よろん を、輿論と書いて、訳した。世間一般の人々に共通した意見という意味内容とした、 public opinion の訳語せある。輿論の代用として、世論が使われ、せろん という読み方の語を派生させている。しかしまた、せいろん という語で世論があったとるる説もあり、この語にある、世論、輿論、そして与論における民衆の意見よいうのは、あるいは人々の声には、為政者の都合とマスコミの喧伝が競い合って議論の有効かつ生産的な集約に至ることがない。
ウイキペディアより
輿論
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用語
中国では漢語として「輿論」という用語が古くより存在した。一例を挙げれば、唐の李商隠は、その「汝南公の為に赦を賀するの表」の中で、「直言の科(とが)を取れば、則ち輿論を聴く者、算(かぞ)うるに足らず、宥過の則を設くれば、則ち郷議を除く者、未だ儔(ともがら)とすべからず」と述べている。また、その語義を明代の『類書纂要』は、「輿論とは、輿は衆なり、衆人の議論を謂うなり」と説明している。さらに、輿論と同様の意味で、『晋書』の「王沈伝」では、「輿人之論」という用語が使用されている。「輿人」とは、衆人、つまり多くの人々のことを言うので、「輿論」と同義語であることが分かる。
解説
日本では、明治初期に、中国古典から語彙を借りるかたちで、英語圏のpublic opinionに対応させるかたちで「輿論」という語彙が使われることはあった(例:福沢『徳育如何』での「社会の公議輿論、すなわち一世の気風」など)。「輿論」と「世論」の異同については、1946年に当用漢字表が公布される以前に、「輿論」と「世論」の語彙同士に整然とした区別があったかといえば、そうはいえない。当時のことばの使われ方を知るうえで手がかりとなるヘボンの『和英英和語林集成』(1867)には、「輿論」=public opinionは収載されているが、「世論」の収載はないし、ブリンクリーの『和英大辞典』(1896)にも、中国語での用法とことわったうえで、輿論の記載として「Public opinion」を、「世論(せいろん)」の記載として、Public opinon; popular sentimentsを収載しているのみである。
さらに、山口造酒,入江祝衛の『註解新和英辞典』(1907)では、「輿論」の項の記載として「Public opinion, public voice, public cry」を収載するものの、「世論」の項目の収載はなく、また井上十吉の『新訳和英辞典』(1909)では、「輿論」の項として「Public opinion; the popular voice」を、「世論」の項として「Public opinion」を収載している。このように、明治から昭和初期に至る期間においても、両者が区別した意味で使用されていたと考える合理的根拠を英和辞典に求めることは無理といえる。一方、この期間の代表的な国語辞典である『言海』には、「輿論」の項目はあっても、「世論」の項目はなく、「世論」という語彙の使用頻度自体が少なかった様子がうかがわれる。
世論
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歴史[編集]
市民社会における世論の起源は、17世紀のイギリスに求められる。17世紀の半ば、清教徒革命から王政復古の時期にかけてロンドンなどで社交場としてのコーヒー・ハウスが何軒も開店した。コーヒー・ハウスは、封建的な身分の枠を超えて、自由な言論が交わされる場として、また噂や新聞を通じた情報収集の場として、世論形成に重要な役割を果たしたとされている。
フランスではカフェやサロンが、同様に自由な言論の場となった。当時のフランスは絶対王政下にあったが、こうしたカフェやサロンといった空間にまでは、なかなか王権の統制が及ばなかった。当時、王権神授説に立脚した絶対王政を批判したフランスの啓蒙思想家たちは、国家権力の源を神意以外のものに見出そうとしていた。そうした中、社会契約説に基づき、自由かつ平等な市民が主体となり構成する政府、国家という考えを提示するのである。そして、そうした政府、国家を支える論拠となるのが世論であった。
フランス革命の中で台頭したナポレオンは、ローマ教皇の戴冠ではなく国民投票を経て皇帝に就いた。戴冠式にローマ教皇が出席したものの、彼は自ら冠をかぶっている。これは、かつての王権神授説によらない形で政治指導者が決定されたことを象徴しているともいえる。
19世紀以降、各国とも国民国家の形成が最重要課題となった。すると、その過程で国民統合を推進するためにも、世論を無視して政治を行うことはもはや困難であった。こうして、政府、国家は世論を恐れるとともに、世論の懐柔を図るようになり、今日へと至っている。
民主主義国家の下では、政治家や企業、各種団体は常に世論の動向に注意を払う必要があり、世論はこれらと社会とを相互に結びつけるものであるとされている。これをノエル・ノイマンは「世論は社会的な皮膚である」と表した。
デジタル大辞泉より
[補説]当用漢字制定以前は「よろん」は「輿論」と書いた。「世論」は「せろん・せいろん」と読んだ。「輿論」は人々の議論または議論に基づいた意見、「世論(せろん)」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見という意味合いの違いがある。
世界大百科事典 第2版の解説
よろん【世論 public opinion】
[歴史]
世論は以前は〈輿論〉と表記され,古来,中国で輿(かご)かきのような庶民が政事について述べる意見や議論を意味した。表記が簡略化されて現在のように〈世論〉と改められるに従い,今日では〈せろん〉と発音され,世間一般の論と解されることも多い。また明治以降,この語が欧米の政治理論におけるpublic opinionの訳語として公論と並んで用いられるに従い,そこに政治が準拠すべき公衆publicの意見だとか世論調査に表れた有権者の態度だとかの欧米政治理論の意味がつけ加わり,その内容は多様化している。
出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
世論
せろん
public opinion
特定の大きな社会集団,公衆がもっているある論争的な問題についての意見,態度,判断などの一般的傾向。世論調査で測定されるが,世論は社会を構成する成員個々の意見の総和であるとみるか,それをこえた力をもつ実体とみるかについては意見が分れる。現代では,世論が政治的操作の手掛りや反体制側の武器として用いられる傾向がある。また,世論形式集団や大衆運動という社会的表象についても強調されている。
ウイキペディアより
輿論
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用語
中国では漢語として「輿論」という用語が古くより存在した。一例を挙げれば、唐の李商隠は、その「汝南公の為に赦を賀するの表」の中で、「直言の科(とが)を取れば、則ち輿論を聴く者、算(かぞ)うるに足らず、宥過の則を設くれば、則ち郷議を除く者、未だ儔(ともがら)とすべからず」と述べている。また、その語義を明代の『類書纂要』は、「輿論とは、輿は衆なり、衆人の議論を謂うなり」と説明している。さらに、輿論と同様の意味で、『晋書』の「王沈伝」では、「輿人之論」という用語が使用されている。「輿人」とは、衆人、つまり多くの人々のことを言うので、「輿論」と同義語であることが分かる。
解説
日本では、明治初期に、中国古典から語彙を借りるかたちで、英語圏のpublic opinionに対応させるかたちで「輿論」という語彙が使われることはあった(例:福沢『徳育如何』での「社会の公議輿論、すなわち一世の気風」など)。「輿論」と「世論」の異同については、1946年に当用漢字表が公布される以前に、「輿論」と「世論」の語彙同士に整然とした区別があったかといえば、そうはいえない。当時のことばの使われ方を知るうえで手がかりとなるヘボンの『和英英和語林集成』(1867)には、「輿論」=public opinionは収載されているが、「世論」の収載はないし、ブリンクリーの『和英大辞典』(1896)にも、中国語での用法とことわったうえで、輿論の記載として「Public opinion」を、「世論(せいろん)」の記載として、Public opinon; popular sentimentsを収載しているのみである。
さらに、山口造酒,入江祝衛の『註解新和英辞典』(1907)では、「輿論」の項の記載として「Public opinion, public voice, public cry」を収載するものの、「世論」の項目の収載はなく、また井上十吉の『新訳和英辞典』(1909)では、「輿論」の項として「Public opinion; the popular voice」を、「世論」の項として「Public opinion」を収載している。このように、明治から昭和初期に至る期間においても、両者が区別した意味で使用されていたと考える合理的根拠を英和辞典に求めることは無理といえる。一方、この期間の代表的な国語辞典である『言海』には、「輿論」の項目はあっても、「世論」の項目はなく、「世論」という語彙の使用頻度自体が少なかった様子がうかがわれる。
世論
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歴史[編集]
市民社会における世論の起源は、17世紀のイギリスに求められる。17世紀の半ば、清教徒革命から王政復古の時期にかけてロンドンなどで社交場としてのコーヒー・ハウスが何軒も開店した。コーヒー・ハウスは、封建的な身分の枠を超えて、自由な言論が交わされる場として、また噂や新聞を通じた情報収集の場として、世論形成に重要な役割を果たしたとされている。
フランスではカフェやサロンが、同様に自由な言論の場となった。当時のフランスは絶対王政下にあったが、こうしたカフェやサロンといった空間にまでは、なかなか王権の統制が及ばなかった。当時、王権神授説に立脚した絶対王政を批判したフランスの啓蒙思想家たちは、国家権力の源を神意以外のものに見出そうとしていた。そうした中、社会契約説に基づき、自由かつ平等な市民が主体となり構成する政府、国家という考えを提示するのである。そして、そうした政府、国家を支える論拠となるのが世論であった。
フランス革命の中で台頭したナポレオンは、ローマ教皇の戴冠ではなく国民投票を経て皇帝に就いた。戴冠式にローマ教皇が出席したものの、彼は自ら冠をかぶっている。これは、かつての王権神授説によらない形で政治指導者が決定されたことを象徴しているともいえる。
19世紀以降、各国とも国民国家の形成が最重要課題となった。すると、その過程で国民統合を推進するためにも、世論を無視して政治を行うことはもはや困難であった。こうして、政府、国家は世論を恐れるとともに、世論の懐柔を図るようになり、今日へと至っている。
民主主義国家の下では、政治家や企業、各種団体は常に世論の動向に注意を払う必要があり、世論はこれらと社会とを相互に結びつけるものであるとされている。これをノエル・ノイマンは「世論は社会的な皮膚である」と表した。
デジタル大辞泉より
[補説]当用漢字制定以前は「よろん」は「輿論」と書いた。「世論」は「せろん・せいろん」と読んだ。「輿論」は人々の議論または議論に基づいた意見、「世論(せろん)」は世間一般の感情または国民の感情から出た意見という意味合いの違いがある。
世界大百科事典 第2版の解説
よろん【世論 public opinion】
[歴史]
世論は以前は〈輿論〉と表記され,古来,中国で輿(かご)かきのような庶民が政事について述べる意見や議論を意味した。表記が簡略化されて現在のように〈世論〉と改められるに従い,今日では〈せろん〉と発音され,世間一般の論と解されることも多い。また明治以降,この語が欧米の政治理論におけるpublic opinionの訳語として公論と並んで用いられるに従い,そこに政治が準拠すべき公衆publicの意見だとか世論調査に表れた有権者の態度だとかの欧米政治理論の意味がつけ加わり,その内容は多様化している。
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世論
せろん
public opinion
特定の大きな社会集団,公衆がもっているある論争的な問題についての意見,態度,判断などの一般的傾向。世論調査で測定されるが,世論は社会を構成する成員個々の意見の総和であるとみるか,それをこえた力をもつ実体とみるかについては意見が分れる。現代では,世論が政治的操作の手掛りや反体制側の武器として用いられる傾向がある。また,世論形式集団や大衆運動という社会的表象についても強調されている。