goo blog サービス終了のお知らせ 

現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

0701 戦争できる、とは、これいかに

2014-07-01 | 日記
0701 戦争できる、とは、これいかに

集団的自衛権「戦争できる国へ」 公明了承 きょう閣議決定  中日新聞トップ記事、見出しである。20140701
写真解説には、集団的自衛権の行使容認に反対する学生らが、自民党愛知県連前で抗議行動し「閣議決定の中止を」と拳を突き上げた=30日、名古屋市中区で(木戸佑撮影) 
リードには、安倍内閣は一日、臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を変え、行使を認める新たな解釈を決定する、とある。

記事の見出しには、「密接な国」定義に根拠なし 外務省がミスリード認める とある。20140701   
記事には、集団的自衛権の行使容認で、対象となる「密接な関係のある国」の定義について、日本との条約関係が必ずしも必要ないとする政府見解に明確な根拠がないことが分かった、とある。

政府見解のよりどころは、集団的自衛権に関する基本的見解を示した国際司法裁判所(ICJ)の判決とされるが、この判決文に、裏付けとなる記述はなかった。集団的自衛権の範囲をあいまいにしたまま閣議決定に突き進む政府の危うさがあらためて浮き彫りとなった。

中段見出しは、ネイチャー週内撤回 STAP論文 小保方氏、検証参加 とある。20140701   
記事には、理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダー(30)らが執筆したSTAP細胞に関わる二本の論文を、英科学誌ネイチャーが週内に正式に取り下げる見通しになったことが、関係者の話で分かった、とある。

社説が、トップ左に、囲みである。

【社説】
自衛隊国軍化は許さぬ
2014年7月1日

 発足六十年という節目の日に、自衛隊の本質が変わろうとしている。「集団的自衛権の行使」を認めれば、交戦権を行使する「軍隊」への道を開いてしまう。現行憲法の下で認めてはならない。
 戦後日本の「国のかたち」は「平和国家」である。憲法九条は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、武力の行使を「国際紛争を解決する手段としては」永久に放棄することを定め、国の交戦権も認めていない。
 この理念の下、六十年前のきょう発足した自衛隊には厳しい制約を課してきた。武力の行使が認められるのは日本への武力攻撃が発生した場合に限られ、防衛力整備も必要最小限に抑えてきた。
 自衛隊は、外敵と戦い、交戦権を行使する、通常の「軍隊」とは違う、というゆえんである。
 政府がきょう閣議決定する「集団的自衛権の行使」容認は、これを根本的に変えるものだ。
 日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「明白な危険がある場合」との条件付きとはいえ、日本への攻撃がなくても他国同士の戦争に参戦し、海外で武力の行使ができるようになる。
 その場合、相手国は日本を敵国とみなすだろう。自衛隊も攻撃されて交戦状態になれば、双方に戦死者を出す。政府・与党や支持勢力に、その覚悟があるのか。
 軍隊ではない自衛隊を、海外で武力の行使ができる普通の国の軍隊、いわゆる「国軍」化するのは安倍晋三首相の悲願でもある。
 ただ、これほど重要な安全保障政策の転換だ。正規の憲法改正手続きを経て、国民に判断を委ねるのならまだしも、一内閣による憲法解釈の変更、「解釈改憲」で行っていいわけがない。
 そんなことを許せば、国の最高法規である憲法の法的安定性は揺らぎ、憲法が権力を縛る立憲主義は形ばかりになってしまう。
 山口那津男代表自身が解釈改憲に反対していた公明党執行部は、より有権者に近い地方組織から噴出した反対論を押し切って結局、「海外での武力の行使」の容認に転じた。期待された歯止め役を果たしたとはいえない。
 自衛隊を軍隊とせず、海外で武力の行使をしない誓いは、三百十万人もの国民の命を失い、周辺諸国に多大な損害を与えた先の大戦の痛切な反省からだった。
 首相が「平和主義を貫く」というのであれば、歴史の教訓をいま一度かみしめるべきである。





中日春秋
2014年7月1日

 <話しつゝおほばこの葉をふんでゆく>星野立子(たつこ)。踏まれてもたくましく…というのが雑草の生き様にしても、道端で散々踏み付けられるオオバコの姿は痛ましいほどだ

だが、踏まれることこそがあの草の生き残り戦術だと、静岡大学で雑草生態学を研究する稲垣栄洋教授に教わった。オオバコの種には濡(ぬ)れるとベタベタするゼリーのような物質がある。人や動物に踏まれると、その足の裏にくっついていって、新天地へと根付くそうだ

踏まれても生きるというより、踏まれないと生き残れない。オオバコの学名プランターゴは「足の裏で運ぶ」との意味だというから、そのたくましさに恐れ入る

さて<踏んでも蹴ってもついてくる下駄(げた)の雪>と揶揄(やゆ)されているのは、連立与党の公明党だ。あれほど集団的自衛権の行使容認は筋が通らないと政府・自民党に言っていたのに聞き入れられなかった

ここまで踏み付けられては、さすがに堪忍袋の緒が…と思いきや、きのう結局、行使容認に踏み切った。公明党の結党の理念は「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」。まさに雑草魂なのだが、踏み付けにされてついていった先に、どんな新天地があるのか

ドイツでオオバコは「道の見張り」と呼ばれるそうだ。筋を曲げてまで閣議決定での解釈改憲を許すのは「政道の見張り役」としてどうだろう。

最新の画像もっと見る

1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
本当に (A・S(たわごと的オピニオンの))
2014-07-01 07:08:51
今、権力にすりすりしている姿しか見えてこないですね。地方組織で反対していても決めてしますとしたら何とも民主的でないですし。
返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。