
現状そもそもどれくらい弱いのか。
「4年後のW杯? 逆立ちしてもありえません。8年後も絶望的ですね」。断言するのは中国サッカー界の生き字引、評論家の何鑑江さん(77)。中国にプロリーグが誕生した1994年から上海を拠点に試合を見てきた。
「90年代が最盛期でした。少年たちがプロに憧れ、各地にサッカー教室ができました」。しかし当初から「黒哨」つまり黒い笛問題がつきまとった。高名な審判が金品を受け取った。指導するはずの中国足球協会首脳が汚職で逮捕され、選手を巻き込んだ八百長も発覚して、ファンの心は離れた。
98年に37位だった国際サッカー連盟(FIFA)のランキングは、ズルズルと後退して103位。どうやらいまなおどん底にあるらしい。
*
戦術や技量はどうなのだろう。
「ラフプレーが多すぎます。球際(たまぎわ)が激しすぎる分、反則が多く、不用意なフリーキックを与える」と話すのは足球リーグで活躍した楽山孝志さん(33)。Jリーグの千葉、広島、ロシアを経て、3年前、元日本代表監督トルシエ氏(59)率いる深センに移籍した。
楽山さんによると、当時の中国流は長いパスを前線に放り込み、あとは力まかせの奪い合い。タックルやスライディングで相手をなぎ倒しにかかる。
「武闘はやめろ。パスを省くな」「無意味なレッドやイエローが多すぎる」。トルシエ監督が口を酸っぱくして教えたそうだ。地道な連係を省き、無意味な力こぶを見せ、周囲の痛みを意に介しない。そのあたりは島や空をめぐる強引な立ち回りを思わせる。
実際、楽山さんは2年目から尖閣問題に悩まされた。ペットボトルを投げ込まれ、レーザー照射を胸に浴びた。「次の遠征は休むか」。中国人コーチが気遣ってくれたが断った。おじ気づいたとは思われたくなかった。
立てた対策は中国語の独習だった。試合中、相手選手から口汚くののしられたら、ひるまず中国語で返す。試合後は、中国版ツイッター微博で発信する。「政治と足球は関係ない」「僕は試合に出続ける」
試合を欠場し、胸のうちも言わずにいたら、日本人ゆえの敵視は収まらなかったでしょうと楽山さんは言う。
「中国人記者の取材に応じ、微博に書き続けたら『楽山を応援しよう』という声が増えた。ネットでもピッチでも顔を出してモノを言えば、心ある中国人には共感してもらえるんです」
昨今、日本のネットには中国をののしる言説があふれる。名や顔を隠して自国語で書き散らすのなら苦もない。しかし敵意の海で罵声に耐え、相手の言語で語りかけるのは大変な勇気を要することだろう。
現役を引退した昨冬、楽山さんはあえて日本に戻らず、深センに残る道を選んだ。いまはサッカー教室の運営に忙しい。幼稚園児や小学生に中国語で手ほどきしてくれる外国人プロは珍しく、生徒は増える一方である。
*
さて習近平(シーチンピン)・国家主席は来月、W杯決勝を現地で視察するそうだ。いつか中国も強豪国にのしあがり、FIFAで重きをなす日が来るだろう。それはそれで異論はないが、格闘技風のカンフーサッカーを認めろといった無体なルール変更だけはご勘弁ください。
中国足球みたい、というような、流行語があって、勉強や仕事で努力しても思うようにならない境地だそうだ。
中国のサッカーチームのW杯事情は、8年後も弱いそう、絶望的だそうである。
90年代が最盛期であった、少年たちがプロ選手に憧れ、全国にサッカー教室ができていた、そのような中国であったらしいが、そのころに既に、黒い笛問題が付きまとったという。
なにか、黒哨、高名な審判が金品を受け取った、そして、中国足球協会首脳が汚職で逮捕、八百長の発覚と事件が相次いだ。
日曜に想う、このコラムは、負けた日本チームに対しての励ましのようにも見えるが、実はその国情を照らし出す。
元日本代表監督のトルシェ氏が率いる深圳チームにいた日本人プレーヤーの話を紹介する。
その中国での日本人サッカープレーヤは何を経験したか。
(日曜に想う)中華人民“足球”発展途上国 特別編集委員・山中季広
2014年6月29日05時00分 朝日デジタルより
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いよいよ決勝トーナメントに突入したW杯ブラジル大会。奮闘むなしく日本は敗退したが、世の中、上を見ればキリがない。ここはひとつ気を取り直して、下を見てみよう。
お隣の強大国のことだ。中国は今回、ブラジル行きの切符を得られなかった。アジア予選を突破できなかったからだ。大躍進した北京五輪でもサッカーは例外だった。2年前のブラジル戦など0対8という惨状である。
弱さが国内で知れわたり、中国足球(サッカー)は変な流行語になった。勉強や仕事で努力しても思うようにならない境地を指して「中国足球みたい」。投げやりな口調で言う。
現状そもそもどれくらい弱いのか。
「4年後のW杯? 逆立ちしてもありえません。8年後も絶望的ですね」。断言するのは中国サッカー界の生き字引、評論家の何鑑江さん(77)。中国にプロリーグが誕生した1994年から上海を拠点に試合を見てきた。
「90年代が最盛期でした。少年たちがプロに憧れ、各地にサッカー教室ができました」。しかし当初から「黒哨」つまり黒い笛問題がつきまとった。高名な審判が金品を受け取った。指導するはずの中国足球協会首脳が汚職で逮捕され、選手を巻き込んだ八百長も発覚して、ファンの心は離れた。
98年に37位だった国際サッカー連盟(FIFA)のランキングは、ズルズルと後退して103位。どうやらいまなおどん底にあるらしい。
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戦術や技量はどうなのだろう。
「ラフプレーが多すぎます。球際(たまぎわ)が激しすぎる分、反則が多く、不用意なフリーキックを与える」と話すのは足球リーグで活躍した楽山孝志さん(33)。Jリーグの千葉、広島、ロシアを経て、3年前、元日本代表監督トルシエ氏(59)率いる深センに移籍した。
楽山さんによると、当時の中国流は長いパスを前線に放り込み、あとは力まかせの奪い合い。タックルやスライディングで相手をなぎ倒しにかかる。
「武闘はやめろ。パスを省くな」「無意味なレッドやイエローが多すぎる」。トルシエ監督が口を酸っぱくして教えたそうだ。地道な連係を省き、無意味な力こぶを見せ、周囲の痛みを意に介しない。そのあたりは島や空をめぐる強引な立ち回りを思わせる。
実際、楽山さんは2年目から尖閣問題に悩まされた。ペットボトルを投げ込まれ、レーザー照射を胸に浴びた。「次の遠征は休むか」。中国人コーチが気遣ってくれたが断った。おじ気づいたとは思われたくなかった。
立てた対策は中国語の独習だった。試合中、相手選手から口汚くののしられたら、ひるまず中国語で返す。試合後は、中国版ツイッター微博で発信する。「政治と足球は関係ない」「僕は試合に出続ける」
試合を欠場し、胸のうちも言わずにいたら、日本人ゆえの敵視は収まらなかったでしょうと楽山さんは言う。
「中国人記者の取材に応じ、微博に書き続けたら『楽山を応援しよう』という声が増えた。ネットでもピッチでも顔を出してモノを言えば、心ある中国人には共感してもらえるんです」
昨今、日本のネットには中国をののしる言説があふれる。名や顔を隠して自国語で書き散らすのなら苦もない。しかし敵意の海で罵声に耐え、相手の言語で語りかけるのは大変な勇気を要することだろう。
現役を引退した昨冬、楽山さんはあえて日本に戻らず、深センに残る道を選んだ。いまはサッカー教室の運営に忙しい。幼稚園児や小学生に中国語で手ほどきしてくれる外国人プロは珍しく、生徒は増える一方である。
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さて習近平(シーチンピン)・国家主席は来月、W杯決勝を現地で視察するそうだ。いつか中国も強豪国にのしあがり、FIFAで重きをなす日が来るだろう。それはそれで異論はないが、格闘技風のカンフーサッカーを認めろといった無体なルール変更だけはご勘弁ください。