現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

授業のこと

2017-06-07 | 日記
人の記憶はどれくらいか、去年、おととし、さてその前にはとなると、せいぜい数年である。それを5、6年とすると、記憶のとり出しに何かがあれば、思い出す。それを10年になると、ほぼ、忘却の彼方であるから、20年30年となると、そういうこともあったかどうかと、定かでない。10年ひと昔をとなえると、その10年のことを思い出として蓄えるほかには、出来事を脳内で年表にするようにすれば、それをたどることができる。項目としてのことがらは、そのまま、記憶を上塗りする。10年は一日の如しと、その思いを、わが来しかたに描くことになる。





>水曜日の授業
2006年06月07日21:46

4時限目、皆も疲れて、学びにこっくりこっくん
机に臥すあり、パワポの話では眠いことだろう
日本語教育入門を話す、7回目の授業
留学生の先輩のコラムを紹介して

1年生に週3回顔をあわせる時間組みにした
毎日顔を、講義の向きを変えるのが難しい
教科教育法を担当したころ、大昔だが、日に3回の顔合わせもあった
コマを並べるムズカシさに気分転換を入れたものだった

ここでの6年目を迎えて話したいことを話せるようになった
それまでの組み方があまりにもひどく、いまの4年生はじめ、卒業していったゼミ生たちも
結局、科目を聞くという時間がない、ゼミ生ですら授業がほかに、わたしの話が聞けない
つまりわたしの講義に出席できない、くみかただった

このめぐり合わせは、しかし、偶然でない
着任してみて驚いた1年目、それでもその2年間は
前のコースの時間が重なり接触する上級生、ゼミ生がいた
そこで起こったことといえば、それは、なんともいえない、カリキュラムだった

まだ冷静には思い出せない
3年目に気づいて軌道の修正を図る
1年生に接触する方策を考える4年目以降、5年目からスタートした
一度出来てしまった印象はそれでも4年の倍、8年はかかる、その7年目になった、いまがそのときだ

目先を変えるのではなく本質的な転換をした
2003年に卒業生が出て2004年からカリキュラムが動いた
日本語教育入門を新設科目にしてコースに特徴を出した
2年生用の日本語講読、3年生用の日本語史・日本語教育史も加えて、水曜日の1時間目の日本語史がやっと始まった

日本語教育へのコースの学生の興味は散々なものになっていた
いわく、いまごろ、日本語を習うか、何を学ぶのか、とか
言語コミュニケーションの日本語を手段とする専門性が語られていないことがわかった
いわくコース授業が安易な方向で済まされてしまっていた
日本語日本文化、その背景にある社会と歴史事情、手っ取り早く文学を題材にすると、哲学も思想も学べるが、とにかくレベルを上げないと大学で学ぶことの意味が失われかねない危機的状況だった

どうもコースの特徴が、手元から零れるように、ぼろぼろ、ほころびていくようだ
それがわからなかったので、対処するにカリキュラム編成をしたが、ほかのコースも同じだった
なぜか、ゼミに迎えるに日本語教育専門でなくとも良い、したい学習、研究のうちに言語コミュニケーションが伴っていればそれでよい
言語に文化にと、応用言語の範囲は広いが、日本語コースの学生の評価は全く違ったところでおこなわれていたことがわかった

そうこうしてはっきり路線を引いた
週に3回の講義による顔あわせは、しかし、それでも足りない
上級学年では、この2年間は、入学した1年目の印象で決まっていたのを取り戻さなければならない
新入学生に及ぼす影響は大きく、食い止めるのはプロジェクトのいまの4年生、そしてゼミの仕上げに3年生、そこから対策を、である

ひとりではむずかしい
ひとりでやらねばならない
ひとりでする効率はエネルギーのロスを図ることが出来る
あと2年すれば良くなるだろう


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。