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朝廷の王政復古により、大和王権から大日本になる

2016-11-20 | 日本・日本人
朝廷が都にあり、それは大和朝廷であるとの認識があった。その王政復古は大和政権に帰することであるから、大政奉還によって進められてきたことは、ここに朝廷に冠せられた、ヤマトの王権は大日本帝国となる。ヤマトは、和、大和、日本と表記されて、やまと と訓じてきているから、大日本は、オオヤマト になる。しかし、対外交渉の国名として用いるときは、字音をもって、ダイニホン、ダイニッポン のいずれを呼称としたか、定かな用例はない。



ウイキペディアによる

王政復古とは、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に江戸幕府を廃絶し、同時に摂政・関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立を宣言した政変である。

「王政復古の大号令」の内容は以下のとおりである。
(慶応3年10月24日に徳川慶喜が申し出た)将軍職辞職を勅許。
京都守護職・京都所司代の廃止。
幕府の廃止。
摂政・関白の廃止。
新たに総裁・議定・参与の三職をおく。

慶応4年1月3日(1868年1月27日)に鳥羽・伏見の戦い

慶応4年4月11日(1868年5月3日)、新政府軍が江戸総攻撃を中止する代わりに、旧江戸幕府の本拠地・江戸城を明け渡させ、幕府機構解体を大きく前進させた。


大政奉還とは、江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的事件である。

大政奉還上表の内容
臣慶喜謹テ皇国時運之改革ヲ考候ニ、昔王綱紐ヲ解テ相家権ヲ執リ、保平之乱政権武門ニ移テヨリ、祖宗ニ至リ更ニ寵眷ヲ蒙リ、二百余年子孫相受、臣其職ヲ奉スト雖モ、政刑当ヲ失フコト不少、今日之形勢ニ至リ候モ、畢竟薄徳之所致、不堪慙懼候、況ヤ当今外国之交際日ニ盛ナルニヨリ、愈朝権一途ニ出不申候而者、綱紀難立候間、従来之旧習ヲ改メ、政権ヲ朝廷ニ奉帰、広ク天下之公儀ヲ尽シ、聖断ヲ仰キ、同心協力、共ニ皇国ヲ保護仕候得ハ、必ス海外万国ト可並立候、臣慶喜国家ニ所尽、是ニ不過奉存候、乍去猶見込之儀モ有之候得者可申聞旨、諸侯江相達置候、依之此段謹テ奏聞仕候 以上
— 大政奉還上表文(部分)

(現代語訳)
陛下の臣たる慶喜が、謹んで皇国の時運の沿革を考えましたところ、かつて、朝廷の権力が衰え相家(藤原氏)が政権を執り、保平の乱(保元の乱・平治の乱)で政権が武家に移りましてから、祖宗(徳川家康)に至って更なるご寵愛を賜り、二百年余りも子孫がそれを受け継いできたところでございます。そして私がその職を奉じて参りましたが、その政治の当を得ないことが少なくなく、今日の形勢に立ち至ってしまったのも、ひとえに私の不徳の致すところ、慙愧に堪えない次第であります。ましてや最近は、外国との交際が日々盛んとなり、朝廷に権力を一つとしなければもはや国の根本が成り立ちませんので、この際従来の旧習を改めて、政権を朝廷に返し奉り、広く天下の公議を尽くした上でご聖断を仰ぎ、皆心を一つにして協力して、共に皇国をお守りしていったならば、必ずや海外万国と並び立つことが出来ると存じ上げます。私が国家に貢献できることは、これに尽きるところではございますが、なお、今後についての意見があれば申し聞く旨、諸侯へは通達しております。以上、本件について謹んで奏上いたします。

>大日本帝国
1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。

経緯
万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順は1860年、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書上で、日本側を「大日本帝国 大君の全権」と記した。
明治天皇は1868年1月3日(慶応3年12月9日)、王政復古を宣言。1871年(明治4年)に鋳造された国璽には「大日本國璽」と刻まれ、1874年(明治7年)の改鋳に際しても印文は変更されず、今日に至るまで使用されている。

大日本という表記は「オオヤマト」としては古来用いられており、明治時代に国名として初めて使用されたという訳ではない。

1935年(昭和10年)7月、外務省は外交文書上「大日本帝國」に表記を統一することを決定



日本国の美称。
「―久邇(くに)の京は」〈万・四七五〉

大日本 久邇乃京者

かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見(め)したまはまし 大日本(おほやまと)久迩(くに)の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子(あゆこ)さ走り いや日異(ひけ)に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山(わづかやま)御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥(こ)いまろび ひづち泣けども 為むすべもなし

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