音韻論にある議論で、日本語音韻を音素分析することにモーラを前提としてまず考える英語学からのわかりよい論文がある。外国語と接触する日本語音声の具体を取り上げているが、開音節構造を、これからの日本語にどう見るかの分析は興味深いところである。外国語音の影響ということである。
現代日本語音韻における音声学と音韻論の間隙
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/24069/008000400004.pdf
現代日本語音韻における音声学と音韻論の間隙. 龍 域 正 明. I 序 論. 現代日本語を論じる際, “外来語"という一面は,最早,避けて通る事. が出来ない程,重要な意味を持っているのは,周知の事実である. 日本語. における外来語の歴史は,古くは, i,英語に端 ...
しかし, もう 1つここで,日本人の音の単位のとらえ方という観点から, 欧米人と日本人の日常の最小単位を確かめておきたい. 日本語に於て,単音としての音素による分析という概念は極めて薄いと いえる. これは日本語が開音節言語であると同事に, 仮名という視覚的 なシンボルにより書き著わされることから普通一般の話し手にとっては, “語"はモーラの単位迄しか分析されないというのが学者の通説である. この点については, “しりとり"や“さかさことば"などがよく引き合い に出される. 即ち, 諸外国語, ここでは英語を例にとるが, 例えば, “eye"や“ Madam,1 'm Adam"などはアルファベット,一文字を基に して,それを単音,即ち音素のレベル迄分析していることになり‘これが, 欧米人の日常の最小単位ということが出来る. しかし,日本語では, “しんぶんし'に“トマト"のように仮名を単位として分析するのが日常である. これらは [sinbunsi],[tomato]であり,音素というレベルからはさかさ ことばにはならない. それ故, “駅"と“池"“秋"と“イカ"との関係 は一般の日本人にはその互いの関係は容易に理解し難い.さらに,このこ とは,英米人に馴み深い日本の地名, “横浜"という地名を説明するの に,彼等には Yokohama と八文字で親しまれているので, 日本語ではヨコハマと 4文字だと説明すると,彼等が,けげんな顔をするのと,上記, “駅"と“池"との関係をきいてけげんな顔をする日本人と同じ発想とい えるのである13 この様に日本語では音素というレベルよりもモーラというレベルに立つ ての音声の把握がより一般的であり,本論では,一般話者に対する外来語からの影響という観点から日本語音韻の変化を考察しているので,モーラという概念を通しての外国語との接触後の新音素の設定を試みる方が妥当
主流
主流 (40), p35-51, 1979-03
同志社大学英文学会
現代日本語音韻における音声学と音韻論の間隙
タイトル(ヨミ) ゲンダイ ニホンゴ オンイン ニオケル オンセイガク ト オンインロン ノ カンゲキ
著者 龍城, 正明
著者(ヨミ) タツキ, マサアキ
著者(その他) Tatsuki, Masaaki
刊行物名 主流
Shuryu
号: 40
開始ページ: 35
終了ページ: 51